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海洋関連略年史
Ocean-related Affairs Chronology

人類のフロンティア海洋における探求の系譜

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人類の歴史は探求の歴史でもある。人類は今なおその旅を続けている。

    紀元前
    紀元前4000年  人類が初めて小舟を作った時期を特定することは上可能であるが、世界各地に有史以前から存在していた。紀元前4000年頃 メソポタミアに帆掛け舟があったと推定されている。

    3000年  エーゲ文明が始まる。クレタ島を中心とするミノス文明。青銅器時代。エーゲ海での航海は多かった。

    2000年  フェニキア人による海上交易が繁栄する。ギリシア人のエーゲ海への進出が始まる。

    1200年  フェニキア人、地中海を出てイギリスに達する。

    1184年  トロイが陥落する。鉄器時代の始まり。

    1000年頃  フェニキア人が地中海の交易ルートを開拓する。

    916年  ロードス島が繁栄する。世界最初の海商法、共同海搊法、投荷法が制定される。

    850年  フェニキア人が戦闘用の軍船(ガレー船)を開発する。

    753年  ローマ市の建設。

    600年  マッシリア港(現在のフランスのマルセイユ)が建設される(世界最古の現存商港である)。

    480年  ギリシアがサラミスの海戦でペルシャを破る。

    326~同325年  アレクサンドロス大王の武将ネアルコスが、東征の帰途において、艦隊を率いてインダス川河口からティグリス川河口まで 航海する。

    333年  アレキサンドリア港が開設される。

    100年  インドのアーンドラ朝が香料、綿紗などを西アジア、ローマなどに輸出し、海上貿易により繁栄する。

    150年頃  ギリシアの天文学者ヒッパルコスが星の位置を測るアストロラーベを発明する。

    0年  ローマ帝国とインドとの間において、エリュトラー海(アラビア海)を横断する航路により交通がなされる。ホルムズ海峡(ペルシア湾= アラビア湾の湾口にある海峡)からの沿岸航路をもって、東南アジアの南海航路につながり、南シナ海、さらに寧波、杭州などに いたる。アラビア海をまたいで中近東とインドとの間を行き来するインド航路の航海者たちは、季節風の存在を知り利用を始める。



    紀元後
    紀元後1世紀  「ヒッパロスの風《(南西季節風)が発見される。又、「エリュトゥラー海案内記《が書かれる。この頃には、 ローマとインド (サータヴァーハナ朝) との交易が盛んとなる。

    150年  ギリシアの天文地理学者クラウディウス・プトレマイオス(83年頃~168年頃)が、古代ギリシアの地理学を集大成した「地理学《を 刊行する。

    166年  大秦国王安敦(あんとん) (マルクス・アウレリウス・アントニヌス、ローマ皇帝在位161~180年、五賢帝最後の皇帝) の使者と称する者が 日南に来る。

    274年  日本・伊豆国で建造された「枯野(かれの)《は我が国の船吊の起こり。 412年  東晋の僧・法顕(ほっけん)、海路インドから帰国する。

    452年  海運共和国ヴェネツィア(自由港市)が建設される。

    470年  西ゴート王国、スペインの大半を征朊する。

    517年  ベルギー、アントワープ港の港誌文書が作成される。

    584年  隋の文帝 (楊堅ようけん; 在位681~604年)、大運河の建設を開始する: 広通渠(こうつうきょ)(584年)、山陽とく(587年)を建設する。

    605~610年  隋の煬帝 (ようだい; 在位604~618年)、華北と江南を結ぶ大動脈である大運河を完成する: 黄河と淮河(わいが)とを結ぶ 通済渠(つうさいきょ)(605年)、黄河から北京にいたる永済渠(えいさいきょ)(608年)、朝貢と余杭(よこう)(杭州)を結ぶ江南河(610年)などを 建設した。かくして、江南の経済地域は政治・経済的に首都・大興城(だいこうじょう)(長安)に結びつけられた。運河の建設には数百万人の 農民が酷使され、また特別の重税が課せられた。

    607年  第一回遣隋使船にて小野妹子が初めての遣隋使として大陸の隋に派遣される。翌年に答使斐世清と帰国する。

    630年  第一回遣唐使船が大陸へ渡る。

    650年~1150年  ヴァイキングがしきりにイギリス、ヨーロッパ大陸の海岸に侵入する。

    630年  遣唐使始まる。

    671~695年  唐の僧・義浄(ぎじょう)、インド旅行を行なう。

    700年  8世紀には、ペルシア湾奥のバスラがアラビア人の東方地域(インド、東南アジア、シナ)への航海起点として繁栄する。

    711年  北アフリカのモーロ人(イスラム教徒)がスペイン(当時は西ゴート王国)に侵入する (ヘレスの戦い)。西ゴート王国が滅亡する。

      イスラム教徒のモーロ人をイベリア半島から北アフリカへ追い返す戦いが、いわゆるレコンキスタ(Reconquista, 国土回復戦争)である。この過程で カスティーリャ・レオン王国のアルフォンソ6世(在位1072~1109年)が、レコンキスタに援助したブルゴーニュ(北フランス)のアンリ公にポルトガル 伯爵領(ポルトガルはもともとスペイン領であった)に割譲する。1143年、アンリの子アフォンソ・エンリケ、ポルトガル独立王国を創建する。

    714年頃  広州に市船司(しはくし)が置かれる。宋代には各海港都市に置かれる。

    756~1031年  後ウマイヤ朝 (首都: イベリア半島コルドバ)。

    789年  ヴァイキングの活動が最も盛んになる。ノルマン人が初めてイギリスに侵入する。このため、900年頃にイギリスは海軍を 建設する。

    8世紀頃  イスラム世界において方位測定用のアストロラーベが開発される。

    800~1000年  ノルマン人、バイキングとして各地に遠征航海を行う。

    867年  ノルマン人、アイスランドを発見する。

    982年  ノルマン人、グリーンランドを発見する。

    894年  菅原道真の進言により遣唐使の派遣が中止される。



    1000
    1000年頃  中国で羅針盤、火薬が発明される。

    1000年頃  ヴァイキングの航海者レイフ・エリクソン(リーフ・エリクソン; 赤毛のエーリックの息子)が北米大陸の海岸 まで航海し、上陸する。

    1031年  後ウマイヤ朝滅亡する。

    1035年  アラゴン王国独立する。

    1096年  第1回十字軍の遠征が開始される。前後8回70余年にまたがる十字軍の遠征はヨーロッパの海事における発展を推進すること大であった。

    1096~1291年  キリスト教徒が「十字軍《の遠征を行う。



    1100
    1100年頃  中国において、航海用の羅針盤が発明される。羅針盤は、12世紀に、中国で、水浮き式と方位盤が一体化したが、その後ヨーロッパでは これが改良されて円盤上に磁針をおくという方式に発展した。

    1139年  ポルトガル王国成立する(アルフォンソ)。1143年 ポルトガル王国独立する。

    1170年  平清盛、福原で宋と貿易を開始する。

    1185年  壇の浦海戦。

    1187年  仁和寺の古文書に現われた「坂東丸《は船吊に丸のついた最古の記録である。

    1194年  イタリアで海上保険制度が行われる。



    1200
    1206年  海運共和国ジェノヴァの勢力が増大する。ヴェネツィアとの勢力対峙が激化する。

    1206~27年  チンギス・ハーンがモンゴル帝国を建設し、1242年までには中国から東ヨーロッパまでの地域を支配する。

    1223年  北条義時が「廻船式目《を制定する。

    1230年  カスティーリャ・レオン両王国、合併する。

    1230~1492年  ナスル朝。

    1235~51年  グラナダを除くイベリア半島のすべての地域からイスラム勢力を駆逐する。

    1241年  北欧の諸自由都市が、主に海賊に対して協働して商船を防御するために、ハンザ同盟を創設する(~1630年)。

    1270年  ヨーロッパの航海者らも羅針盤を使用するようになる。

    1271~95年  ヴェネツィア出身のマルコ・ポーロ(出立時17歳)、父・叔父とともに東方旅行に1271年出発する。 アジア内陸部をたどりモンゴル帝国へと旅する。

    1274年  元寇(げんこう): 元・高麗の連合軍3万余・艦船900隻が、日本・北九州に侵攻する(文永の役)。

    1275年  マルコ・ポーロら、大都にいたる。フビライ・ハンに仕える(1275~92年まで)。イル・ハン国に嫁ぐ王女を送り届けるために、 海路帰国の途に着いた。ホルムスから陸路をたどり、1295年ヴェネツィアに帰国する。 帰国後、1299年「世界の記述(東方見聞録)《を著す。

    1280年頃  日本の西海の民衆が、中国大陸、朝鮮半島方面に略奪目的で船で出掛け猛威を振るう。「倭寇《として恐れられ、約280年間 続く。

    1281年  元寇: 元・高麗軍と旧南宋の江南軍の連合軍14万余・艦船4400隻が、再び日本に侵攻する(弘安の役)。

    1294年  マルコ・ポーロ、シナからヴェネツィアへ帰国する。磁気コンパスをヨーロッパに伝える。



    1300
    1300年頃  港・海岸線を示したポルトラノ海図が盛んに作成される。

    1300年頃  ヨーロッパで航海用のアストロラーベが開発される。

    1300年  「コグ《と呼ばれる船がドイツ諸都市の貿易に活躍を始める。

    1325~54年  モロッコのイスラム教徒・旅行家のイブン・バトゥータ、1325年からアフリカ・アジア・ヨーロッパを旅する。 その行程は約12万㎞に及ぶ。1346年、大都にいたる。旅行記「三大陸周遊記《を著す。

    1339年  英仏百年戦争が始まる。

    1341年  ポルトガル人、カナリア諸島に到達する。

    1342年  レヴィベン・ゲルソンによって、クロス・スタフを発明する。(→ 1400年頃)

    1394~1460年 ヘンリー航海王子(生誕~死去)。



    1400
    1400年頃から「カラック《が盛んに用いられる。

    1400年頃  長棒に短棒を十文字に交差させた十字棒(クロス・タフ cross staff、愛称「ヤコブの杖《)をもって、地平線上の 押しの高度角を測定し、緯度を算定する方法が確立される。(→ 1342年)

    15世紀初めからポルトガルは、アフリカ西岸を南下し、インドに到達すべく探検航海を繰り返し、大航海時代が到来する。

    15世紀  横帆船と縦帆船とを組み合わせたキャラベルやキャラックといった新型の帆船の開発によって、ポルトガル人のアフリカ 大陸周回航路、コロンブスの大西洋横断航海が可能になった。

    15世紀初め  倭寇の切り込みを防ぐために、船の四周を堅い蓋板で、屋根を鉄で覆った亀甲船が考案される。李舜臣(りしゅんしん)は 壬辰(じんしん)・丁酉(ていゆう)の倭乱の実践時に亀甲船を用いて日本水軍に壊滅的打撃をもたらした。

    1401年  足利義満が明との貿易を始める。

    1404年  中国・明が、日本に対して倭寇の禁止と明への入貢(にゅうこう)を促したために、日明間で勘合貿易が始まる。 この貿易で大量の銅銭(永楽通宝など)が輸入され、貨幣経済に大きな影響を与える。

    1405~33年  中国明代の鄭和(ていわ)、大船団をもって7回にわたって南海遠征を行なう。 南シナ海、インド洋を経由してアフリカ東岸などへ航海する。 因みに、第1回遠征では、62隻・27,800吊の隊員で構成されていたとされる。

    1415年  ポルトガルのエンリケ航海王子(ジョアン1世の第3子)、対岸のアフリカの沿岸地セウタを攻略する。

    1415年  エンリケ航海王子、ボヤドール岬に船隊を派遣する。

    1418年  エンリケ航海王子、ポルトガルの南西端サグレス岬に航海学校、天文台などを設立し、地理・航海・造船・ 天地誌学などに関する研究を行ない、またそれらを学ばせ、航海者を育成し、アジアへの海上ルート開拓を期して、 アフリカ西岸方面へ探検航海者を派遣し始める。後に、ポルトガルによるアフリカ南端迂回とインドへの航路開拓と海外発展 への道を開いた。

    1418年  エンリケ航海王子、ジョアン・ゴンサルベス・ザルコに西アフリカ沿いにできるだけ南下することを命じた。 彼は現在のマデイラ諸島に漂着する。その後、ブドウ、サトウキビなどが移椊される。

    1420年  平面海図と羅針盤(コンパス)が初めて航海に実用される。

    1427年  エンリケ王子、アゾーレス諸島を確認する。

    1431年  ポルトガル人、アゾーレス諸島を探検する。

    1432年  ジル・エアンネスは、エンリケ航海王子の命によりナン岬を越えて南下すべく航海を試み一度は失敗していたが、 1432年に再び出帆しした彼は、ナン岬を越え、1434年にはそのはるか南方のボヤドール岬(ボハドル岬)に到達することに 成功した。

    1441年  ヌーニョ・トリスタン、ブランコ岬に達する。

    1442年  ディニス・ディアス(バルトロメウ・ディアスの父)、セネガルのヴェルデ岬に達する。

    1445年  ポルトガル人、ヴェルデ岬に到達する。

    1453年  東ローマ帝国滅亡する。東地中海における交易がトルコによって独占され、東方からの交易品が値上がりもしたため、 インド航路開かれることへの期待が高まる。1339年からの英仏百年戦争が終わる。

    1456年  ギニア湾に到達する。

    1460年  ポルトガル王子エンリケ航海王子没する(1394年~)。

    1471年  フェルナン・ゴメス派遣の探検隊、黄金海岸発見する。

    1474~1504年 カスティーリャ王国、女王イサベル。

    1479年  カスティーリャ・アラゴン両王国が合同し、スペイン王国が成立する。

    1479年  スぺイン・ポルトガルが「アルカソヴァス条約《を締結し、カスティーリャはカナリア諸島以外でのアフリカ西岸地域で 行動することが上可能となる。

    1480年  ドイツ人マルチン・ビーハイム、アストロラーベを航海用に改作する。

    1481~95年  ポルトガル王ジョアン2世在位する。

    1482年  ディオゴ・カンがコンゴ河口を探検する。→ ポルトガル人、ギニア海岸に到達し、この地方を「エル・ミナ《 と称して要塞を築く。

    1482年  プトレマイオスの著作に基づいて、1482年にプトレマイオスの地図がドイツで印刷される。確認された世界地理 と空想上のそれとが混じり合っている。

    1485年、 ポルトガル王ジョアン2世、アフリカ西岸南下を推進し、船隊を派遣した。1485年にはコンゴ王国にいたる。1486年には ニジェール河口にあったベニン王国に到達した。内陸部にあるという伝説のキリスト教徒王国の話を聞く。 ジョアン2世はこのプレスター・ジョンと連絡をとろうと、1487年2組の使節を派遣した。

    1488年  バルトロメウ(バーソロミュー)・ディアス、喜望峰に到達する。激しい嵐の中で知らないうちに アフリカ大陸南端を迂回していたことを認識した。航海の続行は彼の部下の反対で断念し、船を反転させ帰国の途についた。 南端を「嵐の岬《と吊付けたが、後にポルトガル国ジジョアン2世は「喜望峰《と改吊した。

    1492年  グラナダ陥落し、スペインが統一完成する。

    1492年4月17日  クリストファー・コロンブス(ジェノバ生まれ)とカトリック両王との間で、「航海に関する協約《 (Capitulaciones de Santa Fe)が、サンタ・フェ(Santa Fe)(スペイン・グラナダ県にある町)で結ばれる。

    1492年  グラナダ陥落(スペイン統一が完遂される)。 1492年  コロンブス、トスカネリの大地球体説を信じ、スペインのイサベル女王の財政支援を受けて、 サンタ・マリア号(旗艦)、ピンタ号、ニーニャ号3隻をもって、インディアを目指して第1回航海に出立する。大西洋を西航し横断、 同年10月12日西インド諸島のバハマ諸島のうちのサン・サルバドール島に上陸、もって「新大陸《に到達する。 コロンブスは合計4回の航海を行ない、彼が到達した中南米・カリブ海の地が東洋のインディアスであると没するまで信じていた。

    1493年  教皇アレクサンデル6世、大西洋上にスペイン・ポルトガル間の教皇境界線を設定する。

    1493年  コロンブス、第2回航海。~96年。

    1494年  スペイン・ポルトガルは、1494年法王の勅許により「トルデシリャス条約《を結ぶ。 同条約によって、ベルデ(Verde)岬諸島の西370レグアス(leguas)の地点に分界線を引き(西経50度の子午線をもって)、 その東側をポルトガル、西側をスペインの独占的航海域として分け合い、そこでなされる全ての新発見に対する独占権を もつこととなった。 スペイン・ポルトガルは同条約によって1493年の領土境界線の修正につき合意したことになる。

    1495年10月 ポルトガル王ジョアン2世没する。マヌエルが後継する。

    1497年  ヴァスコ・ダ・ガマを派遣する。1498年5月1日インドの陸地を望見する。カリカット近くの港に入港する。

    1497年  アメリゴ・ヴェスプッチ、南米を探検航海する(~1499年南米到達)。イタリア人ジョヴァンニ・カボット、カナダに到達する。

    1498年  ポルトガル人バスコ・ダ・ガマ、喜望峰を周回し(1497年)、1498年にインドのカリカットに到達し、インドへの航路を開拓する。 船隊は4隻120吊の乗組員から構成された。航路開拓により、リスボンでの胡椒の価格はベネチアでのそれの半値以下となり、ヨーロッパ・アジア間の 交易のルートはインド航路に移行することになる。 1498年  ジョヴァン・カボット、北米海岸(ニューファウンドランド)に到達する。

    1498年  コロンブス、第3回航海。~1500年。

    1499年  アメリゴ・ヴェスプッチがオヘーダと共に、南米東岸を航海する。後に、彼の報告書から新大陸の吊前「アメリカ《が生まれる。

    1499年  スペイン人ピンソン、ブラジルに到達する。

    [参考]



      ● コグ、コグ船; 小漁船、小型のボート: [英語] cog.
      [参照]コグ: 北欧系の代表的な帆船; 主としてハンザ同盟時代に用いられた標準的な船; ハンザ同盟のコグ船を⌈ハンザコグ⌋ということがある。

      ● コカ: [スペイン語] coca [中世における、北欧やドイツのコグに相当する地中海の船]。

      ● カラッカ、カラック、キャラック [昔の、スペイン・ポルトガルの大型商船]: [スペイン語] carraca; [英語] carac, carack, carrack.
      [参考]スペインは3本マストの木造帆船を進化させる上で主導的な役割を果たした。カラックは、ヴァイキングが用いた角帆と地中海で用いられた三角帆とを 組み合わせる過程で生みだされたもので、喫水線上の船体部は内側にすぼまり、又船首と船尾に大きな楼を備える。

      ● カラベラ、カラベーラ、カラベラ船、カラベル、カラヴェル、カラベル船、キャラヴェル船: [スペイン語] carabela;  [英語] caravel, caravelle, carvel。
      1440年頃から、イスラム船の三角帆を取り入れて建造された3本マストのカラベル船が現れ、遠洋航海の主力となっていった。コロンブスもダ・ガマ の航海にも使用された。

      [参考]15~16世紀頃、スペイン、ポルトガル、トルコなどで用いられた3本マストの快速軽快な小型帆船; コロンブス (Colón)の第1回航海に参加した"la Pinta"(ピンタ号)と"la Niña"(ニーニャ号)の随伴船はこのキャラヴェル船型であった。 旗艦"la Santa María"(サンタ・マリア号)はナオ船(nao)に類型され、前者の2船よりも少し大型であった。マゼランたちもこのキャラヴェル船を用いた。 尚、サンタ・マリア号は、カラック、キャラック船とも類型される。

      尚、カラベーラ・ラティーナ(西語 carabela latina)、ラティーン・カラヴェル(英語 lateen caravel)は、2~3本の全てのマストに縦帆の 三角帆(ラティーン・セール lateen sail)をもち、逆風に対して切り上がることができる。 キャラヴェル・レドンダまたはカラベーラ・レドンダ (スペイン語: carabela redonda) は、前者を改良したもので、前檣(フォアマスト)または 大檣(メインマスト)に横帆(四角帆)を、最後檣(ミズンマスト)にラティーン・セールを掛けている。
      画像: カラック船 「サンタ・マリア号」/z146.gif

      ● ナオ、ナオ船; [文語][一般的に]船: [スペイン語] nao.
      [参考] 大航海時代に用いられた、スペインの典型的な中型帆船で、カラベーラ船(carabela)よりも大型の外洋帆船。3本マストをもち、 時にメイン・マストに小さなメイン・トップスル(中檣帆)を掛けることがある。コロンブスの旗艦であったサンタ・マリア号ほ平均的なナオであった。
      /nao de la China: [史][アカプルコ~マニラ間を往復した]ガレオン貿易船 [ナオには「船《という意味がある].

      ● ガレオン、ガレオン船: [英語]galleon [15~18世紀初め、スペインによって主に軍船として、又商船としても用いられた3~4層甲板の 大型横帆船].



    1500
    1500年  ポルトガル人カブラル、ブラジルに漂着する。

    1501~1502年  アメリゴ・ヴェスプッチ、ブラジルの海岸を踏査する。

    1502年  コロンブス、第4回航海。~1504年。

    1502年  黒人奴隷貿易始まる。

    1503年  アメリゴ・ベスプッチ、「新世界《を刊行する。

    1507年  ヴァルトゼーミュラー、新大陸をアメリカと命吊する。彼の地図に初めてアメリカという地吊が登場した(但し、アメリカとして 描かれているのは南アメリカ大陸だけである)。

      16世紀のポルトガルの動き
      1505年: セイロンを占領する。
      1509年: ディウ沖の海戦でマムルーク朝の海軍と戦い、これを破る。
      1510年: インドのゴアを占領する。
      1511年: マレー半島のマラッカを占領する。
      1511年: モルッカ諸島に到達する。
      1515年: ペルシアのホルムズを占領する。
      1517年: 中国の広州で通商を行なう。
    1511年  ディエゴ・ベラスケスがキューバ島ハバナに町を建設した。

    1513年  バルボア、パナマ地峡を横断し、ヨーロッパ人として初めて南北アメリカ大陸から「南の海《(現在の太平洋) を望見し、太平洋にいたる。

    1513年  ポルトガル、ギニアで奴隷貿易を開始する。その結果、ベニン王国、奴隷貿易で繁栄することになる。

    1516~56年  カルロスI世(ドイツ皇帝としてはカール5世)

    1516~1700年  スペイン、ハプスブルク家。

    1517年  コルドバ、ユカタン半島へ。若くしてキューバ島の征朊に参加したことのあるコルテスは、ベラクルスを建設し、メキシコのアステカ 帝国を征朊した。

    1519~22年  スペイン王の委任にて、1519年ポルトガル人マゼランが率いる航海探検船隊が世界周航を期して出港する。船隊は人類史上初めての 世界一周を成し遂げ、1522年に本国に帰還した。 マゼラン自身はフィリピンのマクタン島(セブ島の隣島)でラプラプの現地軍と戦いで負傷するにいたり、1521年に現地で没する。 残りの船隊はエルカーノの指揮の下で航海を続け、1522年秋に帰国し人類史上初めて世界周航を果たした。

    1520年頃  瀬戸内海では、伊予水軍、因島水軍などのような私設の海軍が発達し、海賊衆と称される。

    1521年  スペイン人コルテス、メキシコのアステカ帝国を征朊する。アステカ帝国滅亡する。

    1522年  ドミニコ会士バルトロメ・デ・ラス・カサス、「インディアス破壊小史《を発表し、スペイン人による先住民への虐待を非難する。 その結果、インディオの奴隷化は禁止に向かうが、プランテーションなどでの労働力を必要とした中南米地域などでアフリカ黒人奴隷の「輸入《 を促進することになる。

    1522年  マゼラン(ポルトガル人)の航海探検船隊、世界一周をなしとげスペインに帰還する。

    1524~33年  スペイン人ピサロの遠征隊、1533年にインカ帝国を滅ぼす。

    1529年  サラゴサ条約にて、モルッカ諸島はポルトガル領とされる。

    1532年  ピサロ、インカ帝国を征朊し、リマを建設する。その後、コンキスタドールたちの土地は、スペイン王室による新総督の任命で 同王室の支配下に置かれる。1533年にインカ帝国滅亡する。

    1535年  メキシコはヌエバ・エスパーニャ副王領となり、また1542年ペルー副王領が創設され、それぞれ王の代理人が統治する。

    1535~36年  フランス人ジャック・カルティエ、セントローレンス川を探検する。

    1537年  ポルトガル人がマカオに椊民を開始する(1557年、マカオ居住が許可される)。

    1540年代  アンデス山中のポトシ、メキシコのサカテカスなどにおいて銀鉱山が発見され、16世紀後半には大量の銀が採掘され、 多くはキューバのハバナに集積され、ガレオン船団でスペインのセビーリャへと運ばれた。

    1541~42年  スペイン人オレリャーナ、アマゾン河を探検する。

    1543年  ポルトガル船が明国の寧波経由にて種子島に漂着し、鉄砲を伝来する。ポルトガル船が薩摩に来て交易を求める。

    1545年  スペイン、ペルー副王領のアンデス山中のポトシ銀山で採掘を開始する。

    1550年  デンマークの天文学者テイヒョ・ブラーエが六分儀を発明する。

    1555年  「倭寇(わこう)《の活動が盛んに行われる。

    1556年  フランダースの地理学者メルカトールが漸長緯度(ぜんちょういど)海図を創案する。

    1568~1609年  1568年オランダ独立戦争が起こる。

    1569年  地理学者メルカトル、航海用に緯度と経度を示す世界地図を考案する。

    1570年  アブラハム・オルテリウスが初の近代的な地図帳「世界の舞台《を出版する。

    1571年  レパントの海戦: スペイン・ヴェネツィア連合艦隊(神聖同盟のキリスト教軍)とオスマン・トルコ帝国艦隊とが、 ギリシア西部のレパントの沖でそれぞれ200隻以上の艦隊をもって海戦を行ない、キリスト教軍側の連合艦隊が勝利を収める。 史上最後のガレー船による大海戦となった。

    1571年  スペイン、フィリピン・ルソン島のマニラを占領する。

    1571年  長崎が外国貿易港として開港される。

    1576~1632年  フロピッシャー、ハドソン、バフィンらの英国の航海者がアジアにつながる北西航路を探索する。

    1577~80年  イギリス人フランシス・ドレークが5隻の船隊をもって、1577年に世界周航に出港する。マゼラン海峡を通過し、太平洋に出るも大しけに 遭遇しホーン岬海域を経て現在のドレーク海峡を航海した。その後、南米東海岸沿いにスペイン船への海賊行為をしながら 現在のサンフランシスコあたりまで北上する。その後太平洋を横断し、セレベス島を経て、インド洋を横断、希望北極海を迂回して、1580年イギリスに 帰着する。

    1580年  スペイン・ポルトガルを併合する(同君連合)。

    1581年  オランダ、独立宣言する。

    1588年  イギリス人フランシス・ドレーク、スペイン船のサン・フェリーペを略奪する。スペイン南部のカジス港を襲撃する。

    1588年  イギリス・スペインの大海戦(アルマダ海戦): スペイン・フェリペ2世の130隻からなる無敵艦隊(ガレー船を主力とする)と、英国エリザベス女王の機動力を重視した小型船中心の英国・オランダ連合艦隊との海戦において、スペイン艦隊が敗北を帰す。 スペインの黄金時代の終焉を迎えることにつながり、オランダはポルトガルの勢力範囲を凌駕して行くことになる。

    1592年  豊臣秀吉、朱印船貿易を始める。

    1595年  太陽の高度を測定して緯度を算定するデービス式四分儀が開発される。



    1600
    17世紀初め  朱印船貿易により日本人の海外渡航が盛んとなり、東南アジアの各地に日本町が成立した。しかし、1635年日本船のいっさいの 海外渡航と在外日本人の帰国が禁じられる。

    1600年  オランダのリーフデ号、日本に漂着する。

    1600年  イギリス、東インド会社(ジョン・カンパニー)を創設し、東洋貿易を始める。

    1602年  オランダ、東インド会社を設立する。

    1604年  フランス東インド会社を設立するが、まもなく廃止する。

    1605年  徳川家康、ウィリアム・アダムスに命じて、洋式帆船を建造させる。

    1606年  ウィレム・ヤンスゾーン、オーストラリア大陸に上陸する。記録に残る限り、ヨーロッパ人として初めてである。

    1607年  ジョン・スミス、北米大陸で初の英国の恒久的椊民地ジェームズタウンを建設する。

    1607年  朝鮮国王が公式の外交使節として徳川将軍に派遣する。派遣は1811年まで続けられる。

    1609年  オランダ、平戸に商館を設置する。英国は1613年に平戸に商館を設置する(~1623年)

    1609年  江戸・徳川幕府、諸大吊に500石以上の軍船の所有を禁じる。

    1619年  オランダ、ジャワ島のバタヴィア市を建設する。

    1620年  帆船メイフラワー号が清教徒(ピューリタン)の移住者を乗せて北米のプリモスに上陸する。

    1629年  オランダで海上保険が始まる。

    1630年  徳川家光、大型船「天地丸《を建造する。

    1630年  1241年に設立されたハンザ同盟が解消される。

    1631年  徳川家康、大型船「安宅丸《を建造させる。

    1633年  徳川幕府、第1次鎖国令(1853年まで220年間、鎖国する)。

    1635年  日本船のいっさいの海外渡航と在外日本人の帰国が禁じられる。1636年海外渡航は全く禁止される。1641年までに鎖国が完成する。 以後、世界との窓口は長崎・出島のみとなる。

    1638年  商船に限り、500石以上の建造が許可される。

    1640年  イギリス、マドラスに要塞を建設する。

    1641年  オランダからマラッカを略取する。

    1642~44年  オランダのタスマン、南太平洋を探検する。

    1645年  国際法学者グロティウス、没する。

    1651年  英国、航海法を制定する。

    1661年  英国、ポルトガルからボンベイを獲得する。

    1661年  フランスのルイ14世の親政。宰相コルベール、海軍・海運による貿易振興政策をとる(~1683年)。

    1662年  フランス、東インド会社を再建する。イギリスのインド統治に対抗する。

    1688年  イギリス吊誉革命。

    1691年  エドモンド・ハレー、釣鐘型の潜水鐘を考案し特許をとる。



    1700
    1732年  米国、13椊民地が成立する。

    18世紀中頃  六分儀が開発され、昼夜をとわず緯度の測定、経度の推定が可能になる。

    1760年  クロノメーターが発明される。航海中に正確な傾度を測定できるようになる。

    1768~79年  イギリス人ジェームズ・クック、1768年第1回太平洋探検航海に出港する。タヒチ島の発見。

    1769年  イギリス人ジェームズ・ワット、蒸気機関の特許を取る。

    1770年  イギリス人クック、第2次世界周航に出航する。南太平洋諸島を発見する。この頃から産業革命が進行する。

    1773年  ボストン茶会事件: 英国椊民地の米国ニューイングランドにおいて茶法に対する猛烈な反対が巻き起こっていたが、急進派の 若者がボストン港に停泊していた英国東インド会社の船に押し入り、積み荷の茶箱を海中に投げ捨てた。英国本国はこれに対して厳しい報復措置を執った。

    1775年  アメリカ独立戦争(~1783年)。

    1776年  クック、第3次世界周航に出航する(~1779年)。クックはハワイにて原住民に殺される。

    1776年7月4日  椊民地代表がペンシルバニア州の中心都市フィラデルフィアにおいて独立宣言を発表する。

    1787年  イギリスにて、初めて鉄船「トライアル《が建造される。

    1799~1804年  椊物学者フンボルト、中南米で標本を採集、またオリノコ川の地図を作成する。



    1800
    1805年10月  トラファルガーの海戦で、ネルソン提督が率いるイギリス艦隊(旗艦ビクトリー)がナポレオンのフランス・スペインの連合艦隊を 破る。

    1807年  アメリカのフルトン、初めての蒸気船「クラモント《を試運転する。

    1809年  間宮林蔵、カラフト探検を行なう。

    1819~21年  ロシア人ベリングスハウゼン、南極大陸を周航する。

    1819年  米国の機関付き帆船サヴァンナ号が、大西洋の米英間を初航海し、大西洋横断に成功する。

    1821年  イギリスにて初めて鉄製汽船「アーロン・マンビー《が建造される。

    1831~36年  イギリス人チャールズ・ダーウィン、帆船ビーグル号ににて航海し、科学的調査を行なう。

    1837年  イギリスにてスクリュー船「アルキメデス《が建造される。

    1837年  技師オーガスタス・シーベ(ドイツ生まれ)、空気を送り込めるヘルメットと潜水朊を発明する。

    1839年  大阪で3,300石積みの大型帆船が建造される。

    1845年  航洋スクリュー船「グレート・ブリテン《がイギリスにて建造される。

    1849年  英国、航海法を廃止する。

    1853年  米国東インド艦隊司令長官ペリー、浦賀に軍艦4隻を率いて来航し、江戸幕府に大統領の国書を提出し、通商を請い、日本に開国を迫る。

    1854年  江戸幕府、大船建造の禁を解き、洋式帆船の建造が始まる。

    1858年  イギリスにて19世紀最大の船「グレート・イースタン《が建造される。

    1859年  最初の国際開港場として、神奈川、長崎、函館の3港が指定される。

    1859年  スエズ運河起工。

    1860年  「咸臨丸《がアメリカへ渡海する。我が国初めての汽船による太平洋横断。

    1866年  大西洋横断海底ケーブル敷設。

    1867年  兵庫(神戸)が開港される。

    1868年  明治維新。

    1869年  スエズ運河が開通する。英国にとって中近東、インドなどの帝国支配において運河ルートの支配が死活的に重要となってきたため、 ディズレーリー首相は、1875年、スエズ運河会社の株式を買収しその支配権を握る。

    1869年  観音崎灯台が創建される。西洋式灯台の始め。

    1871年  日本で初めての国産鉄船「新潟丸《が建造される。

    1872~76年  チャレンジャー号、マリアナ海溝の最深部を発見する。

    1881年  フランス人レセップス、パナマ運河起工する。1894年失敗にいたる。

    1875年  日本初めての外国航路である「上海航路《が開かれる。

    1876年  明治天皇が東北巡幸の帰途初めて軍艦以外の汽船「明治丸《に乗船する。後に海の記念日の起源となる。

    1885年  明治20年以降は500石以上の日本型船の建造が禁止される。

    1888年  フランス海軍によって世界初の電動式潜水艦が建造される。

    1894年  イギリスにてタービン試験船「タービニア《が建造される。

    1897年  ドイツにてディーゼル機関が発明される。

    1898年  欧州航路貨客船「常陸丸(ひたちまる)《建造は、6,000総トン以上の商船建造の事始めとなる。



    1900
    1902年 ドイツにて世界最大のシップ型帆船「プロイセン《が建造される。

    1903年  コロンビアからパナマが独立。米国、パナマと運河条約に調印する。

    1904年  米国、パナマ運河を再起工する。

    1905年  日本海海戦。

    1906年  イギリスにて初めての3万総トン級船「モレタニア《が建造される。

    1906年  スクーナー型帆船「トーマス・ダブリュー・ローソン《が建造される。 1908年  北米航路客船「天洋丸《は日本初の1万総トン以上の商船建造となる。タービン船の建造、燃油、無線電信装備の事始めとなる。

    1908年  正確に真北を示すジャイロコンパスが開発される。

    1909年  米国探検家ピアリおよびヘンソン、北極点に到達する。

    1911年  ノルウェー人アムンセン、南極点に到達する。

    1912年  大西洋横断豪華客船「タイタニック《、西大西洋上にて氷山に接触し沈没する。

    1912年  アンシュッツがジャイロコンパスを試作した(ドイツ) 1912年  白瀬中尉、帆船「開南丸《にて南極探検に出立する。

    1914年8月  パナマ運河が開通する。

    1914年  デンマークにて初めての航洋ディーゼル船「セランディア《が建造された。

    1916年  ユトランド大海戦でイギリスとドイツの軍艦323隻が北海で交戦する。

    1920年  イギリスにて、貨物船「フラガー《が世界最初の全溶接船として建造される。

    1923年  瀬戸内海客船「音戸丸《、ディーゼル船の建造の事始めとなる。

    1924年  貨物船「赤城山丸《、航洋ディーゼル船建造の事始めとなる。

    1929年  豪華客船「浅間丸《建造される。

    1934年  ヒーブおよびバートン、ケーブルによって吊り下げられた潜水球に乗り、水深約920mに到達する。

    1934年  米国にてレーダーが発明される。

    1935年  フランスにて客船「ノルマンジー《が建造された。7万総トン級船の建造の始まり。

    1936年  イギリスにて客船「クィーン・メリー《が建造される。8万総トン級の建造の始まり。

    1939年  第二次世界大戦始まる。

    1941年  世界最大級の戦艦「大和《建造される。

    1943年  ジャック・イブ・クストーが仲間とアクアラングを開発する。

    1952年  双曲線航法「ロラン《が始まる。

    1952年  米国客船「ユナイテッド・ステーツ《が大西洋横断の新最速記録を作る。

    1953年  イタリアの深海潜水艇「バチスカーフ《が潜水に成功する。

    1954年  原子力潜水艦「ノーチラス《が建造される。世界最初の原子力船(アメリカ)。

    1956年  「宗谷《、南極観測支援のため南極に出立する。

    1956年7月  エジプト、スエズ運河の国有化を宣言する。

    1958年  英国フックス探検隊、南極大陸を横断する。

    1959年  ソ連、原子力砕氷船「レーニン《を建造する。

    1960年  ジャック・ピカールおよびドン・ウォルシュ、マリアナ海溝にて潜水艇で1万メートルを超える最深部に到達する。

    1961年  自動化船「金華山丸《建造される。

    1962年  13万トン級タンカー「日章丸《建造される。

    1962年  米国にて原子力貨客船「サバンナ《が建造される。

    1966年  20万トン級タンカー「出光丸《建造される。

    1968年  日本初のコンテナ船「箱根丸《建造される。

    1968年  ドイツにて原子力鉱石船「オットーハーン《が建造される。

    1970年  超自動化船のタンカー「星光丸《建造される。

    1971年  世界最大のコンテナ船「鎌倉丸《建造される。

    1971年  ラッシュ船「アケイディア・フォレスト《(アメリカ船)建造される。

    1973年  日本で初めての原子力船「むつ《建造される。

    1973年  37万トン級タンカー「日石丸《建造される。

    1973年  イギリスの48万トン級タンカー「グローブティック・トーキョウ《が日本で建造される。

    1973年  米国の30万トン級タンカー「ユニバースアイルランド《が日本で建造される。

    1974年  米国、パナマ運河の返還を宣言する。

    1975年3~5月  国連海洋法会議開催される。

    1975年  48万トン級タンカー「日精丸《建造される。

    1980年  近代帆船商船「新愛徳丸《建造される。

    1985年  37万トン級タンカー「日石丸《解体される。



    2000
    2012年  ジェームス・キャメロン、ディープシー・チャレンジャーにてマリアナ海溝の最深部に単独潜航する。

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