漁業技術の画像集・FishTech
著作者/水産大学校名誉教授・理学博士 前田弘
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第 5 部 21 シアトルの漁船と漁法 + 参考資料 日本の遠洋漁業は、母船式サケマス流網漁業・母船式カニ漁業・母船式及び単船の底魚漁業によって北洋から 大きな生産を揚げてきた。しかし、200 浬漁業専管水域の設定によって、日本の北洋漁業は大幅に縮小した。 その反面、このことは北洋の漁獲物に対する日本の大きな需要に裏付けされて、アメリカの太平洋岸の漁業―特に Seattle を根拠地とするトロール漁業―に大きな変化をもたらした。現在 Seattle にはトロール漁業・大型カニ 籠漁業・巻き網漁業・オヒョウ底延縄漁業及びサケ流網漁業が見られる。20年前(1968 年 2 月と 1969 年 7 月 から 8 月)に訪れたときの状況と比べると、それらは、ほとんど変わっていない漁業から、当時はあまり目立た なかったが、急速に成長した漁業、あるいはその後新たに起こったと考えてよい漁業に分けられる。 近年日本ではレジャーフィッシングが盛んになり、種々の問題を起こしている。Seattle の漁港に見られるサケ 流網漁船の多くはレジャーフィッシング用である。日本ではレジャーフィッシング用の船と漁船とは簡単に区別 できる。しかし、アメリカの太平洋岸におけるレジャーボートは漁船と区別できないほど機械化が進んでおり、 その実態を知れば、レジャーフィッシングに対する認識が変わるだろう。これが漁業に対して深い関心を持つ 「物を言うインテリ層」の基盤であり、水産資源と漁業に関する世論の背景を形成する。 この写真集では、次の4つのことを説明するために、1988 年 11月末から 12月初めにかけて撮影した約 70 枚の 写真の中から38枚を選び解説を加えた。 1. 日本におけると同じ業種に従事する漁船でも、社会経済的背景が異なると、異なった発想法に基づいて建造され、 異なった型になる。また、船型の他に小さな用具とその構造について、日本では見ら れないものがある場合に、 それらの使用法等について考えると、日本の漁船と漁法に欠けている点があることに気づく。これらから将来の指針が 得られるだろう。 2.200浬専管水域の設定の影響を受けて大幅に拡大された漁業と、あまり影響を受けずに20年前とほとんど同じ 様相を保っている漁業がある。 3.わずか 300 km しか離れていなVancouver における漁業との間に大きな違いが見られる。 4.サケ流網を例として、アメリカにおけるレジャーフィッシングに対する認識を深める。これから、将来日本に おいても起こるであろうレジャーフィッシングと漁業の関係に関する指針が得られる。 ここに上げた何枚かの写真から分かるように、Seattle の漁港には多数の桟橋があり、大型から小型まで多数の 漁船が係留されている。限られた時間内でそれらのすべてを調べ、目的とする漁船を探出すことは困難である。 また、 11 月末から 12 月初めは、漁船の整備期間に当たり漁港には人影が少ない。そのために、その場で直接 漁師に質問して疑問を質せなかった事項が多く残っている。 トロール漁業 200浬漁業専管水域設定の影響によって、最も大きく発展した漁業は大型船によるトロールである。1969 年には 100 トン以下で数人が乗組む沿岸トロール船が少数見られたに過ぎなかった。しかし、1988年にはトロール漁業は Seattle の漁港で最も目立った漁業に発展した。 Vancouver では、ここに示すような大型のトロール船は見られ なかった。
No.1 No.1は日本のスリミ工船に代わってベーリング海においてスケトウダラ漁業に従事する船団の遠景である。 船上で製造されたスリミとこの船団の漁獲物を陸上で加工したスリミは、日本に輸出される。この写真では前景 としてカニ籠漁船が見られるのでトロール船団は分かりにくい。
No.2 No.2は、No.1の画面で右端に見られる漁船(Endurance 号)の写真である。停泊していた漁船の中では最大 のもので、スリミ工船とのことであった。甲板は自動車のすぐ上に並ぶ排水口の列の線にあり、後で述べるように、 投揚網作業は側壁で保護された甲板で行われる。荒天下で操業するために舷窓は少ない。No.1に見られる他船は Endurance 号に比べるとはるかに小さい。No.4はNo.3の右側に見られる船(Unimak Enterprise号)の船尾方向 から撮った写真である。船橋は幅が狭いが長い。右舷船首付近と左舷船尾付近に、陸上で使われるようなクレーン (黒色)を搭載している。(これはNo.1とNo.3でも見られる)。このような装備は日本の漁船ではあまり見られ ないが、ヨーロッパ系の漁船では珍しくない。甲板は青い部分と白い部分の境のやや下にあり、風波から保護された 甲板上で作業をできるような構造になっていることが分かる。しかし、オッターボードの着脱作業を行う船尾付近 の側壁は低い。側壁の上はスタンガントリーに続く回廊になっている。船尾とその近くに1組ずつのオッターボード が見られる。鳥居型マストは煙突を兼ねていない(甲板上の作業のしやすさを考えれば、主機関の排気はマストの 上から出す方がよい)。
No.3
No.4 No.5とNo.6は、これらより古いトロール船の写真である。No.5に見られる漁船(Amfish 号)は、乾舷が高いが、 甲板は白い部分と黒い部分の境にあり、甲板上の作業を風波から保護するような構造でない。前景に見られるような 船尾にフィッシポンプを搭載した漁船を多数見かける。これらは、漁船から工船や処理専用船に漁獲物を移すための 船である。 No.6はさらに小型のトロール船の写真である。しかし、20年前にはこの程度の大きさの船でさえ見られなかった。 居住区の後にトロールウインチを兼ねた網巻込みドラムがあると考えられるが、それは確認できなかった(Seattleでは、 小型のトロール船は20年前にすでに網をドラムに巻込む方式をとっていた)。甲板上には2基のクレーンがあり、 それらが投揚網作業や甲板上における網の移動作業を助ける。
No.5
No.6 背景には50トンから100トンの漁船が多数見られる。アメリカではこのクラスの漁船はトロールと巻き網漁業に 用いられる。それらはほとんど同じ船型で、甲板上の装備を見なければ使っている漁法は分からない。しかし、 power block を装備した船が多いので、大部分は巻き網漁船であるとみなせる。 1969年にはこのクラスの漁船で、網をドラムに巻込む方式の沿岸トロール船が見られた。それらを探出すように 努めたが、滞在期間が短かったので、確認できなかった。
No.7 比較的新しい大型のトロール船の詳細について、Harvester Enterprise 号を例として示す(ただし、この船の 船尾を外から撮った写真がないので、船尾の構造に関する説明は Unimak Enterprise 号の写真―No.8―で代用した)。 No.7は船首方向から見た全景である。一般にアメリカの漁船は、日本の漁船に比べると長さの割に幅が広い。 しかし、この船はアメリカの漁船としては幅が狭い。船橋は、4面が窓になっており、幅が狭いが長く、多数の 計器類を備え付けるのに十分な広さである。このような型の船橋はNo.5とNo.6では見られない。船橋を除くと 舷窓がほとんどないことも特徴の一つである。船橋の下から船尾にかけて見られる白い部分は高さ約4m・幅約1mの 倉庫を兼ねた側壁であり、これによって投揚網を含む甲板上の作業に当たる乗組員は風波から保護される。着氷する 可能性のある部分を少なくするために、全体にわたって支索がなく、船首部を含め低い位置には手すりがない。 鳥居型マストが2基あることは日本船と同じであるが、その上端から少し下がったところに水平に板が渡され、 手すりで囲まれる(前のマストでは前側、後ろのマストでは後側、写真では濃紺の線として見られる)。
No.8 No.8は大型トロール船の船尾の構造を示す。スタンランプの傾斜は日本船におけるものとほとんど変わらない。 スタンガントリーは続いており、幅は広い。(日本のトロール船ではスタンガントリーは続いているが、幅は狭い。 カナダの大西洋岸で見られるトロール船では、スタンランプの上でスタンガントリーは分かれている)。オッター ボードは日本船が使うのと同じスーパーV型である。
No.9 No.9は船尾を見下ろした写真である。スタンガントリーの幅が広く、後の鳥居型マストまで広がることが目立つ。 側壁は船尾部だけが低い。船尾に2本のブームがでている。下の方のブームにはコッドエンド引き出し用のブロック を下げる。上のブームは有線式のネットゾンデのケーブル用で、その付け根にはケーブルを巻取る白いドラムが 見られる。スタンランプの上端に相当する位置の舷側付近にトップローラーらしいブロックが見られる。
No.10 これは船橋後面から船尾方向に撮った写真である。No.4等からも分かるように船橋後面は窓が連なっており、 甲板を見下ろせる。人物に比べると側壁の高さやドラムの大きさが分かりやすい。この写真では左舷側の前半分が 入っていないので、No.11を付け加えた。両舷側に沿って高い側壁があり、甲板上で作業に当たる人は風波から保護 される。この側壁の上の回廊は幅が広く、inner bulwarksまで広がり、inner bulwarksと倉庫の壁との間は屋根の ある通路になる。後ろの鳥居型マスト付近のinner bulwarksの外側にワープを巻込むドラム(トロールウインチ) が見られる。ワープはここでドラムに巻込まれるので、曳網中やワープ繰り出し中や巻込み中に甲板上で作業をする ときでも、ワープを注意しなくてよい。作業甲板の前端近くに網を巻き込む1対の大きなドラムがある。これは 1ヵ統の網の左右の袖網を別々のドラムに巻込むためでなく、それぞれに1ヵ統ずつ計2ヵ統の網を巻込むためである。 この方式は1969年には100トン以下の船でも見られた。右舷側のドラムは左舷側のドラムの約1m前にある。これらの ドラムの間の甲板には低い仕切がある。それぞれのドラムは2つに仕切られ左右の袖網が巻込まれる。グランド ロープは細い部分(この写真ではドラムに巻込まれている)と著しく太い部分(中古のタイヤをそのまま使っている。 ドラムの前まで引寄せられている)がある。長めで大きく柔らかいブイが3個(1個は網の中央、2個はドラムの下) 見られる。これは耐圧ブイでなく、少し深くまで引込まれると壊れると考えられるので、付けられる意味は考え られない。(表層トロールでも、海中に引込まれて壊れる可能性は当然考えておかなければならない。)
No.11
No.12 これは作業甲板の最前部の写真である。前面は壁になっている。この写真では両ドラムの位置の関係・甲板上の 仕切及びグランドロープが分かりやすい。
No.13 No.13は側壁前端付近の回廊の内側に積上げられたロープで、中層トロールの網口部のロープで組立てられた巨大 網目を分解して収納してあるところである。中層トロールを使うとすれば、甲板上にフロントウエイトが見られる 筈であるが、それは見当たらなかった。 巻き網漁業
Seattle の漁港に停泊している巻き網漁船は実に変化に富むが、基本的には次の3つの型に分けられる。 Vancouverでは、巻き網は最も進んだ重要な漁法であり、巻き網漁船の大部分は船尾水没式で、アルミニューム製 の比較的新しい漁船が多かった。しかし、Seattleではそのような漁船はほとんど見られず、最近の20年間には大幅 な変化が見られなかった漁業の1つであるとみなしてよいだろう。Seattle を根拠とする巻き網漁船の中にはサケ を対象とするものが多い。日本漁船による北洋のサケマス漁業はほとんどなくなり、しかも Alaskaを含むこの地方 のサケは日本が輸入する魚の中で大きな割合を占めている。従って、大型トロールに次いで、サケ巻き網漁業は200 浬漁業専管水域設定の大きな影響を受ける可能性が考えられる。しかし、現実には巻き網漁業はほとんど影響を受け ていない。これは日本向けのサケの輸出は次のパターンによるためである:Alaska におけるサケの漁期は短く、 多数のドラム式流網漁船が稼働し、漁獲物はNo.37とNo.38に示した処理船に集められ、洋上でアメリカや日本の バイヤーに買取られる。このドラム式流網漁船の中には当然専業漁師によるものがあるが、その他にも休暇を利用 したレジャーボート(ただしcom-mercial fishing のlicenseを持つ)が含まれる。 Power block 方式とドラム式は従来から見られた。省力化のためなら、ドラム式が普及すると考えられるが、 大部分はpower block 方式であった。巻き網は表層性の回遊魚を対象とするので、その漁期外に他の漁業を兼業する とすれば、ドラム式のような甲板上に大きな固定設備が必要な漁法は好ましくないだろう。また、重いドラムを 甲板上に搭載するドラム式は、風波が遮られるSeattle付近の多島海内なら操業できるが、外海に出られない。 これが普及を妨げる原因の1つであると考えられる。
No.14 これはpower blockを使用する型の巻き網漁船の一例である。乗組員は船長を含めて4名程度、単船操業で、扱う網 は船に比べて小さい。 この船では甲板上の操舵室と居住区は1層であるが、操舵室の上で操船できるようになっている。探魚のための 見張り台がマストに付いている船は少ない。パースウインチは居住区のすぐ後にあるが、この写真では見分けにくい。 網は船尾に積まれる。左に旋回しながら投網し、網は左舷側から揚げるので浮子は右舷側に積まれる。網の船尾寄り に比較的大きなスキフが引上げられている。長いL型のブームに吊られる大きなブロックがpower blockである。 網はこれによって直接揚げられる。(日本の巻き網漁船にはこれによく似た「網捌き機」がついている。本来、 それは一旦ネットホーラーで揚げられた網を拡げて積直すための装置で、power blockとは機能が異なる。)操舵室の 入り口(船名のすぐ後の茶色で縦長の扉)から斜め後方に上がり、オレンジ色のカッパのところに降りているコンパス の脚のような構造(細く灰色で、背景と重なるので見分けにくい)は、水平に下ろしてスタビライザーを吊るすもので、 この地方の漁船では普通の装置である。しかし、日本の漁船には見られない。スタビライザーとは、曳航式の受波器 に大きさと型が似た鉄板製のもので、航海中にはこのブームを水平に倒し、スタビライザーを水中に保つと船は ほとんどローリングしなくなる。右舷中央部が補強されている。この船は多目的船であり、この位置の近くにライン ホーラー等を取付けて巻き網の漁期外に他の漁業を兼業するためである。 船首近くの桟橋に見られる灰青色の柱の列(丁度、その線上で撮影したので、たくさん並んでいることが見分け にくい)は陸上電源のコンセントとメータである。Seattleの漁港の桟橋では、この設備がよく整っている。これは 他の写真でも各所に見られる。
No.15 これはpower blockを用いて揚網する型の巻き網漁船の写真である。右側の船について説明する:操舵室は2階に なっている。マストの両側にある細くて長いブームはスタビライザー用である。この写真ではpower blockの型は 分かり易い。スキフはアルミニューム製で、船体は短く、幅が広く、普通はトラック用の大きなエンジンが付いて いる。スキフは浮子綱を乗切ることができるように、そのキール部はskid(ソリ)になり、プロペラは円形のカバー で被われている。船籍港はAlaska のJuneau である。写真を撮影したのは11月末から12月の初めにかけてであり、 Alaskaにおける漁業は終わっている。Seattleは最も北にある港湾都市で、冬期には整備のために Alaska船籍の 漁船が多数入港していることが何枚かの写真に見られる。
No.16 巻き網漁船は変化に富むので、それらのうちの何隻かをNo.16に示す。右端の船(Capri号)は操舵室が2階の 在来型(power block を使用)、その左の暗灰色の船は典型的なドラムセイナーであるがpower blockも備えている。 船尾にスキフを降ろしている。白く水色の線が見られる船は在来型である。
No.17 これはドラムセイナーの写真である。手前の曳縄漁船と灰青色のブーム・太い杭や前景の船の鎖が邪魔になって 分かりにくいが、網は船尾にある大きなドラムに巻き込んで揚げられる。本来、power blockは必要でないが、 付いている。軽合金の構造物で船尾を延長している。これが後に示すような船尾を水没させて魚捕部を船に取込む 装置になっているかどうか、この写真では判別できない。
No.18 No.18は最新式の船尾水没型巻き網船の船尾構造を示す。魚捕部を残して網をドラムに巻込むかpower blockで 揚げる。その後で船尾張り出しの後部を油圧で下に降ろし、船尾のタンクに注水して、この部分を水面下まで沈める。 その上に魚捕部を引き込み、この反対の操作によって魚捕部を船尾に引込んだままで持ち上げる。この方式では 漁獲量があまり多いと揚げにくいだろう。しかし、サケ巻き網では漁獲量があまり多くなく、投揚網を繰返すので、 この方式が適していると考えられる。 これまでに示した巻き網の写真に見られるように、スキフにはどれも特別な防舷物が付いている。これはその 目的に開発されたもので、日本でもその性能を調査し導入を検討しなければならないだろう(この地方で最も普通に 使用されている防舷物は、底延縄用の柔らかい浮球である)。
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[No.19: ft_image_5_21/image037.jpg] No.19 サケ巻き網の網裾部分 この写真はサケ巻き網の環付近を示す。環綱は太いブレーデッドロープである。環は2種類あり、写真の左に 見られるものはナス型で、グリップを引くことによって環綱からはずせるようになっている。グリップは手前に なっている(ほぼ中央のものは方向がやや異なるので見分け易い)。右半分に見られる環はステンレス製の輪で、 環綱から外せない。大型の旋網では、パースリングブライドルと沈子綱にはチェーンが用いられ、環綱はワイヤー であるが、サケ巻き網では、チェーンとワイヤーは使われていない。 大型カニ籠漁業 この地域では、100トン以上で極度に省力化が進んだ漁船が、1辺数メートルの角型の大きな籠を用いるタラバ ガニ漁業と、沿岸漁船が直径約1m・高さ50cm以下の円形の籠を用いてdungeness crabを漁獲する漁業の2つが見られる。 前者は夏期にAlaskaまで出漁し、カニの肉を冷凍ブロックにして持ち帰る。後者は沿岸で操業し、活カニを水揚げ する。 1969年には、タラバガニの籠漁船はSeattleにおける最新の装備を備えた大型漁船を用いる唯一の漁業に近かった。 しかし、大型のトロール船の出現によって、1988年末にはよく注意しなけば見逃しそうな存在になった。 Vancouverでは dungeness crabは同じような籠を用いて漁獲される。しかし、タラバガニ漁業が見られなかった のは当然である。
No.20 No.20はNo.1に見られる2隻のカニ籠漁船をねらって撮った写真である。新しいSharon A号(桃色がかった灰色 の長い船)の外側に、古いAlaska Beauty号(黒い船)が横付けされている(よく注意しなければ2隻あることが 分かりにくい)。 Sharon A号は、前の1/3が高く、その後に低い甲板が延びる(写真ではAlaska Beauty号の後まで延びる)。
No.21 これはSharon A号の甲板に立ってAlaska Beauty号に積まれたdungeness crab籠を撮った写真である。この籠は 1つずつブイを付けて投入される。籠は右舷中央付近にあるカニ籠専用のラインホーラー(No.22に見られる)に よって揚げられる。沿岸漁船は簡単なラインホーラーを装備する。籠が漂砂に埋まって揚がらなくなると、 ブイロープに沿ってホースを降ろして、ポンプで砂を吹飛ばしながら揚げなければならなくなる。そのために、 日本におけるような延縄方式は考えられない。甲板上で籠を移動させるために、陸上で使われるようなアーム式 クレーンを装備する。 陸上用のアーム式クレーンは重いので、日本の漁船では、あまり普及していない。しかし、アメリカばかりでなく、 ヨーロッパ系の漁船でも広く用いられているので、日本においても軽量化をはかり、その船上における活用を考える べきだろう。
No.22 これは整備中のタラバガニ籠漁船の写真である。船はこの地方ではトロール船に次ぐ大きさであるが、省力化が 進み、乗組員は普通4名である。大きな籠を多数積むために操舵室と居住区は著しく前方にある。タラバガニの 籠は大きいので、人力では簡単には扱えない。そのために作業はすべて油圧機器によっている。右舷の操舵室の後に 見られる頑丈なプーリがタラバガニ籠の浮標を揚げるための装置である。これによって水面より上まで籠を引上げ、 デリックで吊上げて取込む。このプーリのすぐ後の舷側に手すりがない部分には、鉄パイプ製の内側に傾いた頑丈 な棚があり、籠はそれに降ろされる。籠の蓋を開けると、中に入っているカニは海水を張ったイケスに転げ込む。 餌を入替えて、この棚を油圧によって起こすと籠は海中に落ちる。大きな籠を甲板上で扱うために、左舷にアーム 式クレーンがある。以前には甲板上における籠の移動は1人で扱える集中制御式油圧デリックシステムで行われた。 No.23はタラバガニ用と考えられる籠を示す。この写真から籠の構造を推測できる。大きさは画面における方向の 縦が1.2m程度であり、タラバガニ用としては小さいので、dungeness crab用の可能性がある。1969年にはそれぞれ 3m×2m×1mの大きな籠が見られたが、1988年には滞在期間が短かったので発見できなかった。
No.23 オヒョウ底延縄漁業 Seattle の漁港では多数のオヒョウ底延縄漁船が見られた。1969年には見られなかった船型の漁船も含まれたが、 いわゆるHalibut schooner(2本か3本マストの帆船で、当時でも昔の名残として影を留める程度であった)を 見かけなくなったこと以外、基本的にはこの20年間にあまり大きな変化をしていないとみなせる。 従来からアメリカとカナダの200浬漁業専管水域内のオヒョウは日本の漁業の対象でなく、この魚種は日本では ほとんどなじみがない。しかし、ベーリング海からAlaska沖にかけて行われていた日本のギンダラ底延縄漁業は、 200浬漁業専管水域の設定によってなくなった。 アメリカのオヒョウ底延縄漁船はオヒョウの漁期が終わるとギンダラを対象とする。ギンダラは、日本の市場に 現れてから約30年の歴史しかないが、その需要は現在でも強く残っている。従って、200浬漁業専管水域の設定が オヒョウ底延縄漁業にも影響を及ぼした可能性がある。しかし、それは漁船の変化に関する限りでは見られなかった。 Vancouver では、太いナイロンモノフィラメントを幹縄とし、それをドラムに巻き込み、同じく太いナイロン モノフィラメントの枝縄をクリップによって着脱する省力型の底延縄が見られた。しかし、この型はSeattle では 見られなかった。またNo.28からNo.32に示した自動延縄装置がここで作られている。
No.24 これは典型的なオヒョウ底延縄漁船の写真である。オヒョウ底延縄船は船型の変化に富むが、基本構造はほとんど 同じである。この点が、同じく隻数が多いサケ流網漁船との根本的な違いである。その理由は後で述べる。1名か 2名で操業する。木船で、操舵室と居住区は著しく前に偏る。船の全長の半分以上は作業用の甲板で、船尾付近には 木製かキャンパス製の風除けがある。揚げた後の縄をこの影で整備し、次の投縄に備える。 1969年にはこの風除けが左半分だけの船が多かったが、今回は両舷にわたる船が多かったことがオヒョウ底延縄船 に見られた変化の一つである。これはNo.27に示すような船型の出現と関係があると考えられる。 居住区のすぐ後にラインホーラー(power gurdy と呼ばれる)がある(背景が黒いのでこの写真では分かりにくい)。 このような構造がオヒョウ底延縄漁船の特徴である。操舵室の後端の少し前から立ち上がる灰色の細いブームは スタビライザーを降ろすためであり、操舵室の少し前から斜めに上がる同じく灰色の支柱で支えられる。防舷物に 使われるオレンジ色の浮球は、本来は底延縄の浮標用のブイに使われるものである。
No.25 これはオヒョウ底延縄漁船を斜め後から撮った写真である。船尾の中央(船名のRからMの上)に見られる灰色 のものがシューターで、餌を付けて投縄準備が終わった延縄を基部に置き、航走を利用して縄を繰り出す。
No.26 ディスクは水平に回転する。この型は1969年に見られたものと全く同じである。揚縄をしながら操船するために、 この近くに舵輪とクラッチ・機関調整レバーを備えている船があるが、ここに示した船にはそれらは見当たらない。
No.27 従来のオヒョウ底延縄漁船では、船の後半には仮設の風除け以外の構造は見られなかった。しかし、この写真に 示すような居住区より後の作業用のスペース全体を鉄板で囲った船が見られる。1969年には、この型の船は見られ なかった。右舷中央の扉の中にはラインホーラがあり、この扉をあけて縄を揚げる。船尾の窓から投縄をする。 ここにシュータがあることには変わりない。ベーリング海で稼働していた日本の350トンから500トンのギンダラ底 延縄船と大きさは全く異なるが、同じような基本的発想によると考えられる。 No.28からNo.32までは、MARCO製の自動延縄機である(説明は省略する)。MARCOとはSeattleに本社を置くアメ リカ最大の漁労装置メーカー Marine Construction and Design の略で、power block・ドラム式セイナー・ドラム 式流網漁船等、それぞれの時代において画期的と見られる省力化システムを開発した会社である。その製品は世界 各国でライセンス生産をされている。
No.28
No.29
No.30
No.31
No.32 サケ流網 先に記したように、この漁法はAlaskaにおいて日本に輸出するためのサケを漁獲するために用いられ、Vancouver でも主要漁法の一つである。しかし、Seattleで見られるものはこれらと本質的に異なり、レジャーボートが用いる。 アメリカの社会におけるレジャーボートの特徴として、個人が所有し、1人で出漁する。これが省力化の促進された 大きな動機の一つであるといえる。(ただし、レジャーボートいえども限られた期間には、その一部がcommercial fishingに従事する可能性は残っている)。個性を尊重する社会的な風潮のために、1隻ずつ独特の型になる。 Seattleの漁港の陸からの入り口付近に多数見られる小型の船がドラム式のサケ流網船である。隻数は最も多い だろう。その印象を伝えるためにNo.33からNo.35までを示した。ほとんど1隻ずつ構造が異なる。予備知識が ないと「このような贅沢な漁船を使って漁業が成立つだろうか」という疑問が湧いてくる。中にはcommercial fishing のlicense を持った人が乗組み、船自体もcommercial fishing のlicenseを持ったものも含まれる。 従って、船に貼ってあるlicenseを調べ、簡単なインタービューをすると、ますます混乱する。しかし、これらは、 純粋な意味では漁船とみなせない。持主、すなわち乗組員は陸上で職を持っている(大部分はホワイトカラーである)。 漁期中の休日か休暇を取って出漁する。漁期外の休日にはNo.34の右に見られる漁具資材マーケット(船の背景 として写っているので分かりにくいが、緑がかった灰色の建物)に行き、いろいろの資材を買って、自分の船に 取付ける。これがホビーである。この資材マーケットでは、漁具資材の他に小型のコンパス・回転計・油圧モーター ・機関のパーツ・ステンレスのロッドやパイプ類・一切の関連消耗品から台所のレンジ・トイレまで、船に必要な ありとあらゆるものを売っている。これらの中には漁船の資材と考えられないような高級品が多い。このマーケット は船具店というよりは、日曜大工用の資材を扱うスーパーマーケットの高級なものというイメージを受ける。 No.33は船の多さを示すことが目的である。画面が込入り過ぎて細部の説明には適当でない。各船に1対ずつ ある長いポールが目立つ。これは曳縄とスタビライザーを使うためである。
No.33
No.34 No.34は船の多様性を示す。左端の白い船は特徴がない。次の小さいアルミニューム製の船には流網を巻込んだ ドラムが見られる。その右に並ぶ5隻(4隻目はアルミニューム製で灰色のために分かりにくい)はレジャー ボートの特徴を備える。すなわち、小さくても、それぞれかなり凝った作りである。
No.35 この写真の近景の右の2隻はドラムを前に積む型で、後退しながら投網し、前進しながら揚網する。特に、 一番右の船は全体がFRP製で、このクラスの船が量産されていることが伺える。3隻目の白い船は従来から ある型とみなせる。網を巻込むドラムは近景に見られる4隻の間でそれぞれ異なり、木製・鉄製・アルミニューム の鋳物製・FRP製等変化に富む。 このようにすべての点において、変化に富むことがアメリカにおけるレジャーボートの特徴である。従って、 レジャ−ボートに標準の型とみなせる船型は存在しない。
No.36 No.36は装備を説明するためにそれらの中から1隻を取出した写真である。アルミニューム製である。アメリカ 太平洋岸の漁船の特徴として、操舵室と居住区は著しく前に偏る。左舷側の前の方から斜めに伸びるステンレス 製の細いロッドと居住区の後端から垂直に伸びるロッドはスタビライザーを支えるためである。居住区の屋根の 左後隅に見られる小さい黒っぽいもの(上に細いワイヤーが伸びる。)がスタビライザーである。左舷側さし板 の後端近くに見られる逆L字型の低いダビットは曳縄用のスプリング付きのプーリを吊下げるためである。両舷 から長いポールを水平に倒し、各々から数本ずつの曳縄を曳く(この船ではスタビライザー用のロッドがそれを 兼ねる)。各曳縄から分岐を取り、このプーリを通して、船尾付近のリール(ドラムの外側に緑色の3連のリール が見られる)に巻いておく。魚がかかった縄の分岐につながるリールのクラッチを入れてその縄を引寄せて魚を 取り込む。リールの外側にある灰色のものは、曳縄の曳航深度を調整する大きな鉛の球の「受け」である(この 写真では鉛球は乗っていない)。日本の曳縄で使われる潜航板や「飛行機」のような装置はほとんど使われない (アメリカ製の小さいプラスティックで作られたpink lady が日本に輸入されているが、それを使っている船 は見られなかった。しかし、これは小さいので使われているにしても、船を外から見ただけでは分からないだろう)。 流網は船尾にある大きなドラムに巻込まれる。回転楕円体の浮子を通したブレーデッドロープが浮子綱として 用いられる。短く切られた鉛線を包む細いチューブを芯とするブレーデッドロープが沈子綱として用いられる。 従って、沈子は外にでていないので、網をドラムに巻込んでも沈子は網に絡まない。 前進をしながらドラムを空転させて投網する。網は船尾の縦ローラーの間から揚げられる。揚網のときには人 が船尾に立ち、足下のペダルを踏むとドラムが回転し、足を離すとドラムは止まる。揚網中には舵をほとんど 扱わなくてもよい。ドラムの左軸受けカバーには主機関を操作するレバーが付いている。この船のドラムは アルミニュームの鋳物である。隣の船のドラムと型が異なる。レジャ−ボートなので、操舵室と居住区の内装は かなり贅沢である。 流し網のレジャーボートの他に、曳縄だけを使うレジャーボートが1969年には多数見られた。しかし、今回は 滞在期間が短かったので発見できなかった。 その他 1969年には見られなかったか、日本では見られないが、今回Seattleにおいて見られたものの代表は、フィッシ ポンプだけを搭載した船である。この船では甲板の大部分がポンプによって占められているので、自船で漁業が できると考えられない。これはすでにNo.5の前景に示した。
No.37 このような船はこの漁港の至る所で見られる。その例をNo.37に示した。これは日本のスリミ工船がアメリカの 小型トロール船から漁獲物を揚げるときに見られるが、その他のためにも使用される。左側の船は居住区が広く、 漁期には漁場近くの入江に停泊して、漁船から漁獲物を受け取り、選別・処理・凍結等に当たる。
No.38 これは交通が不便でインフラストラクチャーが考えられないようなAlaskaの島影を根拠として夏期に漁業を行う ためである。このような目的の船は1969年にもすでに見られた(当時は2-300トンのかなり古い船が使われていた)。 No.38はそのような船の例である。 なお、近くの海域で操業する漁船―特にサケ巻き網漁船―を回り、漁獲物を海上で買付けて集荷し、陸上の処理 プラントに運ぶテンダーボートと呼ばれる船がある筈だが、探しだせなかった。
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