漁業技術の画像集・FishTech
著作者/水産大学校名誉教授・理学博士 前田弘
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第 3 部 21 定 置 網 11 定 置 網 小型定置網は、全国各地の沿岸に見られ、それぞれの地方独特の形態があり、種々の名前で呼ばれる。個人経営 である。大型定置網は宮崎・土佐・熊野灘・相模湾・常磐沖・五島・対馬・能登半島・佐渡等のように、多くは 暖流の影響が強い沿岸の岬が突出した地方にあり、僻地の漁村としては数少ない雇用先であった。しかし、現在では 僻地では過疎化、特に働き盛りの若年層の過疎化が著しい。毎日の労働は比較的短時間の軽労働であり、老人特に 引退した漁師の仕事となった。何枚かの写真では、このことが分かる。大謀網・台網・大敷網・落網・2重落網・ 中層定置網等構造には変化が大きい。 漁獲物は回遊魚を主体とし、磯魚類を含み変化に富む。この傾向は枡網等小型の網では、特に著しい。 多くの定置網は長期間設置されるが、冬期のブリ漁は有名である。ブリは養殖が普及する前には、各地(特に 西日本と日本海岸)では、伝統的な保存食や食べ方があり、また、年末の贈答品等、一般市民の習慣に深く根付い ていた。 この漁業には大きな資本が必要であり、地元の旧家である網元の経営・漁協を基盤とする組合の経営から大手の 水産会社が経営するものまで、経営基盤の差が大きかった。しかし、1日の漁獲量は指数型である。すなわち、 大部分の日は漁獲が全くないか、ほとんどなく、魚種は多い。年に数回あるかどうかの大漁によって年間の経費 をまかなっていた。大漁のときには、単一魚種が多く、現地における一時の保蔵や僻地からの輸送の手配が大変 であり、したがって、市況の変動が大きかった。 海岸に固定されているので、漁獲変動は設置位置と自然現象(水温と気象)に支配され、それが経営基盤に影響 を及ぼすので、魚道・水温との関係・漁具の構造とそれに及ぼす流れの影響等の研究に力が入れられ、研究が最も 進んだ漁業の1分野とみなせるだろう。 陸上には倉庫と番屋しかなく、漁港には1日に1回か2回1時間程度しか使わない網起しのための小さく平らな 船しかない。網は海中に設置されるので、陸から見ると浮子の列が見られるだけである。 大きな網を作らなければならないので、機械編網が進むまでは、多量の材料を集め網を作る労力は大変であり、 網の作成は、閑漁期(あるいは農閑期)における余剰労働力が行う手作業であった。そのために、大きな網でも、 部分によって網糸の太さと目合いを変えられる利点があった。それが、異なる構成要素を組み立てて、一つの システムを作り出す技術の蓄積につながる。この伝統的背景が、機械編網によって作られた化学繊維の網を容易に 入手できる現在でも残っている。 長期間にわたって網を海中に網を設置するので、時々網を揚げて乾かさなければならない。特に夏季には付着生物 の成長が早く、流水抵抗が増えるので、年に数回網を入替える。 化学繊維が普通に使われる現在では、腐敗の問題はなくなったが、付着生物の問題は残っているので、網を入替え なければならないことは変わりない。 大きな船を使わないことと、活魚を漁獲できることが、定置網の大きな長所である。また、近年では魚を取上げる 日でさえ調整できる。しかし、多人数で操作しなければならないことが短所である。これが現在の社会情勢には適応 せず、また人口希薄な諸国では、その普及を妨げている。大型定置網の普及を妨げている原因には、資本の蓄積と、 コールドチェーンと魚食の習慣が不充分なこともある。漁船漁業では、大きな冷蔵庫がある港に水揚げし、地元の 消費にあてるか、輸出向け加工や、ミールにする等の方法があるが、定置網による漁獲は、これらの目的には合わない。 取扱いにくい被写体であるので、主に陸上における作業と網を起こす船の写真しか示せなかった。
[No.1: ft_image_21_11/image004.jpg]
No.2
No.3
No.4
No.5
No.6
No.7
No.8
No.9
No.10
No.11: 小画像なし
No.12
No.13
No.14
No.15
No.16
No.17
No.18
No.19
No.20
No.1は干潮時に写した枡網の写真である。この漁法の発祥の地である岡山県の日生の近くで撮影した。身網の 突当りは、箱網のような構造になっているので枡網本来の型でない。 枡網には、海底から海面の上まで伸びる杭で支える型と、海面から浮子の列で支える型がある。No.2とNo.3は 杭で支える型の模型である。こちらの方が原型であると考えられる。No.4とNo.5は浮子で支える型の模型の写真である。 身網は多角形で、各角には袋網がついている。これは長い円錐型の袋網で、この部分だけを揚げて漁獲物を 取出す。身網を支える柱から紐をとり、袋の入口付近に結ぶ。この紐を引揚げると袋の口近くが上がってくる。 袋は少なくとも身網の半分の深さより底近くに付けられる。これは特にブイで支えられる網の場合、干潮時には 網地がたるみ、それが潮流に吹かれて膨らみ、袋が網の上半分に付けられると袋の入口をふさぐ傾向にあるため であると言われる。 No.6とNo.7は、No.16からNo.20までで揚げている網の袋網である。網は海上にあると小さく見えるが、枡網 としては標準の大きさである。その袋網でさえ入口は人間の丈くらいはある。奥に向かって輪は次第に小さくなり、 途中に逆止のフラップが付いている。袋網に入っている魚は、袋網を揚げている間に、次第に奥に追込まれ、 漁獲物は末端をあけて取出される。 No.8からNo.14までは、杭で支える型の枡網の写真である。この形式の網は主に瀬戸内海各地で見られる。 岸から沖に向かって垣網が伸び、その先端に身網がある。杭と身網は満潮時でも十分海面の上まででてる。 No.12に示す網は2段になっている。 No.14とNo.15は浮子で支える形式の網の写真である。No.14は「エリ」からブイで支える型に進化し、 琵琶湖で使われる。No.15の形式の網は山口県では外海に面しているが波の静かな沿岸で見られる。 No.16からNo.20は、その漁獲物を取上げる作業中の写真である。この写真に写っているように、1隻の動力付き の船を用いて1人か2人で網を揚げる。動力は航走用で、袋網を揚げるのには使われない。作業は短かく、一家で 数統を扱う。網の設置場所は決まっており、一家で扱う統数は、その数と従事する家族数によって決まる。
[No.21: ft_image_21_11/image039.jpg]
No.22
No.23
No.24
No.25
No.26
No.27
No.28
No.25とNo.26に示すように、網を固定するために、藁で作ったモッコを造り、それに石を詰めている。この網は 老人が4人で造っている。 No.27の右隅にはその石が積まれている。陸上でも建設等に石を使う機会が減ってきたので、その石を集めること が次第に困難になってきた。網を固定するには、伝統的にはこの方式か錨が用いられていた。 定置網は漁期外には引揚げられ、次の年にはほぼ同じ位置に設置される。石を詰めたモッコの藁は腐るが、石は そこに残される。設置された網は流れのために狭い範囲の海底で動く。この方式では、残った石に網が掛ることが あるので、現在ではNo.43に示す砂袋か、海底に設置した大きなセメントブロックに変えられる。 No.27は、その網を作るために、近くに集められている資材の写真である。右中程には海面から網を支えるブイを 付けたロープが見られる。 No.28は、先に示したブイを付けたロープの拡大写真である。網の本体はロープに直接付けられず、網からでている ロープの枝とブイを結んだロープからでた枝を結んで付けられる。これは、ブイの列で作られた枠をそのまま残し、 ときどき網を入替えなければならないためである。
[No.29: ft_image_21_11/image054.jpg]
No.30
[No.31: ft_image_21_11/image058.jpg]
No.32
[No.33: ft_image_21_11/image062.jpg]
No.34
No.35
No.36
No.37
No.38
No.39
No.40
No.41
No.42
No.43
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網の輪の遠方の側と手前側のブイの列は区別できる。実際にはそれぞれの側のブイは少なくとも2列、普通は 3列ずつある。大きいブイの列は網の型を作る。その内側に網を支えるブイの列がある。これは網の上縁から 少し下がった位置にあり、小さく密で、刺網の浮子の列に近い。この列からロープの枝がでて、外側のブイの 列からでた枝と結ばれ、網はブイの列で作られた枠に取りつけられる。最も内側にあるのは網の上縁のひさしの ように内側に伸びた部分のブイの列である。これは小さく、先のものほど密でない。 網を入れかえるときには、枠はそのまま残し、枠と網からでたロープの枝の結び目がはずされる。急潮や荒天の ために、網をはずさなければならないが、網を揚げる余裕のないときには、はずした網に錘をつけたロープを 渡して沈める。おさまったときには4爪錨等でロープを引っ掛けて、網を揚げる。 No.34は台アバと呼ばれるもので、網の位置の基準になる。孟宗竹の束か多数のブイの塊であったが、大きな 鉄製に変わり、部分的な破損の影響はなくなった。 No.35からNo.37までは、「網起こし」の写真である。’70年代の中頃に撮影したが、その頃でもすでにこの 漁業では老齢化が起こっていた。網の構造を変えることなく機械化をするために、ボールホーラが用いられていた。 しかし、この機械ではNo.37に示すように、とこどき網地を巻込むことがある。これに素早く対応するために、 この機械を操作する人だけは比較的若手であった。この近くの越ヶ浜の定置網では、網を起す方向に綱を取りつけ、 それをNo.51からNo.53に示す船につけられた装置によって引揚げながら前進する方式が取られた。 数隻の船を並べ、隙間のないように舷側に並んで網を起こす。この際、部分的な遅れが生じ袋状になると、 そこに魚群が突っ込み、網目に刺さって、それを外さなければ、局部的に流水抵抗が増え、しかも数日後には 腐った魚が漁獲物に悪臭をつけるので、かなりの労力をかけて外さなければならない。この作業をNo.75に示す。 No.38とNo.39は、交換するために陸上で乾かしている網である。付着生物は網を乾燥させた後で叩くか踏んで 落とす。化学繊維が導入される前は、これをタールで防腐しなければならなかった。これだけの大きな網から 付着生物を除くのは労力がかかり、防藻剤が開発されたが、その影響が問題になった。化学繊維で網を作る 現在では、防腐の問題はないが、付着生物の防止と比重を増やして網が流れの影響を受けにくくするために、 タールで染める習慣は、一部の地方では残っている。 これらの写真において、注意しなければならない点は、部分によって異なる材料が使われていることである。 手前の黄色に見えるのは垣網である。この部分は目立ち、水の動きによって振動ずるように、黄色に染められた 毛羽だった材料あるいは撚糸でなく、荷造り用のバンドのような材料でできていることさえある。以前には藁縄で 作られていた。目合いは写真でも分かるように、十分魚が通抜けられるほど大きい。 No.40は運動場の網裾の写真である。この網は流れを遮る方向にあるので、流水抵抗が少ない材料で作られる。 目合いは大きい。付着生物が付くので、磯魚類は自由に出入することが知られている。一番下の網目は2重になり、 その中を1本の縁綱が通る。しかし、それは網目と結ばれていない。その外側に1本の縁綱が沿わされる。 それに、鉛の沈子を通した沈子綱が取りつけられる。これらの部分は絶えず動き、海底と擦れるので、その連結には、 電線を焼いて取った銅線が使われる。 No.41は箱網の部分の網地の写真である。この部分には底にも網がある。底の部分と側壁の部分で必要な性能が 異なるので、材料が異なる。両方の網の間には2本の縁綱がある。その1本には鉄製の沈子が通されている。 このように、網地は勿論、沈子だけを取っても、部分によって材料が異なる。 No.42は昇り網の奥にある漏斗の入口にある輪を示す。この部分の網目は小さい。 No.43は網を固定する砂袋を示す。No.31の模型に示す網から放射状にでているロープの先端は、以前には錨か 藁縄で作った袋に石を詰めたモッコに結ばれていたが、砂袋に変わった。大型定置網でも砂袋が使われる例として示す。 この他にも、浮くロープと沈むロープを使い分け、例えば、ロープにブイを結ぶためには、濡れると縮む 材料を使い、ブイの下には摩擦に強い網地を挟む等、必要に応じて異なる材料が使われる。
[No.44: ft_image_21_11/image087.jpg]
No.45
No.46
No.47
No.48
No.44では部分によって異なる材料で組み立てられていることを示す。垣網は黄色で、目立つように作られて いることを示す。 No.45とNo.46は垣網と運動場の部分の網で、2種類か3種類の材料で作られている。 なお、No.44とNo.46では、黒く染められた網が写っている。これらには、浮子が付いているので、同じ網干場 においてある巾着網であることが分かる。 No.47とNo.48は赤い定置網と並べてある黒い網を示す。No.47は向かって左半分、No.48は右半分の写真である。 背景の家屋と比べると網地の大きさが分かる。これは、浮子が付いているので、巻き網である。定置網と巻き網が 同じ網干場に干されているので、注意しなければならない。 巻き網も陸上に並べるとかなり大きい。この漁港の網干し場の近くには巻き網の網船が着岸していた。
[No.49: ft_image_21_11/image093.jpg]
No.50
No.51
No.52
No.53
No.49は網起しに補助動力機が導入される以前の典型的な網起し船の写真である。先に記した特徴を備えた 和船である。動力機を導入する前には木製のキャプスタンを備えていた。船尾にはスクリュウと梶を引揚げる 簡単なヤグラがあるが、木製であった。これは、網を起こす際に、網を越えて出入しなければならないからである。 No.50は同じ網を起こすために用いられる無動力船である。当時でも無動力船は定置網の網起し以外では ほとんど用いられていなかった。 No.51は網起しの補助機械として最初に導入されたベビーホーラと呼ばれる機械を示す。箱網の底に沿わせた ロープを巻きながら魚捕に船を進めるのに使われる。扱う人が老齢化しているために、操作が簡単であることに 重点が置かれて選ばれた。冬期の早朝に暖を取るためにドラムカンが置いてある。船尾あるスクリュウを 引揚げるヤグラは金属製に変わった。 No.52はNo.51の拡大写真である。導入以前に使われていたロクロの芯が残っている。機関室は網起しの邪魔 にならないように低く、小さい。肩幅が広い。網を起すために、ブルワークが著しく低い。 No.53は同じ船を数年後に写した写真である。船体等は変わっていない。ベビーホーラでは力が不足するので、 中央の1台だけが定置網専用のボールホーラに変わった。この機械ではNo.37に示したような網を巻込む トラブルが時々起こるが、網起し船の写真が示すように、定置網ではこの装置が定着した。このように、 定置網の機械化では、網の構造を変えないことと扱い易さに重点が置かれる。
[No.54: ft_image_21_11/image103.jpg]
No.55
[No.56: ft_image_21_11/image107.jpg]
No.57
[No.58: ft_image_21_11/image111.jpg]
No.59
[No.60: ft_image_21_11/image115.jpg]
No.61
No.62
[No.63: ft_image_21_11/image121.jpg]
No.64
No.65
No.66
No.65では船首は角型である。 No.66は定置網の網起し専用に造られた船で長方形である。新造船には珍しく無動力船である。
[No.67: ft_image_21_11/image131.jpg]
No.68
No.69
No.70
No.71
No.72
No.68からNo.70までは、大型定置網1統を起す船6隻の集団の写真である。No.69では1隻が影になっている。 これらの写真を見ると、機関室が目立つ船2隻(No.68)、長方形の船4隻よりなる。うち1隻は機関室を備える。 (No.68に示す船の左にあることが、No.69から分かる。)最初に記した船では船首材が立ち上がっている。 これは古い和船の特徴であるが、この型が山陰地方で見られるのは珍しい。 乾舷が低く、肩幅が狭い長い長方形である。定置網の網起しの無動力船の専用船が現在でも建造されている。 これらの船には、ほとんど資材を乗せていないことも、定置網の網起し船の特徴である。
[No.73: ft_image_21_11/image142.jpg]
No.74
[No.75: ft_image_21_11/image146.jpg]
[No.76: ft_image_21_11/image148.jpg]
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