一枚の特選フォト⌈海 & 船⌋


One Selected Photo "Oceans & Ships"

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亀甲船を図案化したマンホールの蓋 [李舜臣将軍ゆかりの地・統営]

歴史を大きく見れば、1592年 (文禄元年) および1597年 (慶長2年) の2回にわたり、豊臣秀吉は大軍をもって攻め入り、また攻めたて 朝鮮を服属させようとした。 日本では「文禄・慶長の役」と称され、韓国ではこの朝鮮侵略を「壬辰倭乱(いむじんわらん)」と称する。

6年半におよぶ両軍の戦いの中で、李舜臣将軍(Admiral Yi Sun-sin)率いる朝鮮水軍は豊臣側(脇坂水軍)を統営と閑山島の間 に横たわる狭水道において撃破し(1592年閑山沖の海戦)、豊臣側の地上軍の侵攻を鈍らせる戦功をもたらした。

韓国南部の沿岸都市・統営の市街地にあるフェリーターミナル近くを通る、いわば統営の銀座通りである「中央路(Jungangno)」 に沿って歩道をたどりと、このデザインのマンホール蓋がたくさん敷設されている。さすが亀甲船を案出したという 李将軍ゆかりの地だけのことはある。

統営市街のフェリーターミナルから閑山島へは、フェリーで3、40分で着く。途中狭水道を横切るが、その辺りの海域で 李将軍率いる軍船と脇坂水軍船とが海戦し、脇坂軍船が撃破された海域である。マンホール蓋にはまさに 海戦勝利のシンボルとしての亀甲船があしらわれている。

[画像撮影: 2016.9.19 韓国・統営にて][拡大画像: x27408.jpg]

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1. 蓋全体のデザイン。 [拡大画像: x27409.jpg]
2. 街路樹周囲の土壌を保全するための鉄製敷板にも亀甲船のデザインが施されている [統営市街の中央路にて][拡大画像なし]


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