英国プリモスは数多くの歴史的な航海のスタート・ポイント、あるいは偉大な探検家たちの出航の地として有名である。
* 1530年のこと、英国の一地方の商人であったウィリアム・ホーキンズは、「Paule of Plymouth号」
という船で、西アフリカと在南米スペイン植民地との間の「スペイン貿易」に従事した。
("1530 - William Hawkins & the Paule of Plymouth. A Local merchant and his ship enter the 'Spanish trade'
between West Africa and South America.")
* 1562年、ジョン・ホーキンズは最初の奴隷貿易のための航海を行なった。彼は、父のウィリアム・
ホーキンズにならって大西洋をまたぐ貿易を始める。彼は奴隷貿易に手を染めた最初の英国人である。
("1562 - John Hawkins' first slaving voyage. John follows his father into trade across the Atlantic - the first Englishman to
enter the salve trade.")
* 1577年、フランシス・ドレークは、「ペリカン号」にてプリモスから出航したが、その航海で
世界周航を果たすに至った。その船は、航海途上で「ゴールデン・ハインド号」と改名されたのだが、1580年に世界周航を終えて
ロンドンに帰着した。
"1577 - Francis Drake sets sail around the World from Plymouth."
Sir Francis Drake & Golden Hind - In 1577 Drake sailed from Plymouth aboard the Pelican on a voyage that
took him around the world.
The ship, renamed Golden Hind, arrived in London 1580 to complete the circumnavigation.
なお、西洋人としてはマゼランの探検隊に次いで史上2番目の世界周航であった。
* 1588年7月、英国艦隊はスペイン無敵艦隊を撃破すべくプリモス入り江 (Plymouth Sound) に集結し出撃
して行った。
1588年7月12日早朝、スペインのメディナ・シドニャ提督が率いるスペイン無敵艦隊がイギリス海峡をめざしてラ・コルニャ湾の
泊地を出撃した。英国海軍長官チャールズ・ハワード、フランシス・ドレーク提督、およびフロビッチャー提督らが率いる英国の
全艦隊が集結したのがプリモス沖の海、いわゆるプリモス入り江 (Plymouth Sound) であった。
ハワード長官、ドレークらがプリモスの「ポーの丘」 (The Plymouth Poe) の芝生で屋外ボーリングを楽しんでいる折、イギリス海峡
入り口 (スペイン寄り) を北西に進む130隻、総勢約30,000万ものスペイン無敵艦隊を視認したという英国艦からの第一報「敵艦見ゆ」
がもたらされた。
そして、イギリス全艦隊がプリモス・サウンドから相次いで出撃して行った。なお、英国艦隊はイギリス海峡北東の出口 (北海側)
近くにあるフランスのカレー (Calai) の沖で無敵艦隊を撃破し、スペイン国王に痛撃を与えた。
「アルマダの海戦」と称される戦いである。
* 1620年、「メイフラワー・ピルグリム」たち (メイフラワー号に乗り込んで北米移住をめざした
英国清教徒の一団。「ピルグリム・ファーザー(Pilgrim Fathers)」とも呼ばれる) は、「メイフラワー号」で、新大陸のニューイン
グランドにおける新しい植民地に向けて出航した。彼らの船の一隻が水漏れを起こし、修理する必要に迫られたため、プリモスからの
出航となった。北米への到着と同時に、彼らはすでにプリモス (Plimouth) と名付けられた場所に居を構えた。
"1620 - 'Mayflower Pilgrims' sail aboard the Mayflower to start a new colony in New England.
They sail from Plymouth because one of their ships is leaking and needs repair. On arrival they
settle in a place already called 'Plimouth'."
* 1768-1779年、キャプテン・クックはプリモスから3回にわたる「発見の航海」に出た。
1768 - 1779 - Captain Cook's three "Voyages of Discovery"
* おおよそ1806-10年、ウィリアム・ブライ船長 (1754-1817年) は、オーストラリアにおける
英国の最初の植民地であるニュー・サウス・ウェールズの知事となった。シドニーには彼の銅像が建てられ記念されている。
ブライはプリモスにて洗礼を受け、クック船長と共に出航した。
しかし、フライ船長はそのことよりも、「バウンティ号の反乱」で最もよく知られている人物である。
1806 - Captain William Bligh (1754-1817) becomes Governor of New South Wales (c. 1806-10), the first British colony
in Australia. He is commemorated in Sydney by a statute. Bligh was baptised in Plymouth, sailed with Captain Cook but is best
known for the 'Mutiny on the Bounty'.
* チャールズ・ダーウィンと「HMSビーグル号」。1831年、調査船「ビーグル号」は、ロバート・
フィッツロイ船長に指揮され、プリモスを離れ5年にわたる世界周航の途に着いた。博物学者チャールズ・ダーウィンが乗り
込んでいた。航海中の研究と発見は、ダーウィンの有名な進化に関する作品、即ち「種の起源」を世に送り出すことに貢献した。
Charles Darwin and HMS Beagle - In 1831 the survey ship HMS Beagle, commanded by Captain Robert Fitzroy,
left Plymouth Sound on a five-year world voyage.
Aboard was the naturalist Charles Darwin. Research and discoveries during the journey contributed to Darwin's famous
work on evolution - 'On the Origin of the Species'.
* 1840-1900年、英国政府は移住を支援した。43万人以上の移民が政府の公式の移民港であるプリモスから
出航した。その中には、オーストラリアおよびニュージーランドへの375,000人、北米の英国領(現在のカナダ)への27,000人、
南米への21,000人の移民が含まれている。
1840-1900 - Government Assisted Emigration. Over 430,000 people set sail from the official Government emigration
port of Plymouth - including 375,000 people to Australia and New Zealand, 27,000 to British North America
(modern day Canada) and 21,000 to South America.
参照: 英国「プリモス市博物館&美術館」(Plymouth City Museum and Art Gallery) の展示説明パネルなど.
[博物館訪問: 2013.6.3-4]
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