一枚の特選フォト⌈海 & 船⌋


One Selected Photo "Oceans & Ships"

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按針塚/ウイリアム・アダムス(三浦按針)とその妻お雪の供養塔
[横須賀・塚山公園]

画像は横須賀の県立塚山公園内にある三浦按針とその妻のお雪の供養塔である。右側が按針、左側がお雪の供養塔(通称 「按針塚」)である。

三浦按針の略史
按針は英国人で、本名をウイリアム・アダムスという。
・ 1564年英国ロンドン郊外のメッドウェイ市(旧ジリンガム市)に生まれる。
・ 少年時代の12年間造船工として働いた後、英国海軍に身を投じる。16世紀末期英国艦隊が当時の最強国であったスペインの 無敵艦隊に挑んだ「アルマダの戦い」に参加している。
・ その後、1598年に5隻のオランダ船団(オランダのファン・ハーヘン会社の東洋探検船団)の一隻に航海長として乗り込み、東洋に向けて 船出する。
・ 1600年4月(慶長5年3月)、同船団は台風に遭遇し、アダムスが乗り込んだリーフデ号の一隻のみがかろうじて九州・豊後国 (現在の大分県)臼杵に漂着する。生き残った船員24名の中には、後に東京・八重洲の由来となるヤン・ヨーステンもいた。

アダムスは時の五大老の一人であった徳川家康に謁見した。家康に高く評価されたアダムスは、英国への帰国は許されず、 政治・外交顧問として召し抱えられるとともに、江戸にあっては日本橋に屋敷が与えられた。 また、当時の相州三浦郡逸見村において250石の領地が与えられた。アダムスは西洋人で初めて侍の身分(旗本)をえて、帯刀が許された。 アダムスこと按針は、幾何学、造船術、航海術、砲術などを伝授した。また、伊豆の伊東において西洋式帆船の建造を指揮した。 家康なき後は不遇の身となり、1620年(元和6年)5月、平戸にてその生涯を閉じた。享年57歳であった。

最寄りの駅は京浜急行「安針塚」駅。塚山公園は標高130メートルほどの山中にあり、同駅から徒歩20分ほどの距離 にある。
[2017.06.20 横須賀・県立塚山公園・按針塚にて][拡大画像: x27839.jpg][拡大画像: x27840.jpg: 説明書き]


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