一枚の特選フォト「海 & 船」
江戸時代の船の関所・中川船番所の昔風景 (ジオラマ、図絵、写真など)
1 1. 画像は江戸時代の中川船番所を再現したジオラマである。 [拡大画像: x27772.jpg]
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4. 中川船番所の想像俯瞰図。画面右下に船番所が描かれている。江戸湾に注ぎこむ中川(図の上下斜め方向にある川)と小名木川・
船越川(図の左右方向に伸びる川)の交差地にある。小名木川(中川をはさんで右側)は隅田川方面へ通じる。船越川(中川をはさんで左側)
は行徳方面へ通じる。 [拡大画像: x27778.jpg]
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中川船番所の歴史は江戸時代初期に遡る。中川船番所が設置される以前にあっては、深川番所が江戸に出入りする川船を改めていた。
深川番所は小名木川の隅田川口に架かる万年橋の北岸に設置されていた。深川番所の設置年代は不詳であるが、
1647年(正保4年)に深川番が任命されたことから、その頃と考えられている。
その後、1661年(寛文1年)に、深川番所は小名木川の中川口の北岸に移された。
中川船番所は中川関所とも呼ばれた。江戸の出入り口に設けられた河川交通路上の関所である。 江戸川・利根川水系などが整備されるにつれ、江戸と関東各地、さらには東日本方面と結ぶ流通の 要となり、ここを通過する船の積み荷と人が改められた。因みに、武家荷物、商品荷物の査検、武具・武器の通関検査などが行われた。 江戸時代中期以降には江戸へ運ばれる荷物の品目・数量を把握する機能をも担った。 海上交通路上の浦賀の船番所と並び、江戸の出入り口として、河川交通上の重要な機能を果たしていた。 1867年(慶応3年)10月に大政奉還が布告され、翌慶応4年4月に江戸城が開城され、同年9月には明治と 改元された。1869年(明治2年)2月、全国の関所が一斉に廃止され、同年5月には船番所が廃止された。深川番所の設置から 約220年にわたり川船の航行を取り締まって来た中川船番所もここに終焉を迎えた。 中川船番所: 旧中川と小名木川との交わるところ(江東区大島9丁目1番地)が船番所の跡地とされてきた。 [画像撮影: 2017.2.26 中川船番所資料館(Nakagawa museum of ship traffic control station during the Edo period) にて] |