漁業技術の画像集・FishTech
著作者/水産大学校名誉教授・理学博士 前田弘
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第 6 部 25-11 アルゼンティンで見られた元日本漁船 各国による200浬経済専管水域の実施に伴って、かつて北洋で活躍していた底曳船を主体とする日本の漁船団は 出漁先を失った。 世界で最後に残された大陸棚と言われたアルゼンティン沖は、操業先として注目されている。船団の一部は種々 の型で進出を試みた。 ここにそれらの例をあげる。 No.1からNo.3は、それらのうちで大型スリミ工船の六甲丸・春日丸及び金剛丸の写真である。これらは現地に 合弁会社を作り、稼動している。しかし、アルゼンティン海域内では、アルゼンティン籍の船しか操業できない ので移籍し、ここの法規に従って船体は赤く塗ってある。また、アルゼンティンの船はアルゼンティンの海技免状 がないと動かせないないので、士官はアルゼンティンの免状に切りかえている。 一般船員の中には所定の割合でアルゼンティン人を乗せなければならない。これらの船に乗っていた人にも Mar del Plataではよく出会った。 No.1の中央に写っている赤い船がその1隻である。Buenos Airesのドックに入っていた。右上の隅に写っているのは、 繋留中の旧ソ連の漁船である。 No.2の右遠景は繋留中の旧ソ連の漁船である。No.3は船名部を拡大すると金剛丸であったことが分かる。
No.1
No.2
No.3 もう一つの型は北転船である。合弁会社を作り、1社が1隻を運行する型で稼動している。いずれも Puerto Deseadoに出入する船の写真から抜出した。 No.4からNo.6までは典型的な北転船の型をしている。 Puerto Deseadoはパタゴニア砂漠の縁にあり、娯楽設備がほとんどない。また、アルゼンティンは日本に比べて 人件費が安い。北転船の乗組員は過去の高賃金に馴れているので、小規模の合弁会社では日本人乗組員に対して その差額をどうしているか、日本人船員にとっては、種々の点においてかなり厳しい生活だろう。
No.4
No.5
No.6 以上はアルゼンティンに移籍して稼動中の船である。 No.7からNo.14までは、日本の中小企業の持ち船である。これは正式に合弁事業の許可が下りる前に日本を 出港してしまった。この点について企業主の判断の甘さが感じられる。現地に住んでいる日系人の話をどこまで 信じるか、仲介する人の選び方等に関して問題を感じられる。 かなり良く整備され、多くの資材を搭載しているので、大いに期待して出漁してきたことが伺える。 ここで漁獲されたカニは日本に輸入されており、No.10からNo.14に見られる装備では、カニ漁を考えているらしい。 合弁の相手の日系人は見つかっているものの、許可の下りる見込みはたたず、船番を残して数ヶ月間、 南米の最南端のUshuaiaに係船されたままになっていた。No.10に写っている白い船がこれで、手前の黄色の船は 地元の沿岸漁船である。その先の海がBeagle海峡である。 船尾には日本の国旗を揚げ、船体はまだ赤く塗り替えられていない。 番人はスペイン語が全く分からず、話相手はUshuaiaにいる日本人だけで、船の中にこもっていて、我々に対しても ほとんど口を開かなかった。 Ushuaiaにいる日本人と合弁会社の相手となる人の両方から話を聞いたが、話は食い違っており、真相はわからない。 その後の消息は不明である。
No.7
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No.9
No.10
No.11
No.12
No.13
No.14 No.15からNo.19までは、Buenos Airesの岸壁に係船されていた旧日本船の写真である。船番は1人ずつ残っていたが、 会社の人から話を聞いて欲しいというだけで、会社の所在を聞いても答えは得られなかったし、何も話たがらなかった。 そこはドックと呼ばれる地区で、市の中心に近く、普通は漁船を係船しない場所である。情況は全く分からないが、 行詰まっているらしいことだけは察しられた。
No.15
No.16
No.17
No.18
No.19 以上は海外に出かけた船の実態であるが、なぜ日本から出港したか、その後どうなったか、知りたいことは多いが、 これ以上のコメントは避けたい。 ここに示した他に、地元の会社が所有し、普通に稼動している船がある。Mar del Plataのトロール船団の中に 日本製のマグロ延縄船やサイドトロール船が見られたし、Puerto Madrynの桟橋では以西底曳船を見かけた。 これらは日本人の手から完全に離れているので、ここに示さなかった。
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