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5. 国道24号線の側道(画面左の細道・支道)の上方に、H型をした2階建て鉄骨構造物が見える。
それが上溜めの落水口に当たる。現在は、その上流側船留まりから国道下を通る暗渠を伝って、運河水・第2疏水の一部が下流へと放水される。
かつては、側道・国道辺りにインクライン(傾斜鉄道)があった(地図「E」)。インクラインは「伏見または墨染インクライン」と称される。
下流側から坂の上にある上流船溜り方面を見上げると、その落差を感じることができる。
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6. インクラインの下流側の船溜まり(下溜め、下ダム, lower basin)へ、放流水が暗渠の吐き口から流れ出ている(地図「F」)。
[拡大画像: x28809.jpg]
7. 運河の下流側を望む(地図「G」)。運河・第2疏水は、「濠川(ごうがわ・ほりかわ)」となって、伏見港水域・三栖閘門を経て、
宇治川へと注ぎ出る。
[参考] 大津市内の琵琶湖取水口から京都市内を経て伏見にいたる「琵琶湖疏水」と称される運河には第1と第2がある。
第1疏水は1890年(明治23年)年に開通し、第2疏水は1912年(明治45年・大正元年)に開通した。
第1・2疏水を合わせた総称が琵琶湖疏水である。大津市中での琵琶湖水の取水に始まり、京都市内を経て伏見区を南流して宇治川へと注ぎ込む。
琵琶湖疏水に関し、伏見区内(正確には鴨川合流点~伏見堀詰間)での正式名称としては「鴨川運河」である。同区の深草・藤森近辺を京阪電車の
線路と並行して流れ、墨染で西に進路を変えた辺りには、かつてインクライン(傾斜鉄道)があった。インクラインの下流側の伏見下溜めから
再び南流して宇治川に向かう。
「伏見(墨染)インクライン」は高低差が15メートルあり、第1疏水の東山にある「蹴上(けあげ)インクライン」よりも急勾配であった。
因みに、蹴上インクラインの場合、長さ582m、高低差は38m、勾配15分の1に対して、伏見インクラインはの場合、長さ291m、高低差は15m、
勾配10分の1であり、その傾斜はより急勾配であった。
なお、伏見インクラインには、関西電力・墨染発電所(すみぞめはつでんしょ)(旧・伏見発電所)という水力発電所がある。
略史
・ 1885(明治18)年、琵琶湖疏水建設事業に着工、1890(明治23)年に第一疏水が開通した。
・ 1894(明治27)年、鴨川合流点から鴨川東岸を南下し、伏見堀詰町で伏見城の外堀(濠川/ごうがわ・ほりかわ)と結ばれる琵琶湖第2疏水の
「鴨川運河」が完成した。鴨川運河の着工は1892(明治25)年である。
・ 1895(明治28)年に、伏見の墨染に、濠川と結ばれる落差15mの「墨染インクライン」(傾斜鉄道)が完成し、水位に高低差のあった
鴨川運河と外堀が結ばれた。
その後、インクラインは、1940(昭和15)年前後まで使用され、1959(昭和34)年に撤去されて姿を消した。インクライン跡には「国道24号」
が通っている。
・ 1912(明治45・大正元)年、第二琵琶湖疏水が完成し、それに伴い、1914年5月に伏見インクラインの落差を利用して「墨染発電所」
(深草)が運転を開始した。旧名称は伏見発電所である。
[撮影年月日:2020.10.5/画像1~7撮影場所: 伏見インクライン近辺にて]
① 辞典内関連サイト
琵琶湖と京都を結ぶ運河・琵琶湖疏水&インクラインの風景
琵琶湖と京都を結ぶ運河・琵琶湖疏水&インクライン(2)
[京都・インクライン(傾斜鉄道)]
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