FishTech - Photographs of Fishing Techniques
漁業技術の画像集・FishTech


著作者/水産大学校名誉教授・理学博士 前田弘
Compiled by Emeritus Prof. Hiroshi Maeda, Fisheries College, Shimonoseki, Japan

協力者/水産大学校助教授 深田耕一
in collaboration with Asst. Prof. Koichi Fukada, Fisheries College, Shimonoseki, Japan


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    第 3 部
    19 巻き網
    11 巻き網
    11-12 巻き網(2)



    No.1
    [No.1: ft_image_19_11_12/image001.png]

    No.2
    [No.2: ft_image_19_11_12/image003.jpg]

    No.3
    [No.3: ft_image_19_11_12/image005.png]

    No.4
    [No.4: ft_image_19_11_12/image007.png]

    No.5
    [No.5: ft_image_19_11_12/image009.png]

    No.6
    [No.6: ft_image_19_11_12/image011.png]

    No.7
    [No.7: ft_image_19_11_12/image013.png]

    No.8
    [No.8: ft_image_19_11_12/image015.png]

    No.9
    [No.9: ft_image_19_11_12/image017.jpg]

    No.10
    [No.10: ft_image_19_11_12/image019.png]

    No.11
    [No.11: ft_image_19_11_12/image021.png]

    No.12
    [No.12: ft_image_19_11_12/image023.jpg]

    No.13
    [No.13: ft_image_19_11_12/image025.png]

    No.14
    [No.14: ft_image_19_11_12/image027.png]

    No.15
    [No.15: ft_image_19_11_12/image029.png]

       

    70年代前半には、下関は東シナ海で操業する多数の巻き網船団の根拠地として賑わっていた。この船団は、 その後根拠地を漁場に近い五島列島に移し、網船と灯船は漁場かこの根拠地に留まり、運搬船だけが水揚げ地に 向かうとうい方式を取っている。そのために、最近では下関には時々運搬船が漁獲物を運んで入港するだけで、 網船と灯船(ヒブネ)はほとんど見られなくなった。

     従来の乗組員が多く主に作業は人力で行うという操業形態から、漁労作業におけるは動力の活用と、漁労長の 勘に代わる(あるいは補助として)船橋における電子機器の充実のような抜本的な近代化が起こった。この変化の 初期の例として、No.1からNo.15までに、当時の船団の写真をあげる(以下、当時というのは、70年代前半を指す)。

     普通この船団は、網船1隻、灯船3-4隻、運搬船1-2隻で構成された。このような船団の構成は、多数の小さな 船が共同して巻き網漁業を行っていた伝統の残りと、網船のトン数が法的に規制されていることの結果である。 外国でも、地中海沿岸のような伝統的に多数の小さな船を使用して巻き網を行っていた地域では、これに近い 船団構成が見られる。

     No.1は船団が入港する光景で、画面左の白い船が灯船、右の船体がブルーの2隻が運搬船である。網船と何隻かの 灯船は先に入港してしまったので、この写真には写っていない。

     No.2とNo.3は、網船の写真である。航走性能に重点が置かれているので、巻き網漁船としては船体が長い。 この船型は、当時の下関におけるもう1つの基幹産業であった以西底曳網の漁船と似ている。船首部に居住区を集め、 それ以外の部分に低く長い作業甲板を設ける方式は、現在では、下関を根拠とし全く異なる業種である沖合底曳網 漁船に受継がれている。

     No.3はNo.2の後半の拡大である。後のマストより後方で網を扱う。 ブームに吊られた網捌き機と船尾にネット ホーラが見られる。右舷操業である。右舷は船体の陰になっているので、サイドホーラの有無は、これらの写真では 分からない。

     No.4の左は網船、右は灯船である。ネットホーラは、画面左端より左にあり、網捌き機は網の上に乗っている スキフらしい白い小舟の蔭になっている。右舷操業で、サイドホーラは当時でもすでに装備されていた。網には 浮子が密につけられていることが分かる。これが、巻き網の特徴の一つである。右舷の内側に見られるように パースリングブライドルは長い。水中において網地を動かすよりもブライドルを動かす方が同じ大きさの力でも 早く動かせるので、網底部を比較的早く閉めるためだろう。

     船橋の前にパースダビットが見られ、大きなブロックを吊っている。この船は幅が広く、水線上構造は低い。

     No.2・No.3と同時に撮影した写真である。同じ年に同じ漁港において見られた同じ業種に従事する漁船でも、 一方は長く高いが、他方は幅が広く低いことは、船主(あるいは漁労長)の好みによるのだろう。それぞれの船の 出身港における伝統と気風の影響を引継いでいる可能性も無視できない。一方は漁場が遠いことと探魚中の航走に 重点を置き、他方は投網中の旋回性能と揚網中の安定に重点を置いた構造になっている。

     漁業が急速に発展する時期には、漁業には活気と資金があり、それぞれの船主(あるいは漁労長)がアイディアを 出して好ましいと思う船を作るが、次第にある船型に収斂する。これらの写真は、この拡散段階における様子を 捉えたといえるだろう。

     右側の船は伝統的に灯船(ヒブネ)と呼ばれ、長時間集魚灯を点灯して魚を集めていた。しかし、操業法が変わり、 高速で走回りながら魚探を使って魚群を探す(小さな魚群を見過ごし、採算を取れそうな大きさの魚群が見つかれば、 網船に連絡する方式)になった。したがって、ある時期にある地方において呼ばれたように、魚探船と呼ぶ方が 作業の実態を表す。

     通信・船位測定・探魚に多種多様の電子機器を活用することが、日本における近代漁法の特徴である。その目安 として網船の船橋の上に見られるアンテナをNo.5に示す。当時でも、新船の建造費の約1/3は電子機器に当てられて いたと言われていた。アンテナの数は船位測定機器と通信機器の数を表す。しかし、当時は電波航法計器はあまり 発達していなかったし、それは底曳網漁業におけるほどは重要でない。水温分布図を配信・受信する装置は現在ほどは 発達・普及していなかった。したがって、ほとんどは通信用だろう。その多いことが分かる。現在の網船では、 この写真が示すよりもはるかに多このアンテナが見られる。網船に搭載されている機器の主力は、当然水中情報を 集める機器であるが、それらは外からは分からない。

     No.6はスラスタの操作盤の写真である。

     スラスタとは、船首(または船尾)付近に、左右に通じるトンネルを設け、その中でプロペラを回すことによって、 船首(または船尾)を目標から遠ざけるか近づける装置である。現在では、フェリー等にも普及しているが、 当時としては珍しく、個人経営の100トン以下の漁船に装備されることは考えられなかった。

     巻き網漁業では、投網後に船が横方向に流されて、網に乗上げることと網から離れ過ぎることは、好ましくない。 これを避けるために、灯船や運搬船を用いて網に対する網船の位置を調整する。この作業を、巻き網では裏漕ぎという。 日本の巻き網は船団操業なので、他の船を使ってこの作業ができる。スラスタがあれば、この作業を迅速に、 しかも他の船を使わずにできる。指示盤を見ると、スラスタは船首付近と船尾付近の両方に備えつけられていたことが 分かる。

     巻き網漁業は、当時は収入が多い漁業だったので、必要と思われる装置は比較的容易に取り入れられた。

     日本における中小規模の会社が運営する漁船では、漁労長の権限が強く、要求される装備は比較的付けやすかった。

     船間通信が音声化され、しかも通信士を煩わさずにできるようになったので、漁労長間の意見交換が活発になった。 そのために、例えばサイドホーラのように、仲間のどれかの船が装備すると、その装置が船団内に急速に広がった ことがある。

     予め、必要経費を差引き、残りを船主と乗組員との間で一定の比率で分ける習慣がある。このような装備の費用を 必要経費として予め引去れる場合には、全額を船主が負担しなくてもよい。乗組員からの要望が強い場合は、 この傾向が強い。船の方から要望される装置を装備しないと、仲間の他船よりも漁獲が少ないときには、真の原因を 追求することなく、すべてその装置がないからということになり、船主の責任にされる。この制度が、装備充実の 促進に役立った可能性がある。

     No.7からNo.9までは船橋内に装備された電子機器の写真である。

     巻き網船に電子機器が多数用いられるようになったのは、底曳網漁船におけるよりも古い。これは、浮魚用の 機器は指向角が広く出力の小さい機器でよく、それが指向角が狭く高出力の機器の開発に先行したことによる。また、 巻き網による1日の漁獲量の度数分布が指数型であるが、底曳網の場合は正規型か対数正規型であるという漁法に 内在する避けられない特性の違いも一因になる。

     No.7の左はダブル幅の魚探、右は普通幅の魚探である。出港してから入港するまで、これらが連続して使われる。 船の能力は全面的にこれらの機器に依存しているので、普通は重要な機器は2組ずつ同じ機能のものが装備されている。

     外国では、魚探等では乾式の記録紙を使うが、日本船では湿式の記録紙を使うことが普通である。

     No.8は、網船には多数の通信機器が装備されていることを示す。同系列の網船間、船団内の灯船や運搬船の他に、 陸上の船主との間に緊密な連絡が取られる。通信は船として重要な機能なので、漁労長と通信士が緊密な連絡が できるように通信機器は船橋内に配置される。電子機器の(操作と)保守は通信士が行うという習慣も、このような 配置をとる一因である。

     No.9の左に写っている円形のCRTは方向探知器の指示部である。No.5に見られるループアンテナの方向を操作して 発信源の方向を探知する。灯船と網船・網船と運搬船のような船団内の僚船の方向の探知は、操業中に繰替えされる。

     巻き網で大切なのは、水中情報を集める機器である。その例としてNo.10からNo.12までに、巻き網船の船底の 写真を示した。

     No.10は魚探の送受波器、No.11は水平魚探(日本では、捕鯨における鯨探機としてサーチライトソナーが、比較的 早く漁業において知られていたので、水平魚探は外国におけるほどは普及しなかった)、No.12はソナーの水中部を 上下させる穴である。当時としては、サーチライトソナーしか開発されていなかっただろう。

     現在に比べると、ネットゾンデと過去の情報を表示する装置・航法関係の電子装置が見られないだけで、性能を 問題にしなければ、漁労機器と電子機器のような主な必要な機器は、この時代にすでにほとんど揃っていた。

     No.13からNo.15までは、灯船の写真である。伝統的には網船と別に数隻の小舟が集魚灯を用いて魚を集めて いたので、灯船と呼ばれるが、魚探を用いて探魚する船である。小型であるが、網船に随伴して東シナ海で行動する。

     これらの写真が示すように、水線上構造は小さい。No.13に示すようにローリングキラーは幅が広く、裏漕ぎを するために舫綱を巻くリールが見られる。

     No.14は80年代中頃の魚探船の写真である。水線上構造は低い。操舵室の前には水中灯を上下させるウインチが 見られる。この船にはソナーを含む各種魚探(普通の魚探・ダブル幅・部分拡大・マルチペン方式等)と通信機器 を多数備えるので、その表示部が集る操舵室(海図室の部分)は長く、アンテナは多い。この船は網と漁獲物を 搭載しないので、小さくてもよいが、荒天下でも網船からの指示に従って行動しなければならないので、ある程度の 大きさが必要になる。乾舷は著しく低く、小型漁船としては居住区が広い。

     そのうちの1隻には、漁労長が乗り、船団の司令船として働くことがある。

     No.15は灯船の写真である。伝統的な以西底曳網漁船と似ているが、この写真を撮影した年代には以西底曳網漁船は 船尾式に変わっていた。また以西底曳網漁船よりも、はるかに小型である。

     運搬船には、代船を建造して操業許可を失った古い以西底曳網漁船や古い小型の貨物船が使われることが多く、 特定の船型に限られないので、写真は省略する。

    No.16
    [No.16: ft_image_19_11_12/image031.jpg]

    No.17
    [No.17: ft_image_19_11_12/image033.jpg]

    No.18
    [No.18: ft_image_19_11_12/image035.jpg]

     No.16からNo.18までは、70年代の初めに三崎において撮影した。船体は長い。船橋は著しく前に片寄り、3層で 幅は狭い。

     漁労設備としては、船尾にネットホーラがない。丈夫なブームの先端にパワーブロックが固定されている。 これは外国におけるものと同じような大きさと構造である。網はパワーブロックで揚げられると考えられる。 しかし、右舷のブルワークトップには、長いサイドホーラがついている。

     西日本における巻き網船と似ていないが、本来の米式巾着船からも程遠い船型である。集魚灯の設備はなく、 行動を共にすると考えられる船が近くにないので、単船で昼間操業をする巻き網船と考えられる。

     巻き網船が、ファイル「日本におけるアメリカ式マグロ巾着網漁船」に示された型に近づくある段階において 改造されたか建造された船と考えられる。

     No.17は船尾方向から見た写真である。パワーブロックは外国船におけるものと同じ規模であるが、それを吊る ブームの付根近くには網捌き機がある。これは外国船では見られない。すなわち、一旦パワーブロックで揚げた網を、 低い位置にある網捌き機で受ける作業パターンが考えられる。

     No.18はこの船を右舷がわから見た写真である。中央やや左寄りに網捌き機、右舷ブルワークトップに沿って サイドホーラが見られる。網捌き機とサイドホーラは日本の巻き網に独特の装置である。これらの点には、当時の 日本の巻き網船の影響が見られる。

    No.19
    [No.19: ft_image_19_11_12/image037.png]

    No.20
    [No.20: ft_image_19_11_12/image039.jpg]

    No.21
    [No.21: ft_image_19_11_12/image041.png]

    No.22
    [No.22: ft_image_19_11_12/image043.png]

    No.23
    [No.23: ft_image_19_11_12/image045.png]

    No.24
    [No.24: ft_image_19_11_12/image047.png]

    No.25
    [No.25: ft_image_19_11_12/image049.png]

    No.26
    [No.26: ft_image_19_11_12/image051.jpg]

    No.27
    [No.27: ft_image_19_11_12/image053.jpg]

    No.28
    [No.28: ft_image_19_11_12/image055.png]

    No.29
    [No.29: ft_image_19_11_12/image057.jpg]

    No.30
    [No.30: ft_image_19_11_12/image059.jpg]

    No.31
    [No.31: ft_image_19_11_12/image061.jpg]

    No.32
    [No.32: ft_image_19_11_12/image063.jpg]



    No.33
    [No.33: ft_image_19_11_12/image065.jpg]

    No.34
    [No.34: ft_image_19_11_12/image067.jpg]

       No.19からNo.34までは、80年代に石巻において撮影した。東北地方において見られる昼間操業の巻き網船団の 写真である。他の地方における巻き網と多くの点において異なるので、ここに示す。

     No.19は、左から見た網船の全景の写真である。船橋は前から約1/3にあり、通常航海用の操舵室の上に見張台 がある。漁労装置として目立つのは、ブームの先端とそれよりやや下がった位置にある大きな網捌き機である。 巻き網船としては舷側が高いように見受けられる。しかし、No.21に見られるように乾舷は低い。

     この写真では、背景と重なり、網船は分かりにくいので、No.20からNo.26までに種々の方向から網船を写した 写真を示した。

     No.20は後方から写した写真である。漁労装置として、船尾左側にネットホーラがある。これは車型で、他の 地方において普通に見られるものと同じ型である。太いブームの上端と中程に網捌き機が見られる。上端の網捌き機は、 ブームの上端に固定されている。これを用いて直接網を揚げると、パワーブロックの特許に抵触し、形と大きさを 見るとパワーブロックと同じように見えるが、ネットホーラと網捌き機を備えている。下の網捌き機は、幅が狭い。

     船尾方向から見た全体像は、No.21が分かり易い。漁労装置としては、先に記したものの他に、右舷ブルワーク トップに沿ってサイドホーラが見られる。

     船尾に見られる小舟は、船名を見ると随伴船の可能性があり、船尾中央にはそれを曳航するフックが見られる。 (スキフの可能性のある船は、No.31にもみられる。少なくとも計3隻ある。No.31の船尾に挟み込まれた小舟が スキフとして働き、他は探魚と裏漕ぎ等の作業に当たると考えられる。)

     画面中央の黒い部分は、鳥居型マストの上端と除煙板である。トロール船では、鳥居型マストを煙突と兼用する ことがあるが、その可能性はない。

     現在の内燃機関では、普通の船に見られるような煙突は必要でなく、排気孔で十分である。この船では、中心線 から外れて短い煙突がある。煙突はNo.23で分かりやすい。しかし、見張台の下に除煙板がある。除煙板は見張台 からの後方視界を確保するためだろう。

     除煙板の下を通して通常航海用の船橋が見られる。その4面全体は窓になっており、それを通して甲板における 作業を見渡せるだろう。その上には、探魚のための見張台とさらにクロウネストが見られる。

     右舷を見ると網を載せて出港するときには、甲板はほとんど海面の高さまで下がっていることが分かる。

     No.22は、前から見た網船前部の写真で、船橋は狭いことを示す。

     西日本における巻き網は夜間操業で、高速で航走する灯船(=魚探船)の魚探による探魚に重点を置いているが、 この地方では昼間操業で、目視による探魚に重点を置いている。

     No.23は船橋付近を示す。船橋は4面がほとんど窓である。これでは必要最低限の機器の指示部しか置けない。 大部分の機器の指示部はその下の層か壁面から離して置かれているのだろう。あるいは、極表層を泳ぐ魚の探魚 には海鳥とか表面の状況のような計器によらないか特殊の計器による方法に重点を置いていることが考えられる。

     昼間には船橋と見張台の間で魚群を探しながら操船することが考えられる。除煙板は、後方から風を受けながら、 探魚・操船する際にも機関の排気によって妨げられなくする。

     船橋の上で操船しながら探魚するような構造は、西日本における漁船では考えにくいが、この地方において稼動 するカツオ竿釣漁船やサンマ棒受漁船では普通の構造である。

     前檣と後の鳥居型マストの間には多数のアンテナがあり、船位測定と水温分布図を含む情報の受信機と通信機器が 多数装備されていることが分かる。

     No.24は鳥居型マストより後部を示す。(網のすぐ上に)水平に近いもう一本の短いブームがあり、それから 下がるボールホーラが見られる(この船では、他にも数組のボールホーラを装備している)。サイドホーラから 揚がってくる網を取込む。

     写真では、陸上のクレーンのアームが重なって写っている。下の網捌き機はこれから下がっているように見えるが、 他の写真に見られるようにブームから吊られている。

     No.25は、右後方から写した写真である。サイドホーラは、いくつかの部分に分かれて長い。魚捕部だけでなく、 広い幅から網を揚げると考えられる。そのために、3組のボールホーラが見られる。

     No.26は操舵室の前にあるパースウインチを示す。軸は前後方向に走る。西日本の巻き網船における同様な装置 よりも大きく、米式巾着網船におけるそれと似て一体型である。ドラムを見ると環綱はワイヤである。

     米式巾着網船のウインチでは、2軸3ドラムであるが、これは1軸1ドラムらしい。(1軸2ドラムの可能性が 高いが、ドラムの境目は写真では分からない。)

     No.27とNo.28は網裾の写真である。No.27では、隙間なく付けられている沈子が見られる。No.28は、魚捕部には (沈子あるいはパースリングブライドルとして)チェーンが使われていることを示す。

     チェーンは重さを均一にし、部分的な脱落がない長所があるが、日本の巻き網ではあまり取り入れられていない。 外国の巻き網では、沈子とパースリングブライドルがすべてチェーンのことが多い。

     沈子側の縁網の目合いは特に大きく、そのために環綱を素早く閉められるようになっている。大きな目合いには、 沈子方を早く沈みやすくするとともに、このような長所がある。

     No.29からNo.31までは、網船に随伴する船関係の写真である。単なるスキフと考えるには大き過ぎる。本来の スキフならば、水線上の構造はほとんどない。操舵室の上でも操舵でき、さらにその上でも見張ができる。 したがって、スキフとして以外の目的で使われると考えられる。

     大きい方の船は、主に探魚に当たり、スキフやスピードボートとして使う小舟を漁場まで運ぶための船であると 考えられる。

     No.30に示す随伴船には、船尾にもう1隻の小舟が挟み込まれている。この小舟が投網中に網の一端に繋がれて、 本来のスキフとしての作業をするのだろう。1つの網船に随伴するこのような小舟が複数見られるので、もう一つの 可能性として、少なくとも1隻以外は米式巾着船に搭載されているスピードボートとしての作業をすると考えられる。 これは、網で巻かれつつある魚群が、まだ閉ざされていない部分に近づかないように追い立てる作業である。

     この小舟は網の浮子綱を乗り越えなければならないので、スクリューと舵には蔽いがかけてある。

     スキフとスピードボートは、網の輪ができると、その外にでなければならないので、大きい方の船はどちらとしても 適当でない。

     No.31は他の網船に随伴する船の写真である。高い見張台があり、船尾に本来のスキフを挟み込む。裏漕ぎには この船を使うので、舫綱を巻き込むリールを備えている。

     No.32からNo.34までは、運搬船の写真である。操舵室は高い。No.32とNo.34に示す写真では前檣には見張台が 見られる。運搬船も目視による探魚に参加することが分かる。

     No.33とNo.34は、荷役中の写真である。水氷にされて魚倉にバラ積みになっている漁獲物は、丈夫な枠と長い柄が 付いたタモ網によって掬いだされる。漁獲物の種類はわからない。しかし、この時代にはフイッシポンプは普及 していた。この船が荷役しているのは、氷蔵バラ積みされている直接食糧として消費される魚種であると考えられる。 しかし、カツオ・マグロ類であれば、陸上でトラックにバラ積みされると考えられない。これと異なる荷役法が 取られる可能性が高い。

     運搬船とこのタモ網の大きさは、陸岸で漁獲物を受け取っているトラックと比べると分かる。

    No.35
    [No.35: ft_image_19_11_12/image069.png]

    No.36
    [No.36: ft_image_19_11_12/image071.jpg]

    No.37
    [No.37: ft_image_19_11_12/image073.jpg]

    No.38
    [No.38: ft_image_19_11_12/image075.jpg]

    No.39
    [No.39: ft_image_19_11_12/image077.jpg]

    No.40
    [No.40: ft_image_19_11_12/image079.png]

    No.35からNo.40までは、80年代に能登半島外側の、巻き網船が繋留してある船溜りで撮影した写真である。 しかし、No.38からNo.40までに示す船では、巻き網船と船体は似ているが、装備を外してあり、従事する業種を 特定できない。

     No.35からNo.37までに示すように、ここに示す巻き網船は、No.19からNo.26までに示した船団以外とよく 似ている。

     No.35に示すように、操舵室の前には、環綱を扱う設備が見られる。船尾にネットホーラと、ブームに吊られた 網捌き機が見られる。右舷操業である。

     No.36に示す写真では、これらの他に、右舷ブルワークトップにサイドホーラがあり、右舷船首付近にパース ダビットが見られる。大きなブロックを吊ってある。船体は幅が広く、乾舷は低い。船尾は角型である。

     日本海において操業する底曳網漁船は、船首が高く立ちあがっているが、巻き網船では立ちあがりはあまり 目立たない。

     No.37の左に示す船は灯船である。アンテナはあまり多くない。

     以下に示す写真は、これまでに含められなかった巻き網に関連した写真である。断片的な写真であるが、 各部分の説明には役立つ。

    No.41
    [No.41: ft_image_19_11_12/image081.png]

     これは、70年代中頃に宮崎県下において撮影した小型巻き網の浮子方の写真である。網は画面の上の方に続く。 巻き網は定置網とともに、他の漁法と比べると多量の網地を使う。

     浮子綱と簡単に呼ばれているように、1本の綱でもよいが、実際にはその構造は写真に示すように複雑である。

     2本の綱があり、外側(網の上方、画面では下方)の綱に浮子が通され、内側の綱はそれと平行に走る。 この写真に示す浮子は、小型巻き網用としては標準型である。揚網の際に力がかかり、ネットホーラを通るので、 浮子は時々壊れるが、浮子は綱に通してある。修理するときには、外側の綱を(部分的に)外さなければならない。

     最近の網では、大きな力がかかる場合は、Z縒りの綱とS縒りの綱を並べて使う。しかし、S縒りの綱はあまり 普及していなかったので、この年代の小型巻き網では、2本ともZ縒りであった。これが本来の浮子綱である。

     網は浮子綱に直接結ばれない。浮子綱と網本体の間に特殊な構造のものが挟まれる。これは巻き網ばかりでなく、 底曳網でも見られる。すなわち、浮子綱と網の間には、(1目だけの無結節網のような)所々縒合わせたそれ よりも細い2本のZ縒りの綱が挟まれる。その外側の1本は内側の浮子綱にかがられ、内側の1本は縁網に密に かがられる。浮子綱に結びつける綱はやや太く、Z縒りの方向にかけ、結節はほとんどない。

     縁網には大きな力がかかるので、太い網糸で編まれている。大型の巻き網では、縁網と本体の目合いは大きく 異なるが、この網では目合いはあまり違わない。

     網と索具の連結に種々の嗜好をこらして、結果として複雑な構造になる傾向は、定置網や底曳網でも見られる。 今後、網の仕立に省力化と経費節減が望まれるとすれば、このような複雑な構造がどこまで残るか興味深い。

    No.42
    [No.42: ft_image_19_11_12/image083.png]

     網裾の写真である。網は画面の下の方に続く。沈子綱に沿って縁網があり、網の本体と目合いは大きく異なる。 沈子方の綱の配置は浮子方と似ている。小型巻き網では、外側の沈子綱には小さな鉛の沈子が付けられる。

     パースリングブライドルを付ける部分では、縁網と沈子綱の間に三角形の構造がつけられる。これは、やや太い 綱を組合せただけで、結節はない。(力がかかると変形して力を緩和する。同じような構造は、底曳網でも 見られる。)三角形の頂点からパースリングブライドルが下がる。その先端には結んでコブが作られる。

     環からでる枝は長い輪になり、強く撚られる。それらが引かれることによって、このコブが抜けなくなる。 力を緩めこの撚りを戻すことによって環は外れる。すなわち、環の列は網と結ぶかクリップ留めでなく、 このような構造になっているので、揚網の進行に従って外しやすい。

     網から下がる枝と環に続いた枝のどちらの先端がコブになり、どちらの先端が輪になるかは、地方の習慣に よって異なる。

    No.43
    [No.43: ft_image_19_11_12/image085.jpg]

     ピンに通された環を示す。環締めが終わると、環の束はピンに通される。このピンは巻き網解説のNo.13、 14、20、21に見られる。

     揚網が進むに従って、パースリングブライドルの連結を外し、環はピンに残され、ブライドルは網本体に ついたままネットホーラから網捌き機を通る。

     揚網が終わると、環綱を環に通し、ブライドルと環を1つずつ連結する。これで、投網準備が終わる。 この写真では、環に環綱は通されていない。

    No.44
    [No.44: ft_image_19_11_12/image087.jpg]

     網裾に付けられたネットゾンデを示す。普通は1統の網に少なくとも3基付けられる。

     水圧を感知して、その深さを示す。

     網裾は、投入されると沈降しはじめるが、網地は大きく、沈子は少ないので、沈降速度は潮流と水温の垂直 分布によって変化する。環締めを始めても、網裾はしばらくの間沈降を続ける。沈子綱が魚群の下端を通過する 少し前に環締めを始めなければならない。そのタイミングを計るのは、漁労長の勘にまかされていた。

     ネットゾンデからの情報は、(複数基のゾンデがついているときでも、すべてが)魚群を記録している魚探に 表示されるので、この判断はしやすくなった。

     魚群の深度は魚探の音波の伝播速度で測り、網裾の深度は水圧で測る。それらが同じ画面に表示さされる。 異なる原理によって深度を測られるが、普通は更正は考えていない。

     音波の指向角が大きな魚探を使う場合、網裾が揚がってくるとき、ネットゾンデの信号の下に魚群らしい像が 見られることがある。これは、網の外に網から逃れたが集魚灯についている魚群のこともあるが、弛んでいる 網地の魚探像のことがある。揚網の進行に伴う像の変化を見ると、そのどちらかが分かる。

     ネットゾンデの導入は、他の音波機器の導入よりも遅れたが、それでも比較的早い。最近では、ほとんど すべての沿岸小型巻き網でも使われている。

     

    No.45
    [No.45: ft_image_19_11_12/image089.jpg]

    No.46
    [No.46: ft_image_19_11_12/image091.jpg]

     No.45とNo.46は網裾の写真である。沈子綱・パースリングブライドル・環を示す。環に は環綱を通してある。すなわち、投網準備は終わっている。

     これは沿岸巻き網としては大型に属し、環綱はワイヤである。(海外の巻き網では、環綱はワイヤのことが多く、 沈子とパースリングブライドルはチェーンのことが多い。) 

     写真に示すように、パースリングブライドルはかなり長い。すなわち、環と沈子綱の間には、パースリング ブライドルのカーテンができる。環締めの段階において水はここから抜けやすいので、環を締める力は網裾を 閉めるのに有効に働く。縁網に大きな目合いを用いることとともに、網裾の沈降と環締めを早めるように工夫 されていることが分かる。

    No.47
    [No.47: ft_image_19_11_12/image093.jpg]

     パースダビットの写真である。普通は2本あり、航海中は船の内側に取込んであるが、操業中には外側に 向けられる。曲がった頑丈なダビットである。大きなブロックを下げる。それを吊るリングには、大きな力が かかるので、特に丈夫に作られる。単なる輪のように見えるが、鉄ロッドを曲げて溶接したものでなく、 太い針金を何回も巻いて溶接してある。すなわち、切れ目がない。

     環綱が走るので、支索はとれない。その方向は、写真に見られるように舷側にある角型のソケットによって 決まる。(これと同じように支索を用いず、ダビットの方向を変えて固定する方式は、例えばアメリカのカニ カゴを揚げる装置でも見られる)。

    No.48
    [No.48: ft_image_19_11_12/image095.jpg]

     投入された網の形状が夜間でも分かるように、ウキの付いた耐水懐中電灯が浮子綱の所々に付けられる。

     画面右半分は、浮子方の縁網は網の本体よりも目合いが大きく、網糸が太いことを示す。

    No.49
    [No.49: ft_image_19_11_12/image097.jpg]

    No.50
    [No.50: ft_image_19_11_12/image099.png]

     No.49とNo.50は灯船に見られる集魚灯を扱う装置の写真である。

    No.51
    [No.51: ft_image_19_11_12/image101.png]

    No.52
    [No.52: ft_image_19_11_12/image103.png]

    No.53
    [No.53: ft_image_19_11_12/image105.png]

     各種の水上灯の写真は、ファイル「イカ釣」 に示した。水中灯はここに示す。これらの写真から分かるように、 沿岸巻き網で使われる水中灯の電球は、同じ地方の同じ年代に水上灯として用いられたものと同じである。ソッケットまでは耐水性に なっているが、電球自体は直接海水に触れている。

     No.52に見られるようにタングステンフィラメントを使った電球は黒ずんでいる。この傾向は水上灯でもみられる。 電球の寿命よりも明るさに重点を置き、規定よりも高い電圧をかけて使用することを示す。


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