海洋総合辞典 Comprehensive Ocean Dictionary, 特選フォト・ギャラリーPhoto Gallery, フエルサ要塞Castillo de la Real Fuerza、海洋博物館museo maritime、ハバナHabana, キューバCuba

一枚の特選フォト⌈海 & 船⌋


One Selected Photo "Oceans & Ships"

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フエルサ要塞 [キューバ・ハバナ]











1492年にコロンブスが、アジア(インディア)とりわけジパングをめざしてスペインから大西洋を西航した。同じ年に最初の陸に着達したのは カリブ海のサンサルバドール島 (彼がそう名付けたもの) であった。そして、キューバ島西部の北岸の入り江に スペイン人が入植しその居住地としたのは1519年のこととされる。それがハバナの始まりである。

スペインはその後キューバを重要拠点の一つにして、メキシコやその他の中米地域、さらに南米大陸全土へとその勢力圏を広げて行った。 ハバナは16世紀後半に新世界で最初に要塞化された。そして、ハバナは、特に17~18世紀にかけて新大陸との植民地貿易の拠点あるいは 中継地として、その隆盛を極めた。繁栄のピークを迎えたのは、18世紀後半から19世紀初頭にかけてであった。 他方、ハバナが繁栄するにつれ、英国などの敵対国からの武力攻撃やカリブ海賊による略奪などにつねに警戒と防御を怠るわけには いかなかった。

港町ハバナは縦横に奥行きをもつ大きな入り江(ハバナ湾)を天然の良港にして発展して来たといえる。外洋から湾内のハバナ港へは、 幅わずか数百メートル、長さ1kmほどの狭い水路(アクセス運河/Canal de Entradaと称される)が通じているだけである。 そして、敵国や海賊からハバナを防御するため、ハバナ湾口(アクセス運河の出入り口)の両岸に、16~18世紀にかけて4つの要塞が築造された。




要塞築造の略史
(1)運河出入り口の先端部に、先ずモーロ要塞(Castillo de los Tres Reyes Magos del Morro)が、そしてその対岸の海沿い平地 にプンタ要塞(Castillo de San Salvador de la Punta)が、16世紀末から17世紀にかけて、数10年の歳月をもって築造された。 2つの要塞の間には、運河をまたいで太い鉄鎖が張られ、敵船・海賊船の侵攻を防いでいた。 両要塞は潜在的侵攻者らに対して威圧感を与え、幾多の大砲が睨みを効かせていた。特にモーロ要塞はカリブ海最強の砦といわれた。

(2)運河の中ほどの両岸には、フエルサ要塞(Castillo de la Real Fuerza)、およびカバーニャ要塞(Fortaleza de San Carlos de la Cabaña)が 築造された。フエルサ要塞は16世紀半ばに築造が開始され、16世紀後半に築き上げられたもので、ハバナ最古の要塞であった。 創建時は木造であったが、石造りに再建された。

(3)4つの要塞のうち最後に築造されたのがカバーニャ要塞である。1762年にモーロ要塞を迂回して上陸した英国軍によって背後から 侵攻され、同要塞が11か月間ほど占領された。このことから、防御をさらに堅牢にするため、18世紀後半の1774年にカバーニャ要塞が 築造されたという経緯がある。 その後、スペインは条約に基づきフロリダを英国に譲渡するかわりに、モーロ要塞の返還を受けた。




画像に写る手前の大きな堀のある要塞がフエルサ要塞である。その背後に写る水の帯が外洋 (左側) からハバナ港へ通じるアクセス運河である。 運河対岸の左突端部にモーロ要塞が小さく望見される(同要塞の対岸平地にプンタ要塞があるが、写真には写っていない)。 フエルサ要塞のすぐの対岸高台にはカバーニャ要塞がそびえ立つ。4つの堅牢な要塞を無力化したり、あるいはそれら要塞からの砲撃をくぐり 抜けてハバナ市街に攻め入り占領するのは至難である。ハバナ旧市街は運河のこちら側(即ちフエルサ要塞側)沿いに広がる。

フエルサ要塞の城内は海洋博物館として公開されている。数多くの帆船模型(コロンブスの第一回航海での旗艦サンタ・マリア号 などの3隻の帆船を含む)、航海用具、帆船の船体構造・艤装模型、アンデス山中のポトシ(現在ボリビアに所在)において採掘 された、銀インゴットやスペイン植民地時代のコインの展示など、 スペインによる中米・南米大陸植民地統治史の一端が示される。




* ポトシ(Potosí)
南米ボリビア南部のアンデス山中に位置し標高3500~4000メートルにある町。 1545年に当地で銀山が発見された。豊富な銀が安価に採掘され始め、1500年代後半には 大量の銀が生産されるにいたった。 特に1570年代に導入された水銀アマルガム法(精錬法の一つ)、およびミタ (mita) というインディオに割り当てられた強制労役によって、 銀の生産量は飛躍的に増加した。 ポトシは、メキシコのサカテカス (Zacatecas) 銀山とともに、新大陸における銀山の代名詞になった。 ポトシ産出の銀インゴットは、パナマを経て、ハバナに集積され、ガレオン船団を組んで本国スペインへと海上輸送された。
[西語] potosí: m.ポトシは「無尽蔵の富」を意味する一般語となっている.

[2015.2.2-17 カナダ&キューバの旅/訪問 2015.2.6&10/2015.4.22 記][画像: z20508.jpg] [拡大画像: x26660.jpg][拡大画像: x26661.jpg][拡大画像: x26746.jpg: 説明書き]

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1. フエルサ要塞案内ポスター。 [拡大画像: x26662.jpg]
2. 正面入り口から見たフエルサ要塞全景。 [拡大画像: x26747.jpg]
3. 敷地内に並ぶ大砲。背後には運河をはさんでそびえ立つカバーニャ要塞を望見することができる。 [拡大画像: x26748.jpg]
4. フエルサ要塞の模型(館内展示)。 [拡大画像: x26749.jpg]
5. コロンブスの旗艦サンタ・マリア号の模型 (館内展示)。背後にはコロンブスの像が見える。 [拡大画像: x26750.jpg]


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