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京都三大祭りの一つであり、京都の夏の風物詩である祇園祭。平安時代の869年 (貞観 (じょうがん) 11年)、時の朝廷によって、全国に蔓延していた
疫病を取り払って無病息災を祈念するために「御霊会 (ごりょうえ)」が営まれたが、祇園祭はそれを起源にするもので、以来1100年以上も続く。
祭の華は何と言っても「動く美術館」と言われる、壮麗な山と鉾の巡行である(いわゆる山鉾 (やまほこ) 巡行である)。
今年2014年の祭には2つの大きな変化があった。一つは、150年振りに復興された大船鉾(おおふねほこ)が巡行したこと。
二つ目は、49年振りに山鉾巡行が前祭(さきまつり、7月17日)と後祭(あとまつり、7月24日)の2回に分かれて行なわれたことである
(本来の姿に戻ったもの)。
記録によれば、大船鉾は過去に3度焼けた。15世紀の応仁・文明の乱、18世紀の江戸時代の天明の乱、19世紀の幕末における蛤御門の変
(1864年)である。
大船鉾は前2回では何とか復活を果たした。だが、蛤御門の変での大火による3回目の焼失後は、その復活を果たしえず、
かろうじて難を逃れた遺品 (船に載せる御祭神像、前懸 (まえかけ)、後懸 (うしろかけ)などの懸装品 (けそうひん)など)を飾る形で、
「休み鉾」という扱い(いずれ山鉾巡行に復帰するという扱い) にて参加していた。
また、船鉾の保存会では、祭期間中に、町内の共有施設・町家 (ちょういえ) で保管される装飾品を持ち寄るという「居祭(いまつり)」
を継承したりもして来た。その居祭さえも1995年には中止に追い込まれたという。
その後、2007年に居祭を復活させ、更にはユネスコの無形文化遺産登録が追い風となって、大船鉾の船体や屋形などを復元させる
までに漕ぎ着けた。
それを機に、今年2014年から祭は49年振りに本来の姿に戻って、山鉾巡行が前祭と後祭の2回に分かれて行なわれることになった
(1966年に後祭を前祭に統合していた)。
前祭では従来通り7月17日に23基が巡行し、後祭では7月21~23日が宵山期間となり、7月24日に10基の山鉾が巡行した。
(山鉾は大船鉾が加わって全部で33基となった)。
大船鉾は絵画に残る姿などから復興されたという。文字通り船の形をしている。全長7.47m、幅3.25m、高さ6.35mである。真新しい白木の船体を
きらびやかに飾った大船鉾は後祭の巡行の最後尾 (しんがり) を務め、都大路を練り歩いた。*
[画像撮影:2012.10.15 京都市内の船鉾建て展示ショールームにて/2014.07.27記][拡大画像: x26111.jpg][拡大画像: x26113.jpg]
* 山鉾巡行における見せ場は、交差点でそれらの向きを変える「辻回し」で、豪快で迫力満点である。
[参考文献] 新聞記事 「大船鉾150年ぶりの祇園祭。3度本体焼失 保存会理事長として復活に尽力」、京都・四条町大船鉾保存会
理事長・松井米蔵執筆、2014年7月4日付・日本経済新聞(朝刊)。
[寸 言] 所用のため2012年10月15日京都に出向いていた。京都駅に向けて京都タワー付近を急ぎ足で歩いていた時のこと、船の形をした
山車の復興について広告するポスターが一瞬だが目に留まった。「船」という文字が目に飛び込んで来たことから興味心が目覚め、
ガラス張りのショールームの方へ後ずさりして、中を覗き込んだ。
ショールームは1階ではなく地階にあった。ガラス越しに、地階に置かれた「木組みの構造物」に目をやった。階段を降りるのも面倒なことだなと
思いつつも、兎に角見るだけ見てみようと、地階のショールームに降りて行った。
いろいろな説明パネルもあったが、圧巻は展示用に組み立てられた、まだ骨組だけの鉾であった。名前の通り船の形をした骨組みだけで、
何の飾り気もなかったが、これは大変幸運な「遭遇」であると感謝しながら切り撮ったのが、上の二つの画像である。
2年前に切り撮ったこの画像を「特選フォト海&船」にアップして来なかったが、再興された大船鉾がようやく今年2014年の祇園祭に
初めて巡行したというので、それを機にアップする。何かのきっかけかで、撮り置いた画像を思い出して、特選フォトとしてホーム
ページにアップしたり、あるいは何かのエッセイの執筆の機会に貼り付けできたりすると大変嬉しくなる。
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