一枚の特選フォト「海 & 船」
高瀬船と五大力船(図絵と模型)
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画像1~4は千葉県立関宿城博物館(野田市)に展示される、高瀬船と五大力船の図絵と模型である。
画像1・2のパネルには概略次のように説明されている。 ・ 江戸時代、高瀬船は、利根川水系において物資や旅客の輸送に大いに用いられ、米俵などを運んでいた。大きさは約9~27メートル、幅は2~5メートルで、帆や艪(ろ)、棹 を使って荷物を運ぶ、比較的長距離をゆく船である。最大のものでは、1,200俵(1俵は60㎏ほど)の米俵を積載できた。近畿地方の高瀬船とは 随分大きさが異なり、関東のそれはずっと大きい。画像1の高瀬船は、帆を下ろし、帆柱を倒し収納されている。船頭らの居住区となっている「セイジ」 が船首部にある。 ・ 五大力船(ごだいりきせん)は現在の東京湾を中心にして用いられていた荷物運搬船である。海と川の双方で用いられた。海では帆を、 川では棹を使っていた。米、薪、炭 (木を蒸し焼きにしたもの)(昔は薪・炭を燃料にしていた) などを運んでいた。大きさは約9~20メートル、 幅は2~5メートルである。肥料にする干した鰯を多く運んだことから「鰯商船」とも言われた。 |
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画像3は高瀬船の模型、画像4は五大力船のそれである。高瀬船は水深の浅い河川でも通航できるように吃水は浅く、また水上を滑る
ように滑らかに進航できるように、舳先部分は尖った水切りスタイルではなく平たくできている(「立板づくり」と呼ばれる)。
高瀬船に対して、五大力船は東京湾を中心に活躍した海と河川の両用船である。高瀬船とは対照的に、波を
切って進航できるように、舳先部分は水を鋭角に切り裂くような形をしている(その船首部建て付けは「水押」(みおし)と呼ばれる)。
波に乗り上げて転覆しないようになっている。また、吃水は深くなっている。
[撮影年月日:2020.7.10/撮影場所: 千葉県立関宿城博物館(利根川と江戸川との分岐地点近傍に所在する/住所: 千葉県野田市関宿三軒家143-4)] |