一枚の特選フォト「海 & 船」
名古屋港発祥地・東海道五十三次宿場町の尾張「宮」
から伊勢「桑名」への
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画像1,2は、名古屋港発祥地であり、また東海道五十三次の宿場町でもあった尾張の「宮」から伊勢の「桑名」への「七里の渡し」(しちりのわたし)
のジオラマである。
時を遡ること400年の昔、熱田神宮の南には「熱田の浜」と呼ばれる海浜が広がり、熱田の町は門前町、漁業の町、宿場町として栄えていた。 1601年(慶長6年)に徳川家康が江戸と京都を結ぶ街道として「東海道五十三次」を整備したが、尾張の「宮」宿と伊勢の「桑名」宿の間には 木曽川、長良川、揖斐川(いびがわ)をはじめとする大きな河川があり、それらを迂回するために海路が拓かれていた。その距離は約7里(しちり)(27㎞) であったことから「七里の渡し」と呼ばれた。 宮の船着き場には、夜間でも船が安全に出入りできるように、1625年(寛永2年)に常夜灯が建てられた。その東側には当時の燃料であった 菜種油(なたねゆ)の原料となる菜の花を栽培する畑もあった。 画像3は「尾張名所図会であるが、宿場町「宮」は東海道五十三次で最も栄えた町であったこと、灯台の役割をもつ常夜灯も描かれていることが 本図キャプションに記されている。 また、東海道が名古屋を通らずに南の熱田を通ったので、熱田は宮の宿場として栄えたこと、宿場には藩の機関として、熱田奉行所、船奉行所、 船番所、東浜・西浜御殿も置かれたこと、さらに船着き場には常夜灯が置かれ、伊勢の桑名への渡し船が発着していたことが記される。 |
4 5 4. 「七里の渡し」の素図。 5. 名古屋港ガーデン埠頭の「名古屋港ポートビル」1階エントランスに展示される常夜灯の模型。「常夜灯は「宮の渡し」(現在の熱田区 神戸町宮の渡し公園付近)から桑名までの海上七里の航路を航行する船の安全を守るため、寛永2年(1625)に建立された」と案内立札 に記される。 [拡大画像なし]。
[撮影年月日:2020.9.23/画像1-5撮影場所: 「名古屋港ポートビル」内の名古屋海洋博物館にて] |