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    第4章 ワシントン大学での勉学と海への回帰
    第7節: 研究論文をもって起死回生を期す(その2)/論文「アフリカ地域と200海里経済水域」


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    第4章 ワシントン大学での勉学と海への回帰
      第1節: 太平洋を越えてシアトルへ
      第2節: 初心に戻って語学研修に向き合う
      第3節: ロースクール図書館システムに驚嘆する
      第4節: 「海洋法&海事プログラム」と海洋研究所について
      第5節: 第一学期の学業成績に衝撃を受け心折れる
      第6節: 研究論文をもって起死回生を期す(その1)/地理的偶然による海洋資源の配分
      第7節: 研究論文をもって起死回生を期す(その2)/論文「アフリカ地域と200海里経済水域」
      第8節: 海洋学や海運学の面白さに誘われ、海へ回帰する
      第9節: 深海底マンガン団塊と海洋環境保全を深掘りする
      第10節: 海洋コンサルタントとの出会い、そしてシアトルとの別れ

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  履修科目「国際海洋法(パートII)」の研究論文の視座を考え得たものの、世界の全ての沿岸諸国の200海里EEZを対象にするのは 荷が重いので、アフリカ諸国のそれに限定して、実証的に論じることにした。そして、地理的偶然による200海里EEZ設定の結果 もたらされると推察される主要海洋資源のポテンシャルの偏在性や不均等さについて掘り下げて問いかけることにした。 その目途は、アフリカ諸国の間にいかに不合理な結果をもたらす法制であるかを論証しながら、それでよいのかを問いかけることである。

  早速、キャンパス内に所在する二つの総合図書館や他学部の幾つかの専門図書館を歩き回り、 アフリカ関連のさまざまな基礎資料を掻き集めることにした。他方で、200EEZの質的・量的な格差を将来生み出し顕在化させる ことになるパラメーターについてもう一度洗い直した。そして、いろいろなデータを基にそれらの海の豊かさの格差の有り様を 読み解こうとした。

  このデータ分析と平行して、論文の取りまとめ方を模索し、論述概要(アブストラクト)を検討した。その後、章立て・節立て (セクション立て)を行ないながら、論点整理や論理の組み立て、そして結論と提言について考えた。最後には、200EEZの法制化 について再考を期待しながら何がしかの提言に思いを巡らせた。

  発展途上国は、一方で、「公海自由の原則」の下に資本と技術を投入することで海からの恩恵を享受してきた海洋先進諸国に 対抗していた。そして、途上国は、自国沖の水産資源や海底石油・ガスなどの潜在的な非生物資源を囲みこみたいとの観点から、 少なくとも離岸200海里に及ぶ排他的管轄権水域を制度化したいと頑なに主張してきた。

  他方で、途上国はそれ以遠の公海上の深海底に眠るマンガン団塊などの鉱物資源を、「公海自由の原則」の下に、先進諸国に その資源と経済的利益を独占させたくなかった。そして、同資源を人類の共同財産として国際的規制や管理に服させるべきと主張していた。 G77と称された途上国グループは、これらの二つの大きな「革命的な法制・リーガルレジーム」の構築を目指していたといえる。 一方で彼らの国益の最大化と、他方で国際的公益の最大化という、両益の同時的実現を目指していたといえる。それは、歴史的かつ 壮大な主張といえるものであった。

  休題閑話。アフリカ大陸には50か国ほどの国があった。海をもたない内陸国は14か国以上存在した。例えば、マリ、 ニジェール、チャド、ルワンダ、ウガンダ、ブルンジ、マラウィ、ザンビア、ジンバブエ、ボツワナなどである。 それらの内陸国は、他地域の内陸国と協同して条約上のさまざまな特別の配慮を強く求めていた。だが、内陸国に隣接する沿岸諸国 の200EEZにおいて、その法制上どれほどのアクセス権や経済的利益を享受できることになるかは、当時の海洋法会議の議論では鮮明では なかった。水産資源へのごく限られたアクセスの可能性を除き、内陸国は事実上石油ガス資源等の均等的な配分には預かれそうもなかった。

  海岸線の長さは世界の他の地域の沿岸諸国と同様に様々である。特に西アフリカの大西洋に面するセネガルからコンゴ民主 共和国までの沿岸諸国の15か国以上が海への間口、即ち海岸線がわずかに2~300kmあるかないかであった。因みに、トーゴは26kmしかない。他方、 最長の海岸線をもつ国はマダガスカル(2,155km)で、次いで南ア(1,462km)、モザンビーク(1,352km)であり、その他は500~800km を有する。日本のそれは4,800kmほどもある。海岸線の長さと200EEZや大陸棚の広さとは、概して比例しており、資源のポテンシャル を大きく左右することにつながる。

  200EEZの面的広さも千差万別である。マダガスカル、南ア、ナミビア、アンゴラ、モザンビーク、ソマリア、モロッコなど10か国 ほどが大きく大洋に開かれており、EEZも相対的に広い。因みに、当時においては、マダガスカルのEEZ面積は129.2万平方km、南ア101.7万 平方km、アンゴラは50.8万平方kmである。それ以外のアフリカ諸国は相対的に狭く、数万から数10万平方kmほどである。 地理的不利国も8か国に達する。例えば、紅海に面するジプチ、エティオピア、エリトリア、スーダン、紅海と地中海に面するエジプト、 また地中海に面するチュニジア、リビア、アルジェリアなどである。離岸200海里まで最大限に伸長しようにも、相対国や隣接国の EEZによってデッドエンド(袋小路的な)となったり押しこめられたりする。かくして、そこでは相対的に狭小な200EEZがモザイク状に ひしめき合うことになる。 

  総じていえば、アフリカ大陸を取り巻く水深200m以下の地質学的な意味の大陸棚の幅員は相対的広くない。強いて挙げれば、水深200m以浅 の大陸棚を最も広く有するのは南アフリカであろう。チュニジアの沖合いにも水深200m以浅の大陸棚 が広がるが、沖合へ余り伸長できずわずか8.6万平方kmと見積もられる。特に地中海や紅海では、200EEZと同じく、相対国や隣接国の大陸棚 同士がひしめき、お互いに閉ざし合い、陸棚面積は狭いことが多い。

  アフリカ大陸周辺での海底石油・ガスの埋蔵の可能性は全ての沿岸水域において見込まれるという。だが、それまでの事実として、 アフリカ沿岸諸国の年間産出量や推定・確認埋蔵量はかなり偏在しているのはデータ上明らかである。産出量が多い諸国は、ナイジェリア、リビア、 アルジェリア、エジプト、ガボンなどで、埋蔵量も相対的に高い。

  200EEZにおける水産資源の年間生産実績や潜在的生産可能性についても千差万別である。FAO漁業統計などに依拠しながら、アフリカ 諸国のEEZの海の豊かさやその潜在的な経済価値を比較考量し、図解化し「見える化や可視化」を図ろうと取り組んだ。 主なパラメーターは、沿岸諸国の漁船隊、年間国別・魚種別漁獲実績をはじめ、漁業生産の潜在的可能性を示唆する植物プランクトンの 一日1平方メートル当たりの一次基礎生産量の海域別分布状況、動物プランクトンの1立方メートル当たりの湿重量などである。   200EEZでの漁獲実績や海産品の輸出収益が多いのは、南ア、アンゴラ、ナミビア、モロッコ、モーリタニアなどである。 また一次基礎生産量の海域別分布が顕著に多く見て取れるのは、南部東大西洋域の南ア、ナミビア、アンゴラ沖水域、および 中部東大西洋のモロッコ、モーリタニア、セネガル、およびコートジボアール、ガーナ、ナイジェリア沖水域である。 海洋生物学的観点から、それらのEEZにおける質・量的豊かさはかなり抜きん出ていると見受けられる。そして、それらのEEZの 面積が広いほど、ポテンシャルはより高くなる。

  多金属含有の海底鉱物資源が賦存する海域もある。例えば、紅海は細長く伸びその平均的幅員はわずか数100kmであるため、 その沿岸諸国は比較的に狭小なEEZを分け合うことになる。 だが、紅海中央部の舟状盆地の深淵部には多金属含有泥が賦存している。泥には鉄、マンガン、亜鉛、銅などを含有する。 その他、南ア、ナミビアなどの沿岸域には、ダイヤモンド、砂金などの漂砂鉱床が賦存する。しかしこれらの鉱物資源も顕著に 偏在している。

  アフリカの沿岸諸国も、第一義的には、たまたま持ち合わせる「地理的偶然」によって海洋資源が囲い込まれ分割され、 200EEZの潜在的価値、海の豊かさや不均等さが決定づけられることになるのは間違いない。 200EEZを頑なに主張してきたアフリカ諸国としては、それがもたらすであろうあらゆる質量的な格差や不均等な分配につき、第一義的には 甘んじて受認しなければならない。だとしても、アフリカ諸国はそれでよしとするのであろうか。

  そもそも、200EEZは、アフリカ諸国の経済的格差の縮減にどう寄与することになるのか。それが、かねがね抱いていたEEZにまつわる 一つの命題であり視座であった。正直なところ、その貢献性については全く未知数である。そして、普通の常識で考えれば、 地理的偶然によって海の富の分配の著しい格差や不均等さを生み出すであろうEEZに合理性や妥当性があるとは到底考えられない。

  さて、分厚い専門書を30分や1時間で読めると語っていたルームメートのリーディング法のことであるが、印象深く目からウロコの 要素が含まれていたので、そう簡単に忘れることはなかった。論文に取り組み始めた頃には、からこのリーディング法をライティング 法として生かそうと考えていた。彼は私にほらを吹くことなく、納得しやすいように真摯に語ってくれた。簡潔に述べればこういう ことであった。

  専門書には大抵その巻頭に、その書全体の論旨を簡潔にまとめた、いわば要約編であるアブストラクトがある。 先ずそれらのアブストラクトを通読し、全体を俯瞰する。それがなければ、章ごとに記されたアブストラクトを第一章から最後章まで 通読する。先ずそれらを通読すれば、書の論旨や概要などをかなり理解することができる。

  章(チャプター)はいくつかの節(セクション)から構成される。各節は数多くの段落(パラグラフ、以下「パラ」という) から構成される。先ず読むべきは、各パラの最初の文章と最後の文章である。そのファースト・センテンスには、そのパラで何が論じ られるのかが的確に記されている。ラスト・センテンスには、そのパラの結論が記されている。そして、両センテンスの行間には 、結論に至る論理やその他の具体的説明などが記される。必要に応じてその行間を読むことにし、不要ならば次のパラのファースト・ センテンスへと進む。こうして、各パラの最初と最後のセンテンスを通読しながら、理解をより深めるために読むべきと判断する 行間記述に目を通して行く。

  「アフリカ諸国と200EEZ」 での論理の組み立てと論述に当たり、このリーディング法を肝に命じ、ライティングにチャレ ンジした。ルームメートに教わったのは読み方であったが、結果的に教わったのは書き方であり、論文作成においてこれほど役に 立ったことはなかった。

  専門書や学術論文などを執筆する場合には、そういう組み立て方でないと、読者はリーディングする際につっかえたり、理解に 困難をきたすことになるという。それが、彼が示唆したかったことであった。これはいわば「コロンブスの卵」である。また、 目からウロコの学びでもあった。研究論文づくりにこれを十分応用せずして、バーク教授らに理解してもらえる論文に仕上げられない との思いで、真剣に論文と向き合った。

  休題閑話。当時の第三次海洋法会議における世界的潮流を俯瞰して思うこととして、地理的偶然によって諸国間に海の富の 大きな不均等さと不公平性をもたらすことを根拠に、G77に対して、200EEZ法制化の主張を放棄するよう語りかけることはありえた であろうか。世界の内陸国はもちろんのこと、いずれの沿岸諸国も、海洋資源の偏在性や大きな不均等さに甘んじることになることは 明々白々であった。だが、結論的には、200EEZを放棄するよう求めることは、もはや到底不可能な情勢であったことも明々白々である。

  地理的偶然によるEEZの世界的規模での設定、それによる世界の海の富の不均衡、不公正、不合理な分割に向かって、国際社会は 歩み出していた。将来の情況を少しでも緩和するため、その幅員を200海里から50海里へ、あるいは100海里へ縮減すべきではないかと 論じたかった。そして、それ以遠の海をこれまで通り公海と位置づけ、またその下の海底については「国際区域」と位置づけ、国際 的機構に服すようにすべきである、という結論に導きたかった。端的に言えば、沿岸国沖の海域を排他的管轄権下に置くのは、 離岸200海里ではなく、せいぜい離岸50あるいは100海里以内に抑制すべきである。可能な限り多くの海域と海洋資源を国際社会全体 の管轄権下に置き、国際的公益に資するようにすべきである、というのが視座であった。

  だが、国家の既得権益と言う髙い壁がそこに立ちはだかっていた。世界の水深200mまでの地質学上の大陸棚の平均離岸距離は75km (ほぼ40海里)であった。それをEEZの限界にすることも一策ではあった。だが、到底それではすまなかった。当時の成文法であった 「大陸棚条約」では、沿岸国の大陸棚への主権的権利は、水深200mまで、若しくは開発可能なところまで及ぶと、実に曖昧な定義で あった。実際には、その権利はどんどん沖合の大水深へと拡張されていた。

  水深200m以下の大陸棚がずっと沖合へ広がるペルシャ湾、北海、メキシコ湾などでは、離岸50~100海里を超えて、海底石油・ ガス資源が現実に開発されつつあった。また、資源の潜在的賦存性は明らかであった。また、技術や資本があろうとなかろうと、 200海里を超えて水深200m以浅の大陸棚が延伸する沿岸国は、自国陸地の自然の延長をたどって大陸斜面下部あたりまで、 その主権的権利を要求していた。他方、地質学上の大陸棚が極めて狭い沿岸国は、逆に、水深にかかわらず離岸200海里 までの管轄権を要求していた。海洋法会議での関心事はもはや、EEZの限界を離岸200海里としながら、水深200m以浅の大陸棚がそれを 超えて延伸する場合、一体どこまでを限界にするかということであった。潮流を逆回転させてEEZの幅員を50海里や100海里へ縮減する という案はもはや非現実的と思われた。200海里EEZ法制はもはや押し戻せない世界の潮流にあった。

  200海里幅員のEEZはやむ得ないとしても、世界の諸国間での海の豊かさ、海からの将来的収益の格差と不均等を和らげるための 何がしかの合理的で妥当な法制に関する提言はありえないのか、それが次の論点であった。っそこで提言した一つのレジームは、 離岸50から200海里、あるいは離岸100から200海里の間の公海における水産資源や非生物資源の開発・利用から生まれる生産価額の 何パーセントかを、国連を通じて国際社会に「国際税」として還元し、何がしかの国際的公益を確保し、途上国の社会経済的発展への リソースに資するという視点であった。例えば一人当たりGDP2000ドル以下の途上国などへ配分することができよう。 これは200海里EEZ法制の基本的フレームをほとんど変えるものではなかった。

    論文執筆は1975年のことであったが、ここで時間軸を現在に巻き戻して一言触れたい。国連海洋法条約は1982年に国連外交会議10年に してようやく採択されたが、その条約第82条に重要な規定が盛り込まれている。 離岸200海里を超える大陸棚における非生物資源の開発によって得られた、生産価額または生産量の1%を、現物拠出するか、または 支払うというものである。その資源の純輸入国はその義務は免除される。手続きは国際海底機構(ISA)という深海底の鉱物資源の探査・開発・管理を 行なう機関を通じてなされる。徴収益は、後発発展途上国、内陸国の利益と必要に考慮を払って、衡平な分配基準に基づき配分される と規定される。私は、この規定をずっと後で知った。

  ところで、第二学期を振り返れば、大抵は深夜まで研究室に閉じこもりリーディングや論文作成などに向き合う日々を送った。 前期のスコア「C」のリカバリーという、強迫観念的な思いが心底にあったことは疑いないが、この論文作成にそれなりの面白さを 感じていた。平日5日間は授業と研究室での勉学に専念した。朝9時頃から研究室に詰め、寮に帰えるのは深夜がほとんどで、 寮には寝るために帰るだけであった。週末の土日は徹底的に気晴らしに務め、頭を空っぽにするまで勉学意外のことを楽しみ、 気分転換を図るようにした。さもなくば、頭の片隅に、遊び足らなかったことを惜しむ雑念が残り、平日での勉学に専心 することはできなかった。提出期限が迫る頃には、研究室に毛布を持ち込み、深夜疲れで少し仮眠したい時には、机上に体を横たえたり、 時にはそのまま朝まで泊まり込んだりした。ある日の早朝に、バーク教授の秘書が研究室に届け物をするためやってきた。 たまたま私が机上で寝ていて目を覚ましたために秘書はびっくり仰天したこともあった。論文の完成に向けて最後の追い込みとなった 時期には泊まり込みも日常的となってしまった。

  当時、学徒にとって必需の論文執筆ツールは、IBM社製のタイプライターであった。中古品を200ドルほどで買おいた。 タイプライターは思いのほかアームが重々しく、指でしっかり押さないとアームが勢いよく跳ね上らず、明瞭に印字できなかった。 とにかくアームが重くて、長期間打ち込むと指が疲れてきた上半身がくたびれる。片手2本ずつの指でいわば一本打法的にタイプするのが 精一杯であった。ワープロや、ましてパソコンがある訳でなく、何度も打ち直しするのは拷問のようであった。それでも、論文仕上げの 目途がたつ頃は、指の関節痛も肩こりも軽症に思えた。

  先ずルームメートに初稿の校正を頼んだ。彼は快諾の上、真剣に見てくれてありがたかった。100ページほどの論文に目を通しながら、 赤ペンで修正やコメントを入れてもらった。彼としてはいろいろ細かく手を入れたかったかもしれないが、 赤ペン修正は意外と少なくてほっとした。細かく入れすぎると全てのページをリタイプするのが大変と慮ったのか。それとも 細かくチェックするときりがなく、時間と労力を節約したのか。それは分からないが、赤ペン修正箇所を中心に手直しやリタイプ のうえ、バーク教授に期限通りに提出し、ほっとした。   1,2週間後に教授室に呼ばれその結果を得た。バーク教授は真面目な面持ちで、スコア「A」だ、と言ってくれた。ところで、誰かに 見てもらったかと、すぐに問われた。正直に「イエス。ルームメートにチェックしてもらった」と答えた。彼はそれについて特に コメントしなかったが、彼の顔は「そうだろうと思ったよ」と言いたそうであった。後で知ったことであるが、その論文はロースクール (法律学校)の「ジュリス・ドクター・コース」の学生たちのリーティング文献リストに入れられた。これで少しは自信になった。 名誉あることで嬉しかった。

  他のタームペーパーの提出も終えて開放感と虚無感のミックスした何とも言えない精神状態がしばらく続いた。 そして、何よりも、「国際海洋法」の成績を少しはリカバリーでき、学業を続ける希望や意欲が湧いてきたことが嬉しかった。 留学からドロップアウトして、失意のうちに帰国することになるのではと、前期末時点には人生で最も落ち込んでいた。しかし、 今は、留学を継続し、国連海洋法担当法務官を目指すという、正気の自分を取り戻すことができた。そのことが何よりも自身への 励ましとなっていた。それに、些細なことだが、少しは語学能力不足の汚名を返上できたことも嬉しいことであった。その頃のことだが、 海洋プログラムの最初の日本人留学生が私であったことを知った。今回のスコアで、ドロップアウトするような恥をかかないで いられる可能性が少しはアップしたと安堵するとともに、いろいろと胸に迫り来るものがあった。 かくして、息を吹き返したように晴れ晴れしく、第三学期には明るい前途が待ち受けているような高揚感を感じていた。



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