第2回 ニカラグア運河の夢 視察の旅 旅の記録 エル・ラマとブルーフィールズ/El Rama & Bluefields
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2.参加者: 中内清文、木島久恵、N.岸本、S.宮古、M.石原
3.旅の行程:
5月1日(金)
12:00 ムエジェ・デ・ロス・ブジェス(Muelle de los Buyes) ミコ川(Río Mico)橋 到着 13:00 カラ・デ・モノCara de Mono(ミコ川 Río Mico) 通過 13:30 ラ・エスペランサLa Esperanza(シキーア川 Río Siquia) 通過 14:00 エル・ラマ(El Rama) 到着 15:00 エル・ラマ 出発 エスコンディード川(Río Escondido)を船にて下りブルーフィールズ(Bluefields)へ 17:00 ブルーフィールズ 到着
5月2日(土)
9:30 ラマ・ケイ島(またはラマ・キー島)(Rama Cay) 到着 10:30 ラマ・ケイ島 出発 ククラ川(Río Kukra)へ 11:10 ククラ川沿いのサンタ・エリサ村(Santa Eliza、河口から約30km) 到着 11:40 サンタ・エリサ村 出発 13:40 ブルーフィールズ 通過 14:10 ラグーナ・デ・ペルラス(Laguna de Perlas) 到着 16:10 ラグーナ・デ・ペルラス 出発 ブルーフィールズへ戻る
5月3日(日)
9:30 ラグーナ・グランデ(Laguna Grande, Big Lagoon)、ククラ・ヒル(Kukra Hill)を経てエル・ラマ(El Rama) 到着 10:00 エル・ラマ 出発 マナグア(Managua)へ 16:00 マナグア 到着
4.旅の目的
5.視察結果
5.2 ムエジェ・デ・ロス・ブジェス (ミコ川) Muelle de los Buyes (Río Mico)
5.3 カラ・デ・モノ(ミコ川) Cara de Mono(Río Mico) ミコ川と国道7号線がカラ・デ・モノ付近で接近する。川幅は40m程度。水深は浅いと思われる。 周辺はなだらかな丘が続く。
5.4 ラ・エスペランサ(シキーア川) La Esperanza(Río Siquia) ラ・エスペランサで、エスコンディード川の支流、シキーア川と国道7号線が交差する。 川幅は200m程度か。水量も多く、水深もありそうである。
5.5 エスコンディード川(Río Escondido) 地域図の通り、ミコ川とラマ川の各支流がエル・ラマで合流し、エスコンディード川と呼ばれる大きな川になる。 川幅は200m程度。途中で3000トン級の大型船舶とすれ違った。水深もある程度あるようである。 写真11. エル・ラマにて 正面から支流ラマ川がはじまる 写真12. エスコンディード川 下流側を望む 写真13.エスコンディード川沿いの家屋 写真14.エスコンディード川 住民がカヌーで移動 写真15.エル・ラマからブルーフェィールズに向かう大型船舶 写真16.ブルーフィールズ付近 写真17.エスコンディード川から見たブルーフェィールズ 5.6 ブルーフィールズ湾(Bahía de Bluefields)とラマ・ケイ島(Rama Cay)
ブルーフィールズから南へ向かうと対岸に位置するエル・ブルッフ(El Bluff)というところの灯台へ電気を送る電線を 通過した。 ・ ラマ・ケイ島では500年前から住民が住んでいるそうだ。住民の話では人口は1,500名程度。上下水設備はなく井戸水。 電気は過去に整備されたが故障し、現在は自家発電をもつ2軒のみ電気を使用している。 島の中に、小学校、中学校、保健センター、教会があり島の規模としてはしっかりしている方だと同行した村落隊員が 言っていた。 ・ 住民はこの島に住み、農作物などの栽培は船に乗り移動し別の土地(本土側)でしているとのことだった。 墓地も島内になく、ミサが終わった遺体はプンタ・デ・デスペディーダ(別れの場所)から船に乗り、墓地へと送られる。 言語は、英語とミスキート、スペイン語だそうだ。幼い子供はスペイン語を理解できないようだった。
写真18.ブルーフィールズから灯台ブルッフにつながる電線 写真19.ラマ・ケイ島
5.7 ククラ川 (Río Kukra) とサンタ・エリサ (Santa Elisa) ラマ・ケイ島の西方にククラ川の河口がある。ここから30キロ程度川を遡った。河口付近は川幅も広く100m程度あったが、 15キロ付近になると50m程度になる。途中、いくつかの集落があった。30キロ上流地点にはサンタ・エリサ(Santa Eliza)という集落が あった。農村開発庁(Instituto de Desarrollo Rural: IDR)のプロジェクトが入っており、その看板によると 住民の家族数は52家族。広々とした静かな集落だった。 この地点より上流は、水深が浅くなるためこの地点までの視察とした。さらに30キロ上流には、サン・フランシスコ(San Francisco)という 集落があるそうだ。
5.8 ラグーナ・デ・ペルラス (Laguna de Perlas) ブルーフィールズから北上し、ラグーナ・デ・ペルラスへ向かった。ビッグ・ラグーン(スペイン語ではLaguna Grande)を超え、 川を通過して向かっていると、両側にはたくさんのマングローブが茂っていた。塩水が多いことが想像される。
7.今後の予定
・ チナンデガ県コリント市に隣接するエル・レアレホ(El Realejo))の視察。レアレホは、19世紀頃まで大きな港を持っており、 700トン級のガレオン船の造船を行っていた。参考文献(2)によると、太平洋と町を結ぶ道が泥まみれになり、コリントに 港が移されることになった。 その後、町は衰退したとある。ニカラグアの文化遺産であるサンティアゴ教会がある。 ・ サン・ファン・デル・ノルテ(San Juan del Norte)の視察。参考文献(2)および(3)によると、1889年にアメリカ 合衆国がニカラグア運河の工事を始めた。そのときの浚渫台が今も残っているそうである。
8.参考文献
以 上 |