一枚の特選フォト⌈海 & 船⌋


One Selected Photo "Oceans & Ships"

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高田屋嘉兵衛と西廻り海運業

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画像1-4の出典は、「神戸築港資料館ピアしっくす (Kobe port-building museum "Pier Six")」に展示される、「江戸時代の兵庫津 (ひょうごのつ)」と題するパネルである。パネルの説明書きを概略紹介する。

画像1は、1700年代後期から廻船業において活躍した高田屋嘉兵衛 (たかだやかへえ) の肖像画である。 淡路島の生まれ。兵庫で船乗りの修行をした後、樽廻船 (たるかいせん) の乗組員となった。1795年に1,700石積みの辰悦丸 (しんえつまる) を 建造し、その後廻船・交易業によって一躍豪商となった。肖像画所蔵: 北方歴史資料館(函館市)。

画像2は、弁才船 (べんざいせん) の模型写真である。弁才船は17世紀 (1600年代) 前半に、主に瀬戸内海において活躍していた船の 型である。当時は300石 (こく) 積みの中型の船であったが、流通経済の発展とともに、1,000石積み、さらに1,500石積みへと 大型化され、全国に普及していった。

弁才船模型の船尾の幟には「神博丸」と記される。1,600石積弁才船 (樽廻船) である。模型所蔵: 神戸市立博物館。
[註釈] 江戸時代には米の量を石 (こく) で表わしたが、1,000石積みできる船を千石船 (せんごくぶね) と呼んでいた。

「高田屋嘉兵衛と樽廻船 (弁才船)」と題する展示パネルでは、概略以下の通り説明されている。

    兵庫津 (ひょうごのつ) は、江戸時代に入ると、大阪の外港的な役割を担っていたので大いに栄えた。 大阪の河川が浅いために、諸藩から来航する廻船は積み荷を兵庫津で積み替えてから小船で大阪に運んでいた。 このため諸藩から搬入された商品の陸揚げ地として重要であったからである。 また、江戸時代中期頃から、上方 (大阪、京都、灘) で生産された酒を江戸まで輸送する機能を果たしていた樽廻船という 貨物船が明治半ばまで活躍していた。

    高田屋嘉兵衛、1769年 (明和6年) に淡路島で生まれる。22歳にして樽廻船の船乗りとなり、西廻り航路で交易する廻船問屋 として廻船業(海運業)に乗り出す。 28歳にして、当時国内最大級の1,500石積み船「辰悦丸」を建造する。 その当時寂しい漁村に過ぎなかった函館を商売の拠点とした嘉兵衛はその後豪商になった。

画像3は、江戸時代の大阪湾の航路図である。所蔵:神戸市立博物館。


[参考]
1. 東廻り航路: 日本海側の東北沿岸諸港から津軽海峡を通り太平洋側へ抜け、太平洋岸沿いに南下し、江戸にいたる航路。
2. 西廻り航路: 日本海側の東北南部諸港から日本海岸沿いに南下し、関門海峡を通り抜け、瀬戸内海沿いに航海し、 大阪にいたる航路。
3. 江戸・上方航路(菱垣廻船・樽廻船): 大阪から紀伊半島を周回し江戸いたる航路。上方から江戸へ、 塩・酒・醤油などが運ばれた。
4. 北前船: 上方の大阪や兵庫を出港し、瀬戸内海や日本海の沿岸諸港に寄港し商売をしながら北海道にいたり、 帰途においては北海道の昆布、ニシンなどを仕入れて上方に帰ってくる船。


[画像撮影: 2017.10.6. 「神戸築港資料館ピアしっくす」にて]
[拡大画像: x27980.jpgパネル全体][拡大画像: x27992.jpg][拡大画像: x27993.jpg][拡大画像: x27994.jpg][拡大画像: x27995.jpg]



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4. 日本沿岸の主要航路: 東廻り、西廻り、江戸・上方航路(菱垣廻船・樽廻船)など。  [拡大画像: x28001.jpg]


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