FishTech - Photographs of Fishing Techniques
漁業技術の画像集・FishTech


著作者/水産大学校名誉教授・理学博士 前田弘
Compiled by Emeritus Prof. Hiroshi Maeda, Fisheries College, Shimonoseki, Japan

協力者/水産大学校助教授 深田耕一
in collaboration with Asst. Prof. Koichi Fukada, Fisheries College, Shimonoseki, Japan


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    第 1 部
    11 簡単な漁法
    27 家 船



     このフォールダは「家船」と名付けた。家船とは生活様式―生活習慣―で、他のフォールダで扱ったものと異なる 概念である。映像として捉えにくいが、生活様式が反映してできた型としてそれを捉え、ここに記す。

     和歌山市の雑賀岬と尾道の吉和には、一年のほとんどを船で暮らし、各地に散っている全船が正月と盆だけに 根拠地に戻って来る漁師の集団があった。この人達が生活する船を家船という。両者の習慣の間に差異はあるが、 いずれにしても、かなり特殊な習慣である。しかし、帰ってくる時期以外には、これらの地方を訪れても、 ほとんどの家船は出漁しているので、その習慣は分からない。現在、地元には一部の船が残り、それらは雑賀岬では 底曳漁船の集団として活躍し、吉和では各種の漁業を行っている。この生活型の船は、尾道・三津浜・山口県東部 でも見られるので、それらに関するフォールダを参照して欲しい。

     No.1は吉和の漁港の写真である。元来、家船で生活する人達は、陸上には住居あるいは菩提寺と墓地以外の生活の 根拠を持たない。それを陸上に定着させるようにするために、このようなアパートと大きな公衆浴場が建てられている。

     海岸には多数の船を引揚げる場所と収容できる岸壁がない。発泡スチロールブイの上に渡板を渡した仮設と みなされるような桟橋が入組んでいる。これは一時帰港するために作ったもので見られた船は出漁が遅れていたのか、 この桟橋は周年使い繋船されていた船は周年ここを根拠に稼動しているのか疑問である。 しかし、それらとNo.2からNo.5までに見られた船の中に底曳船が見られる。底曳網漁業は他の地先では認められないので、 ここに定着したが陸上に生活の根拠をほとんど持たない人のある可能性が考えられる。

     秋に訪れたので、大部分の船は出港した後であった。しかし、この地方としては大型とみなせる独特の型をした船が この桟橋に繋留され、入港中でも船上で生活しているらしい人影が見られた。

     現在、ここで生活している人達は、陸上に自宅を持ってそこから出漁する人と公営住宅に住んでそこから出漁する 人の他に、船に生活し続ける人の3通りがあると考えられる。

    No.1
    [No.1: image11-27-001.jpg]

    No.2からNo.5までは、典型的とみなる船の写真をフォルダー「尾道付近で見られる漁船」の中から取り出し、 再録したものである。これれらの船は次のような特徴を備える:

     肩幅は広く乾舷は低い。
     舷側は低い。
     磨き抜かれた白木張りの甲板は、乾舷より外まで張出す。 
     船首部はテレビアンテナを備え、清潔な生活の場とみなせる。
     作業は船尾部で行われる。ただし、水を使う炊事場は船尾にある。

     以前にはこれらの船に乗ってかなり遠くまででかけ、そこを根拠としていたらしい。雑賀岬の漁船は男性だけの 1人乗りであるが、吉和の船には夫婦が乗組む。これらの写真に関する説明は、「尾道でみられた漁船」に記したので、 省略する。

    No.2
    [No.2: image11-27-003.jpg]

    No.3
    [No.3: image11-27-005.jpg]

    No.4
    [No.4: image11-27-007.jpg]

    No.5
    [No.5: image11-27-009.jpg]

     No.6からNo.13までは山口県の平群島沖で一本釣を行っている船の中から家船の特徴を備えた船の写真を 取り出したものである。

     No.6からNo.9までは同じ船の写真である。この船はNo.2からNo.5に示した船と異なり、FRP製である。 しかし、先に記した家船の特徴を備える。すなわち、船は木造船からFRP製になっても、家船の特徴を備えた船は 作られている。

     ほとんどの船は、夫婦で乗組み、各地に滞在して一本釣を行う。

     ここはタチウオの漁場で、その道具が見られる。タチウオは深くから釣り上げるので、現在では電動釣機が 普通に使われる。それを備えている。

    No.6
    [No.6: image11-27-011.jpg]

    No.7
    [No.7: image11-27-013.jpg]

    No.8
    [No.8: image11-27-015.jpg]



    No.9
    [No.9: image11-27-017.jpg]

     No.10からNo.13に写っている家船は木造船である。前半が住居である。船首楼は寝室になるので高い。

     スパンカーセールを開いているかと背景や前と後のどちらのテントが高いかを見ると、それぞれ異なった船の 写真であることが分かる。背景に写っている船を含め、よく似た構造である。

     No.10では、夫婦の他に、住居部に子供が写っている。これも、吉和の家船の習慣である。船首には唐草 模様が見られる。これは瀬戸内海の漁船を中心に広く見られた習慣であり、昭和の終わりまで細々とみられていたが、 現在ではほとんど見られなくなった。また、この模様を説明できる人はほとんどいない。

    No.10
    [No.10: image11-27-019.jpg]

    No.11
    [No.11: image11-27-021.jpg]

    No.12
    [No.12: image11-27-023.jpg]

    No.13
    [No.13: image11-27-025.jpg]

     No.14からNo.17までに示す写真は家船とみなせない。

     しかし、家船とよく似た習慣なので、ここに記す。

       毎年きまった季節にきまった土地に出漁し、そこの陸上に滞在して漁を続ける漁師の集団がある。

     これは、タイの漁期になると、淡路島の岩屋から和歌山県の瀬戸(白浜)に出漁してくる漁船の写真である。 漁期が終わると引揚げる。

     No.14とNo.15に見られる船の型は地元のものと異なる。船の中央部をテントで被っている。これは瀬戸内海を 中心に見られる習慣であり、この地方では見られない。

    No.14
    [No.14: image11-27-027.jpg]

    No.15
    [No.15: image11-27-029.jpg]

     No.16の消波ブロックの後には、海岸に沿って道路がある。海岸道路に面し写真の中央に写っている家は、 地元漁師の家の庭先に別棟として建てられている。これは毎年出漁してくる漁師に貸すためで、漁期外は閉めてある。 毎年同じ人が同じ家にくる。No.14からNo.17までの写真を拡大すると同じような建物がいくらか見られる。

    No.16
    [No.16: image11-27-031.jpg]

    No.17
    [No.17: image11-27-033.jpg]

     No.18は下関漁港における写真である。この船はFRP製で、この地方の船と基本構造が異なり、肩幅が広く乾舷と 舷側は低い。広島県の登録番号をもつ。一本釣以外の漁具は見られない。左舷船尾に炊事場が見られ、夫婦が乗組む。 これらの点は従来からの家船の特徴を備える。しかし、甲板は白木張りでない。家船の新しい型とみなせるだろう。

    No.18
    [No.18: image11-27-035.jpg]

     この写真の左上の隅あたりの位置には、秋のヨコワの漁期になると和歌山県の和深(ここは曳縄で有名で、 和深製の潜行板は、特に道具を選ぶ各地の漁師の間では好まれる)から曳縄漁師が出漁してきて、ここを根拠に 対馬海峡で操業していた。

     このように一本釣あるいは曳縄漁師が、魚を追って遠方まで出漁し、船で生活しながら根拠地外に長期間滞在 する習慣は、紀淡海峡から五島列島までにわたって、かなり近年まで見られた。


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