一枚の特選フォト「海 & 船」


One Selected Photo "Oceans & Ships"

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芭蕉の「奥の細道」への旅立ちの地「千住」

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画像1は「千住・日光道中二」と題される図絵である。千住の宿は日光街道中の初宿であった。図絵の千住大橋は江戸で最初に架けられた 橋として知られる。図絵「千住」は、足立区が現・千住大橋北詰の橋桁下に設置した観光案内板に貼付されたものである。案内板には次のように記される (原文のまま)。[拡大画像: x28892.jpg: 説明書き]

    「千住大橋は、隅田川に最初に架けられた橋で、徳川家康の関東入国間もない文禄3年(1594年)に、 普請奉行伊奈備前守忠次によって架けられた橋です。文禄3年の架設の際に、伊達政宗が資材を調達し、 水腐れに最も強いという高野槇が使われたと伝えられています。 その後、流出や老朽により、何度か架け替え、修復を繰り返してきましたが、大正12年の関東大震災 にも焼け落ちることはありませんでした。… (以下略) …」
画像2は隅田川に架けられる現・千住大橋である (2020.9.6撮影)。橋の北詰、即ち左岸(足立区)側から撮影したものである。

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千住大橋北詰の橋桁下の護岸側壁に描かれた松尾芭蕉と門人(もんじん)河合曾良の旅立ち姿が描かれている。 [拡大画像なし]

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画像4は、足立区によって大橋北詰の日光街道沿いに設置された「おくのほそ道行程図」を描いた案内板である。 同案内板には概略次のように記される。

    1689年(元禄2年)旧暦3月27日、門人(もんじん)河合曾良を伴い、深川を舟で発った松尾芭蕉 (1644~1694)は、隅田川を遡って千住で上陸し、多数の門人等に見送られて、関東から東北、北陸をを経て美濃国(岐阜県)大垣に至る旅 に出発した。その行程は600里余り、約150日に及ぶ大旅行であった。この紀行が、1702年(元禄15年)に「おくのほそ道」として刊行された。 [拡大画像: x28894.jpg]。
画像5は同図に描かれた芭蕉と曽良の絵姿。

行程上の主な経由地: 千住→ 草加→ 春日部→ 古河→ 日光→ 白河→ 郡山→ 二本松→ 福島→ 仙台→ 塩釜→ 松島→ 石巻 → 一関→ 平泉→ 中尊寺→ 鳴子→ 尾花沢→ 立石寺→ 新庄→ 羽黒山・月山→ 鶴岡→ 最上川→ 酒田→ 村上→ 新潟→  信濃川→ 出雲崎→ 柏崎→ 直江津→ 親不知→ 高岡→ 金沢→ 永平寺→ 福井→ 敦賀→ 大垣。

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同行程図の一部。芭蕉は深川から船で千住まで遡り、元禄2年(1689年)3月27日にその地から東北の地へと旅立った。矢立初めの句「行春や鳥啼魚の目は泪」 が添えられている。大橋の南詰を辿って行けば、上野を経て江戸橋、日本橋へと通じる。

[撮影年月日:2020.09.06/撮影場所:足立区・千住大橋北詰界隈にて]


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