一枚の特選フォト⌈海 & 船⌋
マゼラン船隊越冬地 サン・フリアン湾の海辺寸景 [アルゼンチン・パタゴニア]
大航海時代、バスコ・ダ・ガマがポルトガルからアフリカ大陸西岸沿いに南下し、大西洋からインド洋への周回海道を求めつつ、アジア・
インドへの東回りの探検航海をしたように、マゼラン船隊は南米大陸東岸沿いに南下し、大西洋から⌈南の海⌋(現在の太平洋のこと)
への周回海道を求めつつ、アジア・香料諸島への西回りの探検航海に出た。 直線距離にして後わずか350kmほど、航海日数にすれば1週間も南下すれば、⌈南の海⌋への抜け道(現在のマゼラン海峡) の東側の入り口を発見できたことであろう(その入り口には、カーボ・ビルへネスというマゼランが命名した岬がある; 邦訳では⌈一万一千の聖母の岬⌋、西語で Cabo Vírgenes と称される)。しかし、マゼランはパタゴニアの辺境地にて 越冬することを決断せざるをえなかった(越冬したのは1520年3月31日から8月23日までである; 南米大陸における真冬は6~8月頃であるが、 南緯度が増せば増すほど氷の大陸・南極に近くなり、厳寒の冬季は長くなる)。 船隊の乗組員の休養、船体の補修、極寒や海難の回避などのために越冬すべくマゼランがサン・フリアン湾内の岸辺に下船したのは 1520年3月31日ことである。 画像はマゼランらが越冬したとされるアルゼンチン・パタゴニア地域にある、奥行きの深いその湾 (la Bahía de San Julián) の 海辺の寸景である。 海辺には、マゼラン船隊5隻のうち世界周航を果たした船型ナオのビクトリア号のレプリカ/復元船(Réplica Nao Victoria de Magallanes)が船舶博物館として展示されている。その傍らに、一隻の朽ち果てた木造遺棄船が何かを語りかけるかのように 砂上に鎮座する。 [2014.3.16-17 パタゴニア地域プエルト・サン・フリアンにて][拡大画像: x26357.jpg]
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[参考] * ナオ船ビクトリア号テーマ博物館には銘板が設置されている。 一つは、越冬していた5隻の船隊のうち先行して航海を再開したサンティアゴ号がサンタ・クルス川(río Santa Cruz)の河口付近で 難破してしまったが、その後遭難した二人の乗組員たちがサンタ・クルス川およびサン・フリアン湾の海岸線を歩いて生還し再会するに いたったことを称えて設置されたものである (los dos marineros naufragos de la nave "Santiago" que unieron caminando las costas del río Santa Cruz y las de la Bahía de San Julián)。 * もう一つの銘板は、1520年3月31日フェルナン・ディ・マガリャネス(マゼランのこと)によるサン・フリアン湾での上陸年を 記念してのものである(el navegante Lusitano Fernão de Magalhães en el aniversario del desembarco de su expedición, en la Bahia San Julian, el 31 de marzo de 1520)。 * 1520年10月21日、マゼランらは現在のマゼラン海峡の東口(一万一千の聖母の岬がある) から海岸線は西方へ大きくくびれて いるところに達した。 水路を進む過程でサン・アントニオ号が一方的に船隊から離脱し、本国に向けて逆航するという行動を取った。 同号は1521年5月6日にセビーリャに帰着した。
* ナオ船ビクトリア号テーマ博物館: Museo Temático Nao Victoria, Puerto San Julián, Santa Cruz, Patagonia, República Argentica。 |
1![]() ![]() 1 & 2. 遺棄船から眺めたサン・フリアン湾とビクトリア号テーマ博物館。湾は南北に細長い。狭い湾口が湾の北部にある。 湾は外海から遮蔽されているためその内海は穏やかである。湾口は画像1の右端辺りにある。画像1では湾の北方面を、画像2 では南方面を眺める。 [拡大画像: x26358.jpg][拡大画像: x26359.jpg]
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![]() 画像右最上の●印がプエルト・サン・フリアンである。その少し下方にはプエルト・サンタ・クルスが見える。 更に下方にある■印がリオ・ガジェーゴスである。そのすぐ下方にマゼラン海峡が弓形状に伸びる。海峡の入り口(北側)にビルヘン岬 (Cabo Vírgenes)がある。 [拡大画像: x26043.jpg] |