一枚の特選フォト「海 & 船」


One Selected Photo "Oceans & Ships"

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江戸時代にサケの自然ふ化増殖場を造った村上藩士・青砥武平治 (あおとぶへいじ)
[イヨボヤ会館/新潟県村上市]

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画像の人物像は、サケの自然ふ化増殖システムを考案した、江戸時代の村上藩士・青砥武平治(あおとぶへいじ)である。 1713(正徳3年)~1788(天明8年)の江戸時代中期を生き抜いた。 武平治は、サケの母川回帰の習性に着目して、村上を流れる三面川(みおもてがわ)に、我が国で初めて、遡上したサケの産卵に適した緩い流れの分流(バイパス) 「種川」にサケを導き入れ、サケの自然の産卵・ふ化を助け、増殖させることを考案し、かつその種川の造成に尽力し、以って村上の サケ文化を礎を築いた人物である。

武平治は、三面川に分流を造る工事を1763年に始めた。「種川の制」が完成したのは工事開始から31年後の1794年のことである。 彼が1788年(天明8年)に76歳で没した6年後のことであった。

武平治は、産卵のため三面川に遡上するサケを、「止め簀」という柵を設けた分流の種川(サケの産卵のための人工の川)に導き、そこに閉じ込め、 産卵し終えるまで分流を禁漁にした。それは現代では「自然ふ化増殖」という。当時世界でも類を見ない増殖法であった。以って、 安全な状態で産卵させ、ふ化する稚魚を増やせば、再び三面川に回帰するサケも増えると考えた。村上藩はこの提案を「種川の制」 として導入し、種川造成(1763年-1794年)を始めた。三面川での「種川の制」は、世界で初めて「サケの自然ふ化増殖」に成功した画期的なサケ保護・ 増殖システムといえよう。

現在行われるサケから採卵してふ化させる「人工ふ化増殖」は1876年に国内に伝わった。種川での 「自然ふ化増殖」は人工ふ化が導入されるまでのおよそ100年間サケ漁の歴史を紡いだ。 因みに、1878年には、日本初のサケの人工孵化と放流を行い、6年後には年間73万匹ものサケを捕獲したという記録がある。 地元では、サケを「イヨボヤ」と呼んでいる (「イヨ」も「ボヤ」も魚を指し、イヨボヤは「魚の中の魚」を意味する)。


画像は新潟県村上市の「イヨボヤ会館(内水面漁業資料館)・三面川鮭観察自然館」。 「日本最初の鮭の博物館」と銘打つ。 [拡大画像: x28767.jpg]


[撮影年月日:2020.10.25/撮影場所: 新潟県村上市「イヨボヤ会館(1998年開設)/住所: 新潟県村上市塩町13‐34/電話:0254‐52‐7117 /JR村上駅から徒歩で約25分; 三面川沿いのサーモンパークで、昔の漁法をはじめ、村上のサケとそのサケ文化を紹介する。 サケから採卵して、人工孵化と放流を行う事業に先駆的に取り組んできた町として名高い。サケのミニふ化場が館内にある。 また、三面川の分流に沿ってガラス窓が5メートル間隔で設置され、サケが遡上するところをガラス越しに観察できる「三面川鮭観察自然館」 (地下1階)がある。運が良ければ、10~12月にサケの産卵シーンを観察できる。

1. [拡大画像: x28722.jpg][拡大画像: x28723.jpg: 説明書き(画像1関連)]
2. 台座には「青砥武平治綱義像」と銘記される。 [拡大画像: x28724.jpg][拡大画像: x28725.jpg: 説明書き1/ 古文書「宇治家之記」三献策(上申書)/サケ漁、種川][拡大画像: x28726.jpg: 説明書き2]


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