「葛西船 (かさいぶね)」と題するパネルには次のような趣旨のことが記される。
江戸の町から排される人糞尿 (じんぷんにょう) は近郊の農村で肥料として活用された。これは下肥 (しもごえ) と呼ばれた。葛飾区では水路が
発達していたので、船によって運搬された。江戸時代、下肥を運ぶ船は「葛西船」と呼ばれていた。葛西船を使って下肥を売買するのは
江戸時代中頃から始められ、その多くのは富裕な農家が副業として行っていた。その後、下肥販売を専門に扱う業者が生まれた。
葛飾区内にもかつては多くの下肥販売業者が存在していた。
下肥運搬船にはその構造からしてさまざまなタイプがあった。展示される船は「ナガフネ」と呼ばれるもので、狭い水路を航行するのに
適している。
[画像4参照]
(1)セイジ: 船頭が寝泊まりするための船内施設。2~3畳ほどの畳が敷かれた。
(2)船槽: 下肥は、甲板の板覆い(ハッチ)を開けて、船槽へ直接移し入れて運ばれた。セイジと船槽との間の仕切り板としては、芳香の強い
カヤの木が用いられた。
「葛飾区をとりまく舟運物資」と題するパネル説明では下記のように記される。
葛飾区周辺は河川に囲まれていたことから、船が、下肥の他さまざまな物資の輸送に使用された。
植木鉢などの材料に適した葛飾区周辺の土を浅草などへ運搬する船は「ツチブネ」と呼ばれた。
明治以降には、レンガや植木鉢を焼く業者が区内にも増えて、その製品の運搬にも船が使用されるようになった。
その他、野菜の出荷、川から採取される砂利の輸送などにも船を利用していた。
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3.[拡大画像: x28558.jpg] 4.拡大画像なし.
[画像(1-4)撮影年月日:2019.4.5/撮影場所:東京・「葛飾区立郷土と天文の博物館」(Katsushika City Museum)にて
/博物館所在地:〒125-0063東京都葛飾区白鳥3-25-1/電話: 03-3838-1101]