漁業技術の画像集・FishTech
著作者/水産大学校名誉教授・理学博士 前田弘
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第 2 部 15 底曳網 17 尾道付近で見られた漁船 漁船の基本的な船型には、用いる漁法よりも伝統の影響が強く、近くても伝統が異なれば船型が全く異なる ことがある。その例として、尾道の吉和とその近くの鞆の浦の漁船を示す。 吉和は尾道の西の外れにある漁協で、和歌山県の雑賀岬とともに、船に住み込み一本釣をしながら魚を追って 各地を移動する家船の習慣があるので有名である。 ここの家船は雑賀岬における家船と異なり、家族と共に船に住み込み、年2回盆と正月だけに帰港する。 鞆の浦は、瀬戸内海が西日本から京都・大阪への船旅(あるいは海運)のメインルートであった時代の主な 寄港地であった。 No.1からNo.9までは吉和、No.10からNo.17までは鞆の浦で撮影した写真である。
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船尾に櫓(ヤグラ)がある船と、船尾のブルワークがなくローラになっている船は、底曳漁船である。
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ここの漁船だけに見られる特徴は、船首付近の約1/3には低い屋根型のテントが張ってあり、そこが住居に なることである。この特徴はNo.2の右2隻とNo.3の手前の船に見られる。No.3の左端に船首だけが写っている船 でも見られる。
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肩幅は広く、したがって、操舵室は船の幅の1/3程度になる。甲板は低い。ブルワークは低く、その船尾の 部分はローラになっている。操舵室の両側に曳索を捲き込むリールがあり、船尾には網を吊り上げるパイプ製 の櫓がある。 操舵室より後方の構造は他の地域でも見られる底曳漁船のそれに近いが、それより前方の甲板は磨かれ、 低い屋根型のテントからも分かるように住居になっている。
![]() [No.5: ft_image_15_17/image009.jpg]
スパンカーセールを備える。梶やスクリューを引き揚げる装置は昔のままの型である。 右端には小型の船が写っている。この船でも船首に模様が描かれている。船首左舷に、この船としては 大きな油圧ドラムがある。これはネットホーラである。すなわち、この船は刺網漁船である。この船でも 油圧ドラムが装備されていることから、外形は伝統的な様相を保っていても、内部は近代化が進んでいると考えられる。
![]() [No.6: ft_image_15_17/image011.jpg]
これらの船でも、前半分が住居になっていることが、低い屋根型のテントから分かる。 左の船では船尾にスタビライザが付いている。 浮桟橋には鉄棒に多数の円形鉄板製のツバを付けた桁が見られる。 一本釣を行う漁船では、それに住み込んで、他の地域を根拠に操業することが考えられる。しかし、 底曳船が他の地域の地先で操業するとは考えにくい。しかし、それらの船でも、船首付近の1/3は住居に なっている。すなわち、船に住み込んで各地を巡る家船から、陸上に定住して漁業をする中間のステップ の可能性が見られる。
![]() [No.7: ft_image_15_17/image013.jpg]
延縄船では船上における労働の他に、使った縄を整理して次の操業に備えるための労働がある。これには、 船上における投揚縄以上の人手が必要である。ここの家船には家族も乗っており、縄の整理が可能になる。 延縄では、特に揚縄中に微妙な操船が必要である。このような船型の船がそれに適しているかどうか疑問である。
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船尾は著しく張出している。この部分が炊事場で、船尾の外に吊られているのが「流し」である。 この船が漁業を行うとすれば、船の前半を使った一本釣・延縄・刺網が考えられる。しかし、その部分が 写っていないので、使用している漁法は分からないし、漁業を行っているかどうかも判断できない。
![]() [No.9: ft_image_15_17/image017.jpg]
漁労装置として、船首にドラム、操舵室の外側にリール、船尾に鳥居型のパイプ構造があり、その付近に 網が上がっている。船尾にはスパンカーセール用らしいマストがある。底曳漁船の可能性が考えられるが、 疑問が残る。 No.10からNo.17までは鞆の浦において撮影した写真である。
![]() [No.10: ft_image_15_17/image019.jpg]
No.11
No.12
No.13
No.12に見られる漁船は底曳漁船である。住居部がなく、吉和の漁船と似ていないが、他の地域で見られる 底曳漁船と似ている。しかし、網を引き揚げるパイプ製の櫓の構造が、他の地域におけるそれに比べると簡単である。
![]() [No.14: ft_image_15_17/image027.jpg]
網を吊るパイプ製の櫓が見られる。しかし、ここで見られる2隻では、ともに船尾にスパンカーセールがあり、 その使い方と底曳網の曳き方との関係は疑問である。
![]() [No.15: ft_image_15_17/image029.jpg]
船尾には網を吊る櫓が見られる。機関室の後は狭く、曳索を捲き込むドラムは見られない。機関室をまたぐ 櫓があり、曳索は後の櫓からそれに渡り、機関室の前で捲かれる可能性が考えられる。
![]() [No.16: ft_image_15_17/image031.jpg]
No.17
これから後の3枚の写真は、広島県中部 で撮影したものである。吉和の両側において同じような特徴を 備えた底曳船が見られたので参考のために示した。
![]() [No.18: ft_image_15_17/image035.jpg]
![]() [No.19: ft_image_15_17/image037.jpg]
このようなマストを付けるには、それなりの理由があるはずである。いくつかの可能性が考えられる。 その1つは次のような使い方である:この船の網はあまり大きくない。底曳網で釣の餌を漁獲し、一本釣の際に スパンカーセールを使う。これに近い方式は更に西の山口県の東端では餌曳きの特別枠で許可された底曳漁船 に見られる。しかし、No.14に示した底曳漁船では、この考え方は成り立ちにくい。
![]() [No.20: ft_image_15_17/image039.jpg]
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