一枚の特選フォト「海 & 船」


One Selected Photo "Oceans & Ships"

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隅田川岸に立つ石川島灯台(再訪)

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1. 撮影日時: 2018年6月27日

2. 撮影場所: 東京・中央区リバーシティ21地区の隅田川岸にある石川島灯台

3. 画像1&2は江戸時代末期に建てられた石川島灯台である。「江戸時代末期の佃島・石川島」と題する区立の灯台史跡案内板には 次のように記される。

      佃島は摂津国西成郡田村(現在の大阪市西淀川区佃)の漁師達が幕府の許可を得て築造した漁村である。
      家康が1582年(天正10年)、京都から堺の地に遊んだ時、本能寺の変が伝えられ、急遽踵を返して 間道を通り抜け大阪に向かったが、出水のため途方にくれている時に佃村の庄屋孫衛門が多数の舟を出し て一行を助け、ここに徳川家と佃島漁民の間に固い絆が結ばれることとなった。
      その後、家康が江戸に幕府を開くにあたり、佃村の漁師に対する恩賞として彼らに幕府の御采御用 を命ずべく、老中安藤対馬守を通じて、その出府を促し、1613年(慶長18年)には「網引御免証文」を与え、 江戸近海において特権的に漁が出来るようになった。
      1644年(正保元年)には現在の地に百間四方の土地を埋め立てて築造し故郷摂津国の住吉神社の分霊を奉祀し、島の名を佃島と命名した。
      石川島の灯台は1866年(慶応2年)、石川島人足寄場奉行清水純畸が、隅田河口や品川沖航行の船舶のため、油絞りの 益金を割き、人足の手で寄場南端に常夜灯を築かせたもので六角二層の堂々たる灯台であった。この完成を最も喜んだのは近在漁師であった。
      このたび佃公園を整備するにあたり、モニュメントとして灯台を建設するとともに、護岸前面に安藤広重の浮世絵をレリーフしたものを 3題設置して往時をしのぼうとするものである。
                          平成元年3月 中央区土木部公園緑地課

画像3は、住吉小橋 (地図6参照) の橋床に施された図絵である。灯台直下の岸辺で子どもらが磯遊びをし、千石船が隅田川河口を往来する。  図絵には作者・年代の説明書き添付なし。
1.[拡大画像: x28234.jpg] 2.[拡大画像: x28278.jpg] 3.[拡大画像: x28259.jpg] 

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4. 灯台史跡案内板に記される江戸時代末期の「石川島人足寄場」と「佃島」の略図。当時は「石川島灯台」や「佃渡し」付近が 隅田川と江戸湾の境目辺りであった。 [拡大画像なし][拡大画像: x28235.jpg: 灯台史跡案内板]
5. 「佃堀」に架かる佃小橋(朱色の橋)が見える。略図4に記される漢字「佃」の直下に記される橋印が佃小橋であり、佃島の東・西を つないでいる。図6をも参照のこと。

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6. 「現在地」が石川島灯台の位置である。中央区の緑地課設営の佃公園案内図より。

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7. 灯台は、リバーシティ21のある石川島と、その上方の佃島に架かる住吉水門・住吉小橋のすぐ傍(北側)に立つ。 [図の方位について]下方が北、上方が南である。

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8. 画像8の古地図には「明和8年」という年号の記載が読み取れることから、1770年代作成と推察される(元号・明和は1764年-1772年 までの期間の元号; 江戸幕府の徳川家治の時代に当たる)。
地図下方の川は江戸湾へ注ぐ大川(隅田川)。その最左が河口に当たる。江戸時代1644年に埋め立てられた佃島が赤い矢印で示される。 その右側にある小島は石川島。隅田川に架かる橋は、最左から永代橋、新大橋、両国橋。 両国橋のすぐ上流にて神田川が注ぎ出る。中央右端にある池は上野の不忍の池。神田川は江戸城東方にて2方向に分かれ、江戸城の外濠の 水源として利用されている。  [拡大画像: x28260.jpg]


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