一枚の特選フォト「海 & 船」


One Selected Photo "Oceans & Ships"

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横浜の1870年代のイギリス波止場(象の鼻)の模型 [横浜市立歴史博物館]

2017年1月〜3月に横浜市立歴史博物館・神奈川大学日本常民文化研究所の共同主催による展覧会「和船と海運」 が開催された。横浜市立歴史博物館(Yokohama History Museum)では、サブテーマ「江戸時代横浜の海運」と題して、 1月28日〜3月20日まで開催された。

同館常設展では、原始、古代/縄文・弥生時代、中世、近世、近代、近現代までの横浜にまつわる発展の歩み、 史跡、文物、出来事などを紹介する。海にかかわるものとしては、江戸時代まで入り江であった所を干拓・ 造成なされた吉田新田、横浜開港後世界へ向けて伸長した外国航路の発展史、生糸などの輸出、和船と洋式船の混じり合う 港景などを、パネルや文物で展示される。画像はそのうちの一つで、外国との貿易が開始されてから10年ほど経た明治初期の頃の 横浜の港の波止場を復元した模型である。

横浜の開港当時、港湾荷役のために2本の突堤 (後にイギリス波止場と呼ばれることになる) からなる波止場が造営された。 外国航路の大型蒸気船や機帆船などはこの突堤に直接接岸できず、そのため沖合いに停泊した。貨物は、はしけ・ 荷足(にたり)船、あるいは瀬取(せどり)船という小船に積み替えられて、 それらの沖掛りした船と波止場との間で搬送された。

貿易取扱い量が増大し、最初の波止場では十分対応できない状況となり、その波止場の近傍南側に新たに2本の突堤が 1864年(元治元年)に造営された。フランス人居留区前であったことから、フランス波止場と呼ばれた。

1866年(慶応2年)に関内地区で大火が発生し、外国人居留区ではその3分の1ほどが焼け出され、また開港当初の運上所 (貿易事務を扱う役所; 現在の税関に相当する)も焼失した。 大火後波止場の諸施設が拡充され、最初の2本の突堤も延伸された。突堤の形状は、その先端近くで大きくカーブするもの であったことから、「象の鼻」というニックネームで呼ばれるようになった。突堤先端には、英国人技師ブライトン によって設計された灯竿が設けられた(以上、下の画像参照)。

画像は、その大火後に改修された1870年代のイギリス波止場の復元模型である。「象の鼻」は現在大型客船発着ターミナルである 大桟橋のそばに復元されており、当時を偲ぶことができる。

[2017.03.17 横浜市立歴史博物館にて][拡大画像: x27547.jpg]


画像の中央上部にイギリス波止場がある。そのすぐ下方の海岸沿いに税関が、さらにそのすぐ下方に県庁が立地する。 右端にフランス波止場がある。 [拡大画像: x27548.jpg]


1958年(昭和33年)の「横浜開港100年祭パンフレット」/南区・川上信次氏寄贈と記される。 [拡大画像: x27549.jpg]


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