漁業技術の画像集・FishTech
著作者/水産大学校名誉教授・理学博士 前田弘
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第 4 部 80 地域別 11 北洋底魚漁業 11-12 母船式底魚漁業 1962年に北洋における母船式底魚漁業に参加した際に撮影した写真と、その後1973年と74年に底延縄船に乗船した 際に撮影した写真を整理し、このファイルにまとめた。 1962年には、まだスリミ工船がなく、サイドトローラとスタントローラが共存していた時代である。 1960年まで、日本は北洋で底魚類をほとんど漁獲していなかった。60年代の初めにおける底魚船団の独航船は、 以東底曳船(主に80トン級の木造船)と以西底曳船(主に130トン以下、600馬力以下の鉄船、母船式底魚漁業の No.31に見られる)が主力を占め、以東底曳船を臨時に改造した底延縄船が180°以西でオヒョウを対象に操業して いた。しかし、その漁獲が多い水深は大陸傾斜面の上縁に限られ、それから落ち込むとギンダラが漁獲された。 大型の母船式底魚船団とフィッシミール船団は、その後スリミ工船トロールに変わり、小型の底魚船団はギン ダラを対象とした独特の船型をした底延縄船に変わった。以西底曳船が1,000馬力を上回る主機関を備え、大きな網 を曳くようになったのは、もっと後のことである。 その後、200浬経済専管水域の制度が確立し、両者とも姿を消した。
このファイルでは、ある時代の技術的及び社会経済的背景の下で存在していた漁業に関する記録を示す。それらは
次のファイルに分けて入っている: これらの写真は、40年前のものである。フィルムは出港後逐次撮影し、半年後に帰港して現像した。当時は、 カラーフィルムは高価で、ふんだんに使えなかった。また、露出計を組み込まれたカメラもなかった。 保管中にカビが生えたり褪色しているものが多い中から、何とか使えそうなものを抜き出し、ここに示す。 第2次大戦後、大手の水産会社における花形は南氷洋における捕鯨であった。しかし、その漁期は南極における 夏に限られ、熟練した作業員を周年にわたって確保するとともに、捕鯨に使った冷凍母船を捕鯨の漁期外に活用する 方策が模索されていた。その1つの方式として、試行錯誤の結果生まれたのが、北洋底魚漁業であり、1962年は それが軌道に乗る兆しが見え始めた頃に当たる。
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No.2
No.3
カニ船団の漁場は近く、工船は漁場に到着すると、あまり移動しない。したがって、工船には古い貨物船が改造 して使われた。 船橋の周囲と船尾にはカニの刺網を乾かす櫓が組まれている。
[No.4: ft_image_80_11b/image007.jpg]
この写真は、この漁業のために造られた母船である。母船としては大きくない(1,600トン)。この漁業は大陸 傾斜面の上縁で行うので、深海投錨装置を備えている(船首のアーチ)。船橋で風をよけ、その影で作業をするように、 船橋と後部の船室の間は広くとってある(船橋は著しく前にある)。独航船の他に、自船でも底延縄をできるように、 船体の割には大きな漁艇を搭載している。 漁場に着くと、1つの魚倉には冷凍魚の製品を入れるために、その魚倉に収納してあった資材は、後部船室の 周りや上に移される。
[No.5: ft_image_80_11b/image009.jpg]
揚縄は操舵室の前の右舷で行われる(ラインホーラーは影になって見えない)。揚がってきた幹縄には、枝縄が 巻きついているので、乗組員の労働の大部分はそれを捌いて、次に使えるようにする作業に当てられる。この作業は、 船尾に臨時に作った囲いの中で行われる。船が毎日使う縄の数は、この作業の能力によって決まる。この船は約15人 乗りで、1日に50本付け約200鉢を使う。 左上には次に接舷する他の延縄船が接近している。 投 縄
[No.6: ft_image_80_11b/image011.jpg]
No.7
揚 縄
[No.8: ft_image_80_11b/image015.jpg]
No.9
No.10
左側の人の前にある装置が、底延縄用のラインホーラである。深くから揚げるときには大きな荷重がかかるので、 マグロ延縄用のものと異なり、ドラムは大きい。 揚がってくる幹縄には枝縄が巻きついているが、そのまま引き揚げ、傷んだ枝縄は、縄を整理するときに傷んだ 部分を切りとって釣針を結びなおすか付けかえられる。枝縄は普通10本中1本の割で付替えられるので、付け替え 用の枝縄を十分に用意しなければならない。この準備は、母船で手空きの乗組員全員を使って行われる。 足元には滑らないように藁のカマスを敷いてある。右前方は揚がってきた縄を置く鉢で、揚がった縄はライン ホーラを扱う人の後に置かれる。大きな縺れはそのまま揚げられ、母船で解かれる。それが写真の左上に見られる。 その下が漁獲されたオヒョウで、少し溜まると、まとめて前処理をされる。母船に揚げる前に鰓の後と尾柄部の 静脈を切り、下に赤く見えるタンクに入れて放血する。赤いタンクの横の小さなカゴには、鉢と鉢の境目につける 錘が入れられる。 No.10 揚縄が進むと、海獣類が近づいてきて、釣針にかかって揚がってくる魚を、水面下で奪う。 底延縄用のラインホーラーの大きさと構造が分かる。
[No.11: ft_image_80_11b/image021.jpg]
漁獲物処理
[No.12: ft_image_80_11b/image023.jpg]
No.13
No.14
No.15
No.12 これは操舵室より後方に向けて撮った写真で、作業甲板の右半分が写っている。漁獲物は、揚縄終了後 直ちに母船に渡される。左には受け取った漁獲物が見られる。白い壁にあいているのは冷凍室の入口である。 No.13とNo.15に示す部分を除き、ブルワークトップまでほぼ全体に渡って仮設作業甲板が張ってある。 No.13 これはNo.12の右に続く写真で、作業甲板の左半分を示す。仮設小屋には漁獲物の処理機(Barder)が置いて ある。この時代、ヨーロッパでは各種の漁獲物処理機が普及していたが、それは主に陸上の工場用である。日本では 他の母船も含め、漁獲物処理機は船上にはほとんど設置されていなかった。1,600トンの母船では、これだけしか 設置されていなかった。しかし、それさえも室内に設置する余裕はなかった。 独航船から受け入れた魚は左下の部分で頭を落とされ、左上の部分で内臓が除かれ、冷凍される。 小屋の屋根の上にあるY字型の木製の道具はトンボと呼ばれ、甲板上の魚を移動するのに使われる。 No.14 餌とする冷凍イカを独航船に渡す。延縄では餌が必要で、母船は、これを1つの魚倉で保管し、他の魚倉 に製品の冷凍魚を保管するする。仲積船がくるまでの間、その他の資材・燃料・飲料水も母船に確保して おかなければならないので、あまり大きくない母船では魚倉とタンクの使い分けに苦労をする。 No.15 後部船室の上から写す。左端は漁獲物処理機の仮設小屋の屋根である。頭を落とされたオヒョウは、 左端を通る樋で後方に送られ、ここで内臓が除かれる。下中央やや右寄りの白ものが腹側を見せているオヒョウである。
[No.16: ft_image_80_11b/image031.jpg]
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[No.17: ft_image_80_11b/image033.jpg]
No.18
No.19
No.20
No.21
No.22
No.23
No.24
No.25
この母船は本来南氷洋の捕鯨に使う冷凍母船である。他の母船は、この海域で操業が可能になる頃に日本から 出漁する。しかし、この母船は南氷洋から帰国し、ドックを終わって出漁するので、漁場到着は遅れる。また、 漁場切り上げの時期も南氷洋捕鯨の出漁日によって支配される。 この母船の冷凍能力は大きく、フィッシミールプラントを備えているので、漁期のはじめに全船団がニシンを 対象として操業する期間は、他の船団に比べて有利になる。しかし、対象が底魚類に変わると、この漁業に これだけの大きさの母船が必要かどうかは疑問である。しかし、先に記したように、それは別の問題である。 この時期にはアリューシアン列島の南側では霧の日が多いが、Bering海の200m等深線あたりでは霧の日が少なく、 漁期は夏に当たり、緯度が高いので太陽は北東から登り、低い高度で南を回って、北西に沈む。したがって、 どの写真でも影が長い。 No.16 オヒョウの受け入れ この母船上における作業は、操舵室前と、操舵室と機関室の間の2ヵ所で行われる。 この間はトンネルでつながれている。 これは後部の作業甲板の写真である。 No.17 オヒョウは頭を落とし内臓が除かれる。魚が滑らないように藁のカマスを広げて敷いてある。 No.18 尾柄の静脈を切り、圧力のかかったノズルを鰓の後の静脈の切口にさし込んで海水を送込み、 血液を除く(左から2人目)。血液が残っていると、肉を切身にしたときに、黒い線が残り品質が下がるので、 血液の除去には特に注意が払われる。左から2人目と3人目の間にある錐に似た道具は、尾柄の静脈を切る道具である。 No.19 この作業が終わると、オヒョウは数時間尾を上にして吊下げられる。残った血液は下に溜まるので、 その部分は切取られる。 No.20 母船に移された魚は、ここで体長と体重が計られる。 No.21 傷のある魚は、ここで3枚におろされる。乗組員はこの作業に熟練し、左から2人目の人の手元に 見られるように、背骨には肉をほとんど残さない。 ブルワークの高さは1m以上あるが、往航中に作業用の仮設甲板が張られ、すべての作業はその上で行われる。 この仮設作業甲板は帰航中に撤去される。 No.22 メヌケは大きいが、頭が大きく、歩留まりが悪いので、ドレスにされるか3枚におろされる。 No.23 機関室(後部船室)の上から前を向けて撮った写真である。後部作業甲板の左舷がわが写っている。 これまでに記したように、魚の処理はすべて人手によって行われ、ニシンを冷凍パンに詰める以外の漁獲物処理 機械は搭載されていなかった。 No.17とNo.18の作業は画面中央の上の部分で行われ、No.19の尾から吊られた魚は左の中央に見られる。左下は ミール原料の魚で、油ガレイ(以東底曳網によって漁獲される)と魚の切屑は別々に置かれ、ブラウンミールと スクラップミールに処理される。冷凍母船は、設備が充実しているので、これらから魚油を取り、フィッシソルブル も生産される。 No.24 オヒョウの分別 No.25 機関室(後部船室)の上から撮った写真で、No.23とほとんど同じ部分が写っている。左下のミール原料 溜は本来の甲板の高さであり、仮設作業甲板の高さが分かる。
[No.26: ft_image_80_11b/image051.jpg]
No.27
No.28
No.29
No.30
No.26 魚を独航船から受取り、魚種と大きさによって分け、樋のシステムによって魚溜まりの各区画に送る。 左下にY字型のトンボ(3本)が見られ、その使い方が分かる。 画面ほぼ中央の左側で魚を処理する。(魚を受け取るカゴのちょうど左) No.27 ギンダラは水深500m以上、特に水深700から1000mに多いので、その水深を狙う。しかし、それを漁獲する 底延縄船はNo.5に示したと同様の木船である。 右上の隅に底縄用のラインホーラーが見られる。 No.28−No.29 魚の処理 他の船団では、ギンダラはドレスにされていたが、この船団では腹開きにされる。 No.29では腎臓を掻きとっている。 No.30 縄は可能な限り独航船内で整理されるが、縺れがひどい部分は母船に揚げられ、整理される。その整理の 様子と縄の仕立の概要を示す。
[No.31: ft_image_80_11b/image061.jpg]
No.32
No.33
この船団は浅い漁場でコガネガレイを漁獲し、一部を学校給食用の冷凍切り身に加工し、残りはフィッシミール に加工する。これはカレイミール工船の写真である。漁獲は減少し、一部の船団ではスケトウダラのミールを作って いた。それが後年のスリミ工船に転換される基礎となる。 ミール工船は、南氷洋で使う捕鯨の冷凍母船・古い貨物船・古い石油タンカー等1隻ごとに異なる。いずれでも ミールの生産の効率は変わりないが、冷凍母船は当然冷凍能力が格段と優れ、それがカレイ切り身の生産量を支配し、 終局的には船団としての収支に決定的な影響を与えた。 No.31 これは、オーストラリアで羊肉の輸出に用いていた貨物船を改造したフィッシミール工船である。 独航船には以西底曳船と以東底曳船が用いられる。1回の曳網による漁獲は多いので、それらの船では揚げられない。 曳網を終わると漁獲物が入ったままのコッドエンドだけを切り離し、横抱きにして次の曳網に移る。この動作を何回 か繰返し、工船に近づくと、工船のカゴーウインチからのワイヤーロープを受け取り、それにコッドエンドを結び、 コッドエンドは直接工船に揚げられる。 この写真では、近づいた以西底曳船(右端)に母船からワーヤーロープを渡しているところである。 ミールプラントからの排気で風向が分かり、母船から流れ出すスティックウオーターの方向で母船の漂流方向が 分かる。 No.32−No.33 直接揚げられたコッドエンドと魚の山 ここで珪酸海綿その他の無脊椎動物は除かれる。 これらが原料に混ざっていると、ミールの品質が下がり、ミールプラントの煙突からガラス質の粉末が吹き上げられ、 それが首筋に落ちると石鹸で洗っても落ちないので困る。大きなコガネガレイを選別し、学校給食用の冷凍切り身 を作る。
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