一枚の特選フォト「海 & 船」
スペイン・フィリピン領の前総督ドン・ロドリゴの上陸の
地に建つ「日・西・墨三国交通発祥記念之碑」 [千葉県・御宿]
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嵐のために遭難したスペインのガレオン船「サン・フランシスコ号」が、1609年9月30日、御宿の岩和田地区の田尻海岸に漂着した。岩和田
の村民による人道的な決死の救助活動によって、スペイン・フィリピン領の前総督ドン・ロドリーゴ・ビベーロ・イ・アベルーサ以下、317名の命が
救われた。ドン・ロドリーゴは総督の任を終えて帰国の途上にあった。かくして、
後の日本、メキシコ、スペインとの修好の契機となった当該史実を祈念して、昭和3年(1928年)に、画像1に見る石塔の「日・西・墨(日本・
スペイン・メキシコ)三国交通発祥記念碑」が建立された。
画像2は岩和田海水浴場の浜から記念碑を遠望する風景である。画像3は記念碑が建つ高台から眼下に岩和田漁港、太平洋を眺望する。 画像4は同記念碑案内板(下記)に添えられた「サン・フランシスコ号」(ガレオン船、1,000トン)の素絵図である。スペイン国の植民地統治時代に、 フィリピン領・マニラと同国メキシコ副王領のアカプルコとの間を行き来した大型帆船のガレオン船は「マニラ・ガレオン船」と称された。
「千葉県指定重要史跡 ドン・ロドリゴ上陸の地 日・西・墨(日本・スペイン・メキシコ)三国交通発祥記念之碑由来記」と題する
史跡案内板には、次のように記念碑建立の系譜が記される(原文のまま)。
秋9月30日未明のことである。 乗組員373人中56人は溺死、残る317人は岩和田村民により救出された。この時海女たちは、飢えと寒さと不安にうちふるえる異国の遭難者たちを、 素肌で暖め蘇生させたと伝えられている。大喜多城主本田忠朝の判断により遭難者たちは37日間岩和田大宮寺に滞在、村民の手厚い保護を 受けた後、江戸城に至り将軍秀忠に謁し、更に駿府に至り家康に謁し、翌1610年家康が三浦按針に建造させた 新しい舟を与えられ無事メキシコに帰国した。 翌1611年聘礼使ビスカイーノの来日、そして1613年支倉常長のメキシコ・スペイン・ローマ特派など、一連の史実はすべてこの岩和田村民 の心意気に発するものである。我等の祖先の美挙を後世に永く伝えるため、また永遠なる国際親交を祈念して、昭和3年 10月1日森矗昶、浅野重雄等発起人となり、この日西墨交通発祥記念之碑が建立された。 画像1の彫刻作品は、日墨交流400周年に因みメキシコ政府から御宿町に2009年9月に寄贈されたものである。 作題「El Brazo(エル・ブラソ)」。作者はラファエル・G.・モラレス(Rafael Guerrero Morales; 1934-2005)。 スペイン語の「brazo」には「腕」の他にいろいろな意味がある。ここでは国境を越えた「隣人愛」、異国民同士の人間としての互いの「抱擁」 や「抱きしめ」と解釈することとしたい。
[撮影年月日:2020.8.8/撮影場所:千葉県夷隅郡御宿町・岩和田地区にて] |