一枚の特選フォト「海 & 船」


One Selected Photo "Oceans & Ships"

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江戸時代の船の関所・中川船番所の昔風景 (ジオラマ、図絵、写真など)


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1. 画像は江戸時代の中川船番所を再現したジオラマである。 [拡大画像: x27772.jpg]

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2. 「中川口」と記される図絵。1834年・1836年(天保5・7年)刊行の「江戸名所図会」より (江東区教育委員会蔵)。手前の小舟3艘が漕ぎゆく川が小名木川で、中川と合流している所である。 その合流点脇に建てられていた中川船番所の、天保 (1830~44年) の頃の情景が描かれている。 [拡大画像: x27773.jpg]

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3. 旧中川番所跡「東京近郊名所図会」其六。  [拡大画像: x27776.jpg]

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4. 中川船番所の想像俯瞰図。画面右下に船番所が描かれている。江戸湾に注ぎこむ中川(図の上下斜め方向にある川)と小名木川・ 船越川(図の左右方向に伸びる川)の交差地にある。小名木川(中川をはさんで右側)は隅田川方面へ通じる。船越川(中川をはさんで左側) は行徳方面へ通じる。 [拡大画像: x27778.jpg]

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5. 「名所江戸百景 中川口」 歌川広重。
左下隅に中川船番所が見える。木材筏が進むのが中川(右方向が江戸湾に通じる)である。番所前には小名木川が流れる(右方向が 隅田川に通じる)。中川をはさんでその反対側は船越川となり、行徳方面へ通じる。 [拡大画像: x27774.jpg]

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6. 「御江戸大絵図」(1843年・天保14年)人文社。中央上下方向に隅田川が領国橋から佃島・江戸湾へと流れる。右端上下方向に は旧中川が流れ下る。徳川家康の命で両河川の間を東西方向に結ぶ運河が開削された。それが小名木川である。旧中川と小名木川との 交点に船番所があった。 [拡大画像: x27775.jpg]

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7. 江戸後期の江戸図 「文政11年分間江戸大絵図」。図下方に中川が流れる(左端に江戸湾がある)。その中央に中川船番所がある。 小名木川は番所のすぐ脇の中川口から流れて隅田川へと通じる。 [拡大画像: x27832.jpg]


中川船番所の歴史は江戸時代初期に遡る。中川船番所が設置される以前にあっては、深川番所が江戸に出入りする川船を改めていた。 深川番所は小名木川の隅田川口に架かる万年橋の北岸に設置されていた。深川番所の設置年代は不詳であるが、 1647年(正保4年)に深川番が任命されたことから、その頃と考えられている。 その後、1661年(寛文1年)に、深川番所は小名木川の中川口の北岸に移された。

中川船番所は中川関所とも呼ばれた。江戸の出入り口に設けられた河川交通路上の関所である。 江戸川・利根川水系などが整備されるにつれ、江戸と関東各地、さらには東日本方面と結ぶ流通の 要となり、ここを通過する船の積み荷と人が改められた。因みに、武家荷物、商品荷物の査検、武具・武器の通関検査などが行われた。 江戸時代中期以降には江戸へ運ばれる荷物の品目・数量を把握する機能をも担った。 海上交通路上の浦賀の船番所と並び、江戸の出入り口として、河川交通上の重要な機能を果たしていた。

1867年(慶応3年)10月に大政奉還が布告され、翌慶応4年4月に江戸城が開城され、同年9月には明治と 改元された。1869年(明治2年)2月、全国の関所が一斉に廃止され、同年5月には船番所が廃止された。深川番所の設置から 約220年にわたり川船の航行を取り締まって来た中川船番所もここに終焉を迎えた。

中川船番所: 旧中川と小名木川との交わるところ(江東区大島9丁目1番地)が船番所の跡地とされてきた。 [画像撮影: 2017.2.26 中川船番所資料館(Nakagawa museum of ship traffic control station during the Edo period) にて]


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