一枚の特選フォト「海 & 船」
ジャマイカ副総督になった英国人海賊ヘンリー・モーガン
画像は17世紀の悪名髙き英国人海賊のヘンリー・モーガン(Henry Morgan; 1635-1688)の図絵である。時に、H.モーガンは、同じ英国人
海賊のフランシス・ドレークとは異なる人物評にあった。F.ドレークは英本国では英雄視され、ナイトの爵位まで叙されていたが、
モーガンはドレークと違って、スペイン船に対して、また新世界の植民地において残忍な行為を働いていた私掠船長であったことから、
何かと対立していたスペイン政府からすれば憎悪の対象であったと言える。展示パネルによれば概略次のように記されている。
● 特に、彼をして有名にさせた海賊行為はパナマ市での略奪と破壊であった。当時パナマ市は、南米大陸産の金銀財宝のスペイン本国への 輸送経由であり、その集積の地であったことから、非常に堅牢な防御下にあった。野生の牛の大軍をスペイン騎兵隊の前面に押し出し、 混乱に乗じて市街地へ突入し、莫大な財宝を略奪するとともに、パナマ市を廃墟にするほど破壊尽くした。 ● モーガンがジャマイカのポートロイヤルに帰還した後のことであるが、英国とスペインとの間でマドリッド条約が締結された。 両国は武力攻撃や略奪行為を控えること、国が付与していたバッカニア (カリブ海を中心に政府から私掠免状を得て、船や植民地に対して略奪 行為を行った海賊) の私掠免状を撤回すること、条約に違反する私掠船長は取り締まりの対象とすることが約された。 ● 英国チャールズ国王は、バッカニアで最有力者であったモーガンをジャマイカ副総督に任命し、その取り締まりに当たらせた。 ● 副総督に任命されたモーガンは、かつては仲間であった海賊を取り締まり、鎮圧することに傾注した。海賊にとってはモーガンは 「裏切り者」であったが、これを機にカリブ海での海賊は減少した。 [撮影年月日:2020.9.23/撮影場所: 名古屋海洋博物館] |