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    第8章 マル・デル・プラタで海の語彙拾いを閃く
    第5節 プロジェクトのその先を探り、明るい未来を拓く


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    第8章 マル・デル・プラタで海の語彙拾いを閃く
      第1節: 専門家と共に技術移転と協業計画づくりに励む
      第2節: 「海の語彙拾い」を閃き、大学ノートに綴る
      第3節: パタゴニアを大西洋岸沿いに一路南下する
      第4節: パタゴニアをアンデス山脈沿いに北上する
      第5節: プロジェクトのその先を探り、明るい未来を拓く
      第6節: 「さらばマル・デル・プラタ!」、何時の日か再訪あらん
      第7節: エピソード(その一)/笑えない本当の話
      第8節: エピソード(その二)/笑えるウソのような話

    第1章 | 第2章 | 第3章 | 第4章 | 第5章



  プロジェクト3年目の1986年中頃のこと、JICA本部から評価調査団が派遣されてきた。プロジェクトの実施計画の目標がどの程度達成されている かについて評価し、4年目以降の協力をどうするのか、両国関係者で協議するためである。我々専門家は、校長をはじめカウンター パート全員で達成状況などについてあれこれ真剣に議論し合い、数々のデータを揃えて調査団と向き合うための下準備をしてきた。

  プロジェクト設立の基本文書である「討議録」で定められた「日ア合同評価委員会」が組織された。「ア」側の正式な委員はオルティス 校長ら幹部と各分野のカウンターパート、「ア」海軍代表であった。日本側は調査団全員、プロジェクトの長期専門家5名、JICA事務所代表者が 正式メンバーであった。在「ア」日本大使館員がオブザーバーとして参加した。プロジェクトサイドから提出された2.5年の実施報告資料 および今後半年間の実施見込みに関する資料などに基づき、全体評価と各協力分野ごとの評価につき議論が展開された。

  結論として、「漁獲物処理」の分野は当初の計画通りの数値目標を達成しつつあり、残余期間において全て達成しうる見込みであるとのことで 意見の一致を見た。他方、「漁具漁法」、「航海」については、未達成の項目が幾つか残されており、残余期間に達成するのは困難な見通しであり、 今後2年間継続して専門家とカウンターパートが協業することが必要かつ適当であるとの見解で双方が合意に達した。かくして、プロジェクトは 2分野につき、1987年4月以降2年間引き続き実施されることが、委員会で最終合意された。 カウンターパートの日本での技術研修や、必要な機材の供与も引き続き実施されることになった。

  プロジェクトの実現に向けて交渉していた3年前の1983年には、オルティス校長ら「ア」国関係者は日本からの技術協力を受ける意向を もたないというスタンスから交渉が始まった。その後、粘りに粘って説得を続け、「3年プラス評価後に2年延長することもありうる」と する協力期間に落ち着いた。当初技術協力を全く受け入れず無用とのスタンスであったが、それを3か月間にすることに「ア」側は歩み寄った。 その後、さらに交渉の末、3年間にすることで落ち着いた。だがしかし、更に踏み込んで「3年+2年延長も可能とする」というウルトラ案への 妥協を引き出すという、いわば寝技へと持ち込んだ。今回ついに「3+さらに2年間」実施するとの評価に至ったことは、私的には感激の涙であった。

  交渉当時は、「ア」側はプロジェクトの運営がいかなるものか真に想像することができなかったであろう。初めての海軍との協力であったので、 無理もないことであった。「ア」国にとっての有益性を十分描き切れなかったことは否めない。だが、これまでの2.5年間の実施を通して「ア」側も それなりに学ぶところがあったに違いない。日本との技術協力は、日アの協業を通じて、「ア」側にとって思いの他航海・漁業教育レベルの 向上につながること、いろいろ実利的な恩恵をもたらすものであること、そして何よりもプロジェクトは「ア」国人のプライドを傷つけるもの ではないことを理解してもらったことであろう。

  アルゼンチンは、無償資金協力による漁業学校の施設や機材の全面的刷新のみならず、専門家とカウンターパートとの協業による 航海・漁業教育の質的レベル向上を図ること、そして3+2年間協力するとの道を選んだ。交渉の最終段階でオルティス校長と妥協した 通りの協力期間の延長にて合意をみた。引き続き2年間実施されることになり、合計5年間にわたることとなった。協力期間の上限を5年間に 設定したことの意味を、この中間評価の段階で理解してもらえたのではないかと、プロジェクト設立を交渉した担当者としては、熱く胸にこみ 上げてくるものがあった。オルティス校長の胸の内はいかほどであったであろうか。プライドに差し障ってはいけないと、触れなかった。 校長も延長について一言も触れることはなかった。私的には、3年後はきっとこうなるであろうと、心の片隅でずっと思い続けていた。 4年前の「独り言」以来、漁業学校の発展に何がしかは関わることができ本当に嬉しかった。 

  目標達成が曲がりなりにもここまで漕ぎ着けられたのには幾つかの背景がある。「ア」側の常日頃の真摯かつ迅速な協業への取り組みの努力 があったればこそである。お互いのプライドを害しなかったことも大きかった。協業のための各目標も明確であったし、それをやり遂げれば それだけ該当する単元のレベルの向上に繋がることが理解された。

  学校関係者のほとんどは「ア」海軍で長年勤務し、海軍でのしきたりが身に染みついているようであった。 海軍スタイルというか、海軍では上官の命令には絶対的服従が求められるとのスタイルが学校運営に持ち込まれていた。「ノー」とは 言わない、言えない、いつも「イエス・サー」(スペイン語では「シー・セニョール」)の世界であり、指示事項は常に期日内に やりこなすことが求められたようであった。かくして、海軍退役大佐のひと言の指示で、カウンターパートの教授陣や事務系職員は、 期限を意識しながら真剣に「ア」側のなすべき仕事をこなしたといえよう。時に日本側が追いていけないほど迅速に対処した。それはプロジェクトが ほぼ目標達成に近づけたことの背景でもあった。「ア」側の真摯な向き合い、理解と協力には感謝するばかりである。カウンターパート機関 が海軍であって良かったと内心思い続けていた。

  1年間の準備期間がプロジェクトに制度として正式に組み込まれたことも、安定した運営と成果の発現につながったと改めて 再認識させられた。準備期間は大いに有効であった。プロジェクトの成功のもう一つの遠因であった。JICAでは前代未聞のプロジェクトへの 制度的取り込みであった。それを認めてくれた日本の全ての省庁・JICA関係者に感謝してもし切れなかった。スペイン語や生活環境に慣れ、 学校での海技資格制度、航海・漁業などのカリキュラムやそのシラバスなどを把握し、カウンターパートとの意思疎通を図りつつ、 プロジェクトの指導・協業計画をしっかりと策定するうえで、1年間はいわば「プロジェクトという卵をふ化させる」うえで大変有効であった。

  プロジェクトの延長を踏まえて、「漁具漁法」専門家は残留、そのまま引き続き指導に当たることになったが、他の4名は帰国する ことになった。後に、交替の専門家が順次派遣され、学校で対面方式での引き継ぎができたことは、その後のプロジェクトの円滑な運営に大いに 役立った。リーダーと調整員は一心同体であるので、二人の席を後任者へ同時に明け渡し、共に帰国することになった。プロジェクトでは、 3年間の実施プロセスを知る者が誰一人として居残らないことになると、新規に運営に当たる専門家がまごつくことになる。また「ア」側に とっても何かと不都合にして戸惑うことにもなる。漁具漁法専門家の残留はこれまでの活動事情を伝承する上で、好都合であった。

  私も家族も「ア」国文化にどっぷりと浸かっていた。後二年も「ア」国での生活にさらに馴染むことになればどうなるのか、帰国後の 日本社会へのスムーズな復帰はさらに難しいのではないかと、真面目に不安を抱いていた。故に任期延長を希望しなかった。それが正解であった。 アルゼンチンでは家族と共に私生活においても最高にエンジョイし、私的には人生三度目の「青春時代」を過ごした思えるほどであった。 最初の青春は高校時代と、その後山歩きに没頭した大学時代の計7年間にあった。そして、二度目はシアトルでの留学時代の1年半であった。

  後任の専門家への引き継ぎの下準備も視野に入れ始めていた3年目の後半期のこと、オルティス校長から将来ありえるかもしれない 二度目の無償資金協力についての相談に預かっていた。国連海洋法条約が1982年に採択され4年ほど経過していた1986年当時は、諸国は順次その 批准の準備段階にあった。世界では200海里経済水域を設定する国々が増えつつあった。世界でも有数の広大な大陸棚と経済水域をもち うるアルゼンチンを相手に、日本の漁業権益を確保したい、そのために特別枠の水産無償資金協力予算を有効に活用したい、というのは 自明の外交的欲求であった。

  「ア」側はそれを見透かすかのように次の水産無償協力の候補案件を模索していた。オルティス校長は、学校を対象とした無償資金協力 と技術協力プロジェクトの設立段階での交渉とその後の実施に何年も関与してきた。日本の協力やプロジェクトの意義、「ア」国の国益への寄与 などについての認識を高めたことは間違いなかった。また、その間思いもよらない多くの学びや発見をしたに違いなかった。校長は、プロジェクト の実利的な恩恵を再認識するなかで、次の無償資金協力の可能性を視野に入れながら具体的案件を模索しようとしていた。

  初回の無償援助対象の漁業学校プロジェクトは、確かに漁船の海技資格の付与や水産教育に関連するものであった。だが、 協力対象となった機関は「海軍」であり、その「教育総局」であった。「ア」政府の水産行政に直接的携わる機関は「農牧省」の「漁業次官房」  (Subsecretaria de Pesca)であった。日本としては、その漁業次官房に直接的に向き合い、関わり合いをもちたいに違いなかった。 従って、次のプロジェクトの対象として、誰もが容易に思い描ける機関があった。即ち、広大な大陸棚・経済水域の水産資源の調査と研究に 従事する次官房傘下の「国立水産調査開発研究所」(通称兼略称「イニデップ」(INIDEP; Instituto Nacional de Investigación y Desarollo de Pesca)であった。マル・デル・プラタにその研究所の本拠地があった。目途はその施設と機材の刷新のための協力であった。 それをおいて他にはないと、はばかることなくアドバイスした。

  「INIDEP」はマル・デル・プラタ港の一角を占める海軍基地のすぐ傍の海岸沿いに建っていた。研究所は観光用レストランに用いられていた 年代物の古い建物の中に収容されていて、誰が見ても漁業調査研究を機能的に遂行するには最適であるようには見えなかった。 その他、海洋漁業調査船というアイデアもあったが、すでにドイツ政府による協力で、5000トン級の「オカバルダ」などの近代的大型 調査船が稼動していた。

  「将来、無償援助を要請するのであれば、それはINIDEPの施設の全面刷新であり、それは漁業当局への全面的かつストレートな 協力となり、水産分野での日ア関係の強化に大きく寄与する」ものとなろうと、オルティス校長に助言した。さらに、「日本の無償資金協力 システムを経験し、最も詳細に理解する者は貴方自身しかいない。漁業次官房に対して、その協力要請段階からプロジェクト完工に至るまで のあらゆるノウハウを伝授するベスト・アドバイザーとなりうる立ち位置にいる」と、ノウハウの今後の生かし方につき示唆した。

  アルゼンチンの実利に繋がることはそれだけではなかった。「ア」国ならびに漁業学校自身が、JICAとの繋がりにおいて、他国への技術 協力に貢献できる可能性があることを幾度か説いた。そして、その後オルティス校長の相談にも乗った。即ちJICAの第三国研修制度の存在と 活用を期待した。

  技術協力プロジェクトを延長期間の2年後に終了した暁において、漁業学校の施設・機材のハード的資源と人的資源、さらにこれまでのプロジェクト 運営に関するソフト的資源を活用して、南米諸国を対象にした第三国向けの沿岸漁業研修コース を数か月間実施するというものである。ペルー、チリ、エクアドル、ウルグアイ、ブラジル、コロンビアなどの南米沿岸諸国の漁業指導者 や普及員などを一か国当たり毎年1~2名を漁業学校に招聘し、研修に参加してもらうというものである。

  研修経費については、日ア両国折半となる。「ア」側の経費負担分については、現物負担や実際的な諸々の便宜供与によることも可能である。 いずれにせよ、研修内容や経費折半の在り方などの詳細については、海軍・漁業学校とJICAとの間でじっくり協議することになる。 この第三国研修には、最初の段階から漁業次官房からの何らかの協力的関与を組み込んでおくことは、「ア」海軍・漁業次官房とJICA・水産庁の4者間の 関係強化をもたらし、日本側から大いに歓迎されるはずである。JICA事務所と早い段階でその交渉を始めることを促した。

  アルゼンチンは、南米諸国との間で日本の水産協力プロジェクトの成果をシェアでき、また技術協力プロジェクトの存在をアピールできる。 また「ア」国は、自国起源の対外水産技術協力についてそれらの諸国へ強くアピールできる。日ア両国の利害は完全に合致し、両国はウイン・ ウインの関係を築くことができる。それはまた日ア両国の水産分野における一層の関係強化や新展開につながるものでもある。「ア」国が 南米諸国に協力することで、外交的関係強化とともに、「ア」国のプライドと国威を発揚する機会にもなると、「ア」側のプライドをくすぐった。

  研修には、現在のさまざまな施設(ドミトリーを含め)・実習機材、 その他運営管理面のノウハウを100%生かすことができる。かくして、第三国研修が実現されれば、JICAとの協力関係は、何と1984年から10年間も つながることになる。漁業学校を基点あるいは起点にしながら、日ア両国が再び手を携えて南米諸国の漁業教育レベルを向上させるために 地域的国際協力を推し進めることになる。プロジェクトは5年へと延びるだけでなく、第三国研修5年とその延長を見据えながら新たな 日ア水産協力の道が切り拓かれようとしていた。他方、漁業次官房は新たな日ア水産協力を摸索することであろう。かくして、日ア協力 関係のさらなる強化につながる新しく明るい展望を切り拓くゲートウェイまで案内できたとすれば望外の喜びである。

     「ア」国から帰国して5年ほど後のことであろうか、日本の会計検査院が漁業学校に現地会計検査のために訪れた。学校への無償資金協力・ 技術協力は所期の成果を上げた最も優れたプロジェクトであるとの高い評価を得たという。そのことを、ずっと後で知ることになった。 それが本当であれば、これに勝る喜びはない。日アの全関係者の努力の賜物であるが、何よりもオルティス校長らの「ア」側関係者が ずっとこれまで真摯に学校教育に向き合い、学校施設を大事に維持管理し続けてきた努力の賜物であろう。彼らの真摯な取り組みの努力を 思えば、「髙い評価もさもありなん」と思われた。「ア」海軍と校長ら関係者が、自身の威信と名誉を背負って運営・維持管理してきた だけのことはある。改めて感謝したい。



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