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一枚の特選フォト「海 & 船」

One Selected Photo "Oceans & Ships"

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    1908年ブラジル・サントス港の波止場に
    着岸する笠戸丸(写真)
    [旧神戸移住センター]

    ウェブサイトのウィキペディア(2016年7月)によれば、笠戸丸の略史は以下のとおりである。

      笠戸丸は1900年(明治33年)に英国ニューキャッスルの造船会社によって建造された。当初「ポトシ号 (Potosi)」 と命名されたが、後に ロシアの船会社によって「カザン号 (Kazan)」と改名された。

      日露戦争中に中国・旅順港内で被弾し鎮座していたところを、1905年(明治38年)に当時の日本海軍が浮揚させ 戦利品として捕獲した。海軍への移籍後は、笠戸丸(Kasato-Maru)と改名された。

      1906年(明治39年)、東洋汽船が笠戸丸の運航について海軍省から委託を受けて、日本人移民646名をハワイへ輸送した。

      1908年(明治41年)、水野龍氏が社長を務める皇国殖民会社からの依頼を受けて、第1回ブラジル集団移民781名を乗せて、 神戸港からブラジルのサントス港に向けて出航した。画像は、サントス港に到着し、その埠頭に接岸する笠戸丸の雄姿である。

      1910年(明治43年)、大阪商船が、神戸~門司~基隆間の内台航路に就航させるため、同船を傭船した。
      1912年(明治45年)、海軍省から大阪商船に払い下げられ、南米航路に使用される。

      その後、1930年(昭和5年)から1945年(昭和20年)までの間、笠戸丸は日本の民間水産会社に売却されたりしながら、イワシやフィッシュ ミールなどの工船として漁業関連事業にも関わった。 笠戸丸は、1945年の太平洋終結の直前にソ連によって捕獲され、カムチャッカ沖で爆沈され、当時の乗組員はシベリア抑留の運命をたどった。

    [画像撮影 2016.5.28 神戸・旧神戸移住センターにて][拡大画像: x27193.jpg]

    辞典内関連サイト
    ・ 日本の海洋博物館
    ・ 世界の海洋博物館

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