15世紀末、ヴァスコ・ダ・ガマ(1469年~1524年)は、アフリカ大陸南端の喜望峰を周回し、大陸東岸を北上し続けた。そして、
マリンディからインド洋を横断し、ついにインド西海岸に到達した。画像1は、リスボンのジョロニモス修道院に隣接するサンタ・マリア
教会内に安置されるダ・ガマの石造りの重厚で厳かな棺である。彼の棺の対極にはポルトガルで最も有名な国民的詩人カモンイスの
それが安置されている。
1497年7月、時のポルトガル国王マヌエル1世の命を受けたダ・ガマはポルトガル船団4隻を率いてリスボンを出航した。
彼は、10年ほど前にバルトロメウ・ディアスが到達したアフリカ大陸南端の喜望峰を周回し、さらに大陸東岸を北上し続けた。
マリンディにてアラブ人の水先案内人イブン・マジードを雇い入れ、インド洋を東航した。そして、1498年5月ついにインド亜大陸の西海岸
(マラバール海岸)のカリカットに到達した。
ダ・ガマらはイスラム商人らの妨害を受けながらも、大量の香辛料を調達し季節風を利用してインド洋を西航した。そして、1499年9月
ポルトガルに帰還した。
インド航路の実現はその後の経済や貿易に大きなインパクトをもたらした。オスマン帝国の支配地域を経ることなくヨーロッパからインドへ
たどることができるという、アジアへの直航の海上交易ルートが実現した。他方、当時中継貿易都市としてアジア貿易を独占的に
していたヴェネツィアは大打撃を受けることになった。交易の流れはインド航路に取って代られ、ポルトガルがその海上ルートを独占した。
当然の成り行きとして、ポルトガルの国富は拡大の一途をたどることになる。
[画像撮影: 2018.9.23 リスボンのジョロニモス修道院/サンタ・マリア教会訪問]
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3. 棺側面に刻まれる帆船。 [拡大画像: x28303.jpg]