一枚の特選フォト「海 & 船」


One Selected Photo "Oceans & Ships"

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フランス郵船「ニール号」の海難事故(明治7年)

明治時代の初めに伊豆半島・入間沖で起こったフランス船「ニール号」の遭難事故の史実について知る直接のきっかけとなったのは、日本経済新聞 夕刊(2021年/令和3年3月25日付け)の書評コラム「目利きが選ぶ3冊」の記事であった(左画像)。「ニール号」の海難を題材に据えた鳴神響一・著 の「風巻(しまき)」と題する歴史的長篇作(出版社:早川書房)を、文芸評論家の 縄田一男氏がコメントしていた。即時手元のスマホで同号の海難事故の系譜をグーグル・サーチしてみた。


1873年 (明治6年) オーストリアのウィーンで万国博覧会が開催された。日本は初めて同博覧会に公式に参加し、浮世絵、漆器、陶磁器などの 日本伝統の美術工芸品をはじめ、庶民の生活用品など多くを出品した。博覧会終了後、出品物と現地購入の物品が、フランス郵船会社の 貨客船「ニール号」 (Le Nil) に積み込まれ海路日本へ輸送された。ニール号は、1864年に建造された、全長104メートル、3本マストの鉄製 帆船であった。

1873年9月18日にニール号は、フランスのマルセイユを出港し、香港経由で横浜へ向った。だがしかし、1874年(明治7年)3月20日未明に現在の 静岡県賀茂郡南伊豆町入間沖の白根という岩場にて、暴風雨のために座礁し沈没するにいたった。 ニール号には船長以下乗員乗客総勢90名が乗っていたが、生存者はわずかに4人だけであった。 犠牲者のうち30余名は後に遺体が浜に打ち上げられ、入間の海蔵寺の墓地に埋葬された。ニール号に積載されていた出品物やウィーンでの購入物品 のほとんどが海の藻屑となってしまった。現在海蔵寺には「ニール号の碑」が建つ。

* ニール号遭難碑の所在: 南伊豆町入間949(海蔵寺敷地内)/電話: 0558-65-0883(海蔵寺)。
[2021年・令和3年4月3日 記]


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