一枚の特選フォト「海 & 船」
1
福田屋には往時の様子を伝える主屋(帳場が置かれた)と台所棟(明治初期の建築)、文庫蔵(明治30年代の建築)、三階建ての離れ(明治33年頃の建物) が残されていた。これらの建物は、昭和62年(1987年)に所有者から上福岡市(現・ふじみ野市)に寄贈された。そして、市は、 明治期の船問屋の様子を伝える貴重な文化遺産 として、平成元年(1989年)に市指定文化財に指定し、平成8年(1996年)「上福岡(現・ふじみ野)市立福岡河岸記念館」として公開し、 現在にいたっている。
「福岡河岸記念館」の旧・福田屋には幾つかの施設案内パネルが設置されるが、画像5の「新河岸川舟運の福岡河岸」と題する説明書きには、
画像1の福岡河岸図絵と共に、下記の通りの案内文が添えられている(原文のまま)。 [拡大画像: x28915.jpg: 説明書き「新河岸川舟運の福岡河岸」]。
福岡河岸は、新河岸川舟運の 大正三(1914)年の東上線開通や大正十年からの河川改修により、舟運は衰退し、最後まで営業していた吉野屋も大正末期には廃業しました。 そして昭和十年(1935)年頃には荷船の運航もなくなり、舟運の役目が終わりました。 平成十五年二月(平成二十九年二月改訂) ふじみ野市教育委員会 [撮影年月日:2020.8.9/撮影場所: ふじみ野(旧・上福岡)市立福岡河岸記念館(回漕問屋・旧福田屋)、その他近隣の地にて] [拡大画像: x28912.jpg: 福岡河岸と三軒の船問屋図絵] |
2
3
4
2. 回漕問屋「福田屋」入り口看板。 3. 「ふじみ野市立福岡河岸記念館」として公開される旧福田屋 4. 旧福田屋の帳場。説明書きには、 荷主との取引を行う帳場はいわば船問屋の顔であった。店内の一角を帳場格子で仕切り、内側に帳場机、銭箱、箪笥などが置かれた。 店の印半天(しるしばんてん)を着た番頭らが荷主と応対し、荷の種類や数量を大福帳に記帳した。多種の荷はそれぞれ河岸場や敷地内の 土蔵・納屋に一時的に収納・保管され、後に東京へ向かう船に積み込まれたり、野方(のかた)(畑作地帯)へと運ばれた、ことなどが記される。
5
6
(注)案内パネルには河岸の町並み図が添えられている。 「福岡・古市場河岸町並み図(明治30年代)」 7 [拡大画像: z23839.jpg] |
8 9 8. 福岡河岸側からの養老橋と新河岸川の風景。対岸は古市場河岸 (2020年8月)。 9. 養老橋から眺めた現在の新河岸川。右岸側が福岡河岸。下流を望む。 |
略図 「新河岸川・荒川の河岸場」/福岡河岸の位置 (左図)拡大地図(z23841.jpg) (下図)拡大地図(z23843.jpg) 拡大してご覧ください。 |
(左図) [拡大画像: z23845.jpg] (下図) [拡大画像: z23847.jpg] 拡大してご覧ください。 |