一枚の特選フォト「海 & 船」


One Selected Photo "Oceans & Ships"

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荷足船(にたりぶね)模型(縮尺1/5) [大森海苔ふるさと館]

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画像 1~3 は、東京・大田区の「大森海苔ふるさと館」に展示される「荷足船」(にたりぶね) の模型である。 荷足船は、多摩川河口の羽田を主な拠点にして、東京湾内を航行していた輸送船である。名称としては、「荷足船」の他に、用途により 「茶船 (ちゃぶね)」、砂利船とも呼ばれた。

茶船という呼び名は、徳川将軍家の茶の湯の水を多摩川から運んだという伝承によるものと言われる。砂利船という呼び名は、多摩川の 砂利や川砂を江戸・東京へ運んだことによるものである。特に大正12年の関東大震災後には、東京や横浜などの諸都市の復興のための砂利を 大量に運び活躍した。羽田には250艘を超えるそんな砂利船があったと言われる。六郷には、多摩川を筏を組んで下ってきた材木を積み替えて 回漕するという荷足船が大正時代まで40-50艘あったそうである。 なお、砂利船として使われた羽田の荷足船には、船幅12尺(3.6m)で長さ9間(16.2m)や、船幅10尺(3m)で長さ7~8間 (12.6-14.4m)などの大小の船があった。これに2坪(約20トン)から2坪5号(約25トン)の砂利が積まれたとされる。

模型の製作は、大森の貴船堀の船大工であった「東造船 (船竹)」の小島延喜氏によるものである。 戦前では「船竹」(?)、第二次大戦後では「東造船」(あずまぞうせん)が171艘の海苔船を建造したが、荷足船の建造は極めて少なかったらしい。 なお、海苔船の「伊藤丸」は小島延喜氏が昭和33年に建造したもので、その手前の「中べか」は平成8年に小島康信・道利・貫靖・延喜氏の 兄弟によって復元されたものである。

[画像撮影: 2019.7.5/東京・大田区の「大森 海苔ふるさと館 Omori Nori Museum」にて/京浜急行本線「平和島」駅下車、徒歩15分ほど]

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