画像2は、名古屋海洋博物館に展示されるオルテリウス製作の「韃靼図」
(1570年製: 実物)である。画像1は同図のうちの日本(IAPAN)の拡大図である。
[注] 1570年、アブラハム・オルテリウスが初の近代的な地図帳「世界の舞台」を出版したが、韃靼図はそのうちの一。
韃靼(だったん)とはタタールの音訳であり、モンゴル高原のタタール部を指した名称である。
画像2の中央左端に、カスピ海(その左上に黒海一部)、右下付近に「IAPAN(日本)」、右端付近にアメリカが描かれている。ただし、当時は
ベーリング海峡は発見されていなかったため、アメリカ西岸は想像で描かれたもの。
日本のことはポルトガルによって西欧に伝わっていたが(主に宣教師らによる報告)、測量されたことはなかったので地形は全く不正確である。
図上には鹿児島、豊後、山口、土佐、大坂、都などの地名が見られる。
画像3は同じくオルテリウス製作の「韃靼図()」
(1589年製: 複製)である。画像3は同図のうちの日本(IAPAN)の拡大図である。緯度は星の高度からほぼ正確に求められたが、経度は精密に
時を刻む時計が発展していなかったために、地図は不正確で、ひどくゆがめられている。なお、日本の主島の「BVNGO(豊後)」の対岸の中国の沿岸部に
「P. di Zaiton」(ザイトン港)、即ち「泉州港」の地名が記されている。泉州港はマルコ・ポーロの「東方見聞録」にも記される港である。
[参考]
1501~1502年 アメリゴ・ヴェスプッチ、ブラジルの海岸を踏査する。
1502年 コロンブス、第4回航海を1504年にかけて行う。
1503年 アメリゴ・ベスプッチ、「新世界」を刊行する。
1507年 ヴァルトゼーミュラー、「世界図」を刊行する。新大陸が「アメリカ」と命名され、彼の世界地図に初めて新大陸が「アメリカ」という
地名で 掲載される(但し、アメリカとして描かれているのは南アメリカ大陸だけである)。
1513年 バルボア、パナマ地峡を横断し、ヨーロッパ人として初めて南北アメリカ大陸(=新大陸)から「南の海」(現在の太平洋のこと)
を望見し、太平洋岸にいたる。
1543年 ポルトガル船が、明国の寧波(ねいは;杭州の南東の港町)経由にて種子島に漂着する。鉄砲が伝来する。ポルトガル船が薩摩に来て
交易を求める。
1549年 フランシスコ・ザビエルが日本に来航する。鹿児島に上陸。キリスト教を伝える。
1569年 地理学者メルカトル、航海用に緯度と経度を示す世界地図を考案する。
1570年 アブラハム・オルテリウスが初の近代的な地図帳「世界の舞台」を出版する。
[撮影年月日:2020.9.23/撮影場所: 名古屋海洋博物館]
1. [図1の拡大画像: x28944.jpg]
2. [図4の拡大画像: x24945.jpg]