海洋総合辞典 Comprehensive Ocean Dictionary, 特選フォト・ギャラリーPhoto Gallery, 富岩運河・中島閘門Nakashima Locks, Fugan Canal, 富山Toyama-ken, Japan

一枚の特選フォト⌈海 & 船⌋


One Selected Photo "Oceans & Ships"

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富山の富岩運河・中島閘門について [東京/土木学会パネル展示]

[エピソード編] 先ずは、旅先での観光情報パンフレット収集の楽しみについて少し触れたい。 出張であれ私的な旅であれ、鉄道駅や渡海船ターミナルなどを利用する折には、待合所・観光案内所などに出来る限り立ち 寄るようにしている。 理由は、そこに立てかけられたラックに並ぶローカル観光情報パンフレットなどの中からめぼしいものを戴くことにある。 その中には、複数県にまたがる地域総合観光情報を事細かくカバーするカラフルで質的にも洗練された冊子も多い。 観光名所、史跡、伝統的文化行事、物産品、B級グルメばかりでなく、余り有名ではない市町村の博物館・郷土館・資料館・ 文化会館・科学館・自然館などの施設について写真入りで紹介されている場合もある。事前に知るのがむずかしいと思われる それらの小さな施設やそこでの展示のことまでカバーされているのである。

投宿後に一息ついてゆったりとした気分になれた時に、グラビア印刷の新鮮な匂いを嗅ぎながら、そんな冊子などをゆっくり眺める のが楽しみである。海や船に少しでも関係がありそうな施設やそこでの文物展示を拾い読みするのである。 何か「宝探し」をするような心境である。時に、そのような施設や文物展示を見つけた時には、してやったりと一人喜びに浸る時もある。 明日以降の旅程にどう組み込むことができるのか、思い巡らすのもまた楽しい。上手く組み込めなければ、またの訪問機会を 楽しみにするという算段になる。


2012年5月上旬、北陸方面に出掛ける機会があった。JR魚津駅待合所などで得た地元観光案内小冊子のページをめくっていると、 「高岡市万葉歴史館」 (富山県) を紹介する写真入りの記事に目が止まった。 その紹介写真の一枚に本格的な遣唐使船の模型が写っていた。 歴史館の位置図を見てみると、偶然であるが、高岡市内の「伏木北前船資料館」から歩いても行ける距離にあることが分かった。 JR氷見線で伏木駅へ、そこから徒歩で資料館まで10分ほどの距離であった。だが、何としたことか、資料館はその日は休みであった。 旅行の目的は別のところにあり、その合間での立ち寄りであったことから、休館曜日まで気を回す余裕がなかった。止む無く、 5月とはいえ猛烈な炎天下を20分ほど歩いて歴史館へ向かった。 画像 (右) にあるような立派な遣唐使船の模型を見学し、万葉集のこと、大伴家持が詠んだ歌、彼の歩んだ歴史などを思いがけず学び、 少なからずそれらに興味がそそられた。


旅中さらに、観光情報パンフレットの富山駅周辺地図を眺めていたら、何と「富岩運河」 (ふがんうんが) という地名を見つけた。 旅中での意外な新発見を期待して、翌朝の時点までは、時間をなんとか見出して富岩運河に瞬時でも立ち寄るつもりでいた。 目的を果たしたその日の午後遅く、北陸本線・高岡から隣町の富山に向かった。だが、その日の疲れもあってか腰が随分と重くなり、結局 富山駅で下車するつもりが、気力が消え失せてしまい、そのまま素通りして帰途についてしまった。

その数週間の後に、富岩運河が、パナマ運河と同じ観音開き式の閘門をもつ名高い運河であることを手持ち資料で知った。 あの時重い腰を上げて富山駅で下車し、運河へ足を運ぶべきだった、と少し悔やんだ。致し方なく別の訪問機会を楽しみに待つことにした。 その後2012年8月になって、埼玉県の「見沼通船堀」 (江戸時代中期に造られた閘門式運河) の通船差配役・鈴木家の住居を訪ねる 機会があった。そこで拝見した閲覧資料の中に、富岩運河・中島閘門(Nakashima Locks, Fugan Canal)のことがまたもや紹介されている ことを知った。右画像は、その時の閲覧資料中の富岩運河・中島閘門である。


時は移り2013年11月になって、JR新宿駅構内を通りかかった折、これもたまたまであったが、土木学会主催による日本 全国の代表的な大規模土木施設を紹介する展示会が公開広場でなされていた。 数多くの土木施設パネルの中に富岩運河・閘門も紹介されていた。画像はその時の展示パネルの一部である。


富岩運河・中島閘門の建設背景、技術的仕様、変遷などに関するパネル説明の概略については以下の通りである。 富岩運河は富山市と東岩瀬港とを結ぶ、延長約5㎞、水面幅約40-60mの運河である。 神通川は、自然地形的にはもともと急流であり、従って船舶航行を可能とするような水深のある水路を建設するには適さない川であった。 そのような神通川と平行して運河を開削するとなると、当然ながら水路の勾配はきつくなる。逆に勾配を緩やかにするとすれば、 運河上流に行くに従って水面と地面との高低差は大きくならざるをえない。結果、積み荷の揚げ降ろしに負担がかかることにもなる。 そこで、上流部と下流部との水位差を軽減するために閘門が建設されることになった。それが中島閘門である。

中島閘門は、既述の通り、運河内における約2.5mの水位差を調節する目的をもつ水門である。パナマ運河と同じ閘門 システムをもち、1934年(昭和9年)に完成した。 閘室・扉室は石組・鉄筋コンクリート構造となっており、扉体はリベット接合により製造されたものである。閘室内の水底面には、 船が竿で移動しやすいように半割り石が千鳥状に配されている。閘室幅員は9.09m、長さは60.6mであり、かなり大型船舶の舟運 をも可能にした。

閘門完成の翌年には運河も竣工した。運河周辺は富山を代表する工業地帯へと発展の道を歩んだ。しかし、戦後トラックでの 陸送が発展につれて運河利用は衰退して行った。閘門は1998年(平成10年)に復元・蘇生されるとともに、翌年には国指定 重要文化財として登録された。

富岩運河・中島閘門は水路あるいは水の道として現在でも舟運上何らかの機能を果たしているのであろうか。 運河・閘門という人工構造物は、今では親水空間として自然化し、癒しの産業遺産として市民に親しまれ、後世に伝えられる存在となって いるのであろうか。

[2012.7.6-11. 北陸地方の高岡・魚津・富山にて][拡大画像: x26075.jpg: パネル全体] [

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    1. 建設中の中島閘門(写真2)。 [拡大画像: x26081.jpg]
    2. 昭和初期、閘門付近における筏の曳航風景(写真3)。 [拡大画像: x26076.jpg]
    3. 現在の中島閘門(写真4)。 [拡大画像: x26080.jpg]
    * パネルによれば、写真2,3の資料提供は富山県富山港事務所、写真4および最上の閘室写真のそれは大村拓也と記される。


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