一枚の特選フォト「海 & 船」


One Selected Photo "Oceans & Ships"

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徳川将軍の御成船、千住大橋ぎわの御上り場に着く(図絵)


画像の図絵は、東京・足立区によって現在の千住大橋北詰の橋下に設置された、「千住大橋際の御上り場に将軍の御成船が着くようす」と題する 隅田川河岸案内板に貼付された図絵である。キャプションには次のように記される。
    「この図は小金原で行われた鹿狩に向かう将軍が千住大橋際の御上り場に到着するようすを描いた図です。 描かれている川(図右側)は隅田川、橋は千住大橋です。図の左側が千住橋戸町で、将軍の船には葵紋が付いた吹き流しがたなびいて います。当時の将軍は12代将軍の徳川家慶でした。「小金原鹿狩之記」(独立行政法人国立公文書館蔵)所載」

現・千住大橋北詰橋下には「千住の橋戸河岸」という大きな木札が金網柵に取り付けられている。また、上記のキャプションからして、 橋戸河岸も御上り場も、隅田川の左岸にあったと判断できる。 ここでの左岸とは、下流に向かって左側にある岸のこと。図絵においては、上方に江戸湾があることになる。


なお、橋戸河岸には、下記①~④についての木札も取り付けられており、概略次のような案内が記されている。

    ① 「御上り場」
    将軍家、日光門主などの高貴な人々が利用していた湊が千住大橋際御上り場である。 将軍家が千住近郊の鷹場(小塚原・花叉村・たけの塚・そうか村など)や小菅御殿への通行など に通常利用されていた。

    ② 「川蒸気の登場」
    江戸時代以来、江戸との交通には舟運も利用されていたが、明治に入り川蒸気が登場した。 明治8年には、千住大橋と両国橋間に川蒸気船が開通。運賃は6銭であった。吾妻橋から千住大橋間は2銭、川蒸気 はその後も路線が拡大した。俗に一銭蒸気という言葉があるが、これは運賃が一銭であったことに因む。

    ③ 「橋戸河岸で陸揚げされた産物」
    産物は多種にわたっていた。この中には赤穂塩や斉田塩など中国地方のものや薩摩のものとして知られた 黒砂糖など遠隔地の物資も陸揚げされていた。その他食品類をはじめ、肥飼料・材木・石材など 多様な産物が取り扱われていた。

    ④ 「河川のうつりかわり」
    現・隅田川は、江戸時代初めには入間川水系の最下流部にあり、入間川と呼ばれていた。だが、寛永 年間に川越市附近で入間川が荒川に繋(つな)げられてから荒川の下流となった。

[撮影年月日:2020.09.06/撮影場所:足立区・千住大橋北詰の橋戸河岸にて][拡大画像: x28882.jpg]


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