海洋総合辞典 Comprehensive Ocean Dictionary, 特選フォト・ギャラリーPhoto Gallery, 新大陸からスペインへの金銀財宝海上輸送ルートroute of transport of golds and silvers from the New Continent to Spain、ポトシ銀山 Potosí Silver Mines, ハバナHabana, キューバCuba

一枚の特選フォト⌈海 & 船⌋


One Selected Photo "Oceans & Ships"

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大航海時代における南米ポトシ銀山の開発、
スペインへの財宝海上輸送ルート

[キューバの首都ハバナ/フエルサ要塞内の海洋博物館]

ルート図の凡例: △ 要塞化した都市 (Plazas Fortificadas)/船団やガレオン船の経路 (上から): 副王領のエバ・エスパーニャからの船団 (Flota de Nueva España), 大陸からのガレオン船 (Galeones de tierra firme), 船団の帰航 (Regreso de flota), ガレオン船 の帰航 (Regreso de galeones), スペインへの帰航 (Regreso a España)


ヨーロッパから地球を西回りでアジアの国、とりわけ黄金の国ジパング (日本) やカタイ (中国) をめざしたコロンブスたちは、1492年に ⌈新大陸⌋ (カリブ海の島嶼) にたどり着いた。 それを起点に、スペイン人の征服者 (コンキスタドーレス Conquistadores) たちは、新大陸の金銀を貪欲に漁り、また先住民らを 隷属的支配下に置きながら、征服の拡大を続けた。

新大陸での金 (ゴールド) の産出量は意外と少なく、1500年代中頃には激減したという。しかし、1540年代に、現在のボリビアの アンデス山中のポトシにて、またメキシコのサカテカスなどで大銀山が発見され、1500年代後半には大量の銀が採掘されることになった。

因みに、1545年に発見されたポトシ銀山では、ミタ (強制労働制度) によって、インカ帝国の人々が過酷な使役にかり出され、銀が 大量かつ安価に生産された。その労働は余りにも過酷を極めたこともあり、100万人の先住民の命が奪われたとされる。

他方、技術的には、銀山では水車による鉱石の破砕により、また1552年に水銀アマルガム法による精錬技術が開発されたことにより、 1500年代後半には 効率よく大量の銀が生産されるようになった。 ポトシ銀鉱山の所在地はアンデス山中の標高4000メートルにあるが、当時のパリと比肩する人口20万人の大都市に成長し、 1600年代になると西半球最大の都市に成長したという。

諸説あるが、1660年までに約15,000トンという桁違いの量の銀がスペインのセビーリャに所在した通商院へと送り込まれたとされる。 そのうちの約40%がスペイン王室の収入となり、残部はジェノヴァ商人などの手でヨーロッパ中に流通させられた。

    [参考]因みに、徳川家康らは当時水銀アマルガム法による精錬技術を何としても手に入れたかったが、スペインではこの精錬技術は秘匿 されていた。
    [参考]ミタ(mita)とは、スペイン統治下のペルー副王領において先住民のインディオに割り当てられた強制的労役のこと。 ポトシ銀山での強制労役が歴史上特に有名である。
    [参考]サンタ・フェ(Santa Fe): スペイン・グラナダ県にある町; 1492年4月17日に、コロンブスとカトリック両王との間で、 航海に関する協約(Capitulaciones de Santa Fe)が結ばれた地である。


アフリカ南端の喜望峰を迂回しインドにいたる東回りの海上交易ルートを開拓したポルトガルとは対照的に、スペインは西回りで 大西洋を横断し、中米地峡を陸路で横切り、再び海路で太平洋を横断するという、ヨーロッパ・アジア間の長大な交易ルートを開拓した。 東洋産品の陶磁器、絹製品、香辛料などがマニラからメキシコを主領域とするヌエバ・エスパーニャ副王領の太平洋岸の港アカプルコ に海上輸送され、陸路でカリブ海側の港ベラクルスへ、そこからキューバのハバナへと運ばれた。

他方、ポトシの銀をはじめ、ペルーやボリビアなどを主領域とするペルー副王領の金銀財宝や産品がカヤオ(現在のペルーの首都 リマ近郊の港)に集積され、その後船でパナマ・シティへと運ばれた。パナマ・シティからは「カミーノ・レアル(Camino Real 王道、スペイン王室への道)」と称される陸路を経て、パナマのカリブ海側の港ポルトベロ (Portobelo) などへ運ばれた。 その後、現在のコロンビアのカルタヘナなどを経て、キューバのハバナへと運ばれ、そこでスペインへの船団が配されるまで集積・保管された。

1519年にスペイン人によって建設されたハバナは新大陸植民地支配の中心地となり、また新大陸とスペインとの海上交易の中継地として繁栄した。 ハバナに集積されたそれらの大量の金銀財宝などは、メキシコ湾流と南東貿易風を利用して大西洋を輸送され、スペイン本国の通商院のある セビーリャへと運ばれた。

1500年代中期にはガレオン船の規模は5~6百トンへとますます大型化した。なかには千トンクラスの大船も就航した。そして、金銀財宝等 を強奪する海賊に対抗するため、新大陸との貿易を独占した通商院は1543年以降年2回ハバナから船団を組ませて大西洋横断の 途につかせることが多かった。

画像は2つの海上の道を図示している。即ち、(1)マニラ~アカプルコ~ベラクルス~集積地のハバナ~スペイン、および(2) リマ~パナマ・シティ~ポルトベロ~カルタヘナ~集積地のハバナ~スペインである。
[2015.2.2-17 カナダ&キューバの旅/2015.2.6&10 キューバの首都ハバナ、フエルサ要塞内の海洋博物館にて/2015.7.11 記 /画像はいずれも海洋博物館蔵][拡大画像: x26757.jpg][拡大画像: x26758.jpg][拡大画像: x26767.jpg]

* 参照文献: 宮崎正勝、新潮選書⌈海図の世界史 ⌈海上の道⌋が歴史を変えた⌋、新潮社、2012年

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1. ヌエバ・エスパーニャ副王領の重要なサカテカス銀鉱山(Zacatecas: Importante centro minero de Nueva España; Archivo General de la Nación, México) [拡大画像: x26760.jpg]

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2. ポトシ銀山の町と山々のパノラマ図。1758年のG.M.ベリオの油絵 (Vista panorámica de la villa y cerro de Potosí; Óleo de Gaspar Miguel Berrío, 1758) [拡大画像: x26761.jpg][拡大画像: x26762.jpg]

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3. 18世紀における銀の精錬工程を描いた図である (Procesos metalúrgicos para la obtención de la plata, SIGLO XVIII; Colección Martínez Compañón, Biblíoteca del Palacio Real de Madrid)。[拡大画像: x26759.jpg][拡大画像: x26764.jpg]

画像1~3には以下の共通の説明書きが付されている。

    「1530年代からメキシコ・シティの南にあるタスコ(Taxco)にて銀山が開発された。また、メキシコ・シティの北東にあるグアチナンゴ (Guachinango)は1543年に創建され、さらにはメキシコ・シティの北にあるパチュカ(Pachuca)鉱山は1552年に発見された。 旧世界(Viejo Mundo)に向けて開始されていた金銀の輸送は、ポトシ銀山の鉱脈(vetas)発見によって拡大していった。」  [拡大画像: x26763.jpg]

    Desde la década de 1530 comenzó la explotación de las minas de Taxco, al sur de la ciudad de México; las de Guachinango, establecidas en 1543 al noroeste de esa ciudad, y las de Pachuca, descubiertas en 1552 al norte. Se inició entonces el traslado de oro y plata hacia el Viejo Mundo, incrementado en 1545 con las vetas del Cerro de Potosí.

4 [拡大画像: x26766.jpg]

図4は、スペイン植民地時代ハバナ湾内に数多くの船が停泊する様子を描いている。図中央下方に湾内に通じる1kmほどの水路 (Canal) が描かれる。 そのすぐ下方には湾口がある。水路右側にハバナの町が広がる。図4の説明パネルは次のように記している。
    フェリペ2世は、1561年、商船と軍船からなる船団システムを再組織化した。海流や風の知識に基づいたそれら船団のルートは スペインとカリブ地域との間の回廊をなすものであった。セビーリャから小アンティル諸島に至り、そこで2つの行先へと分かれた:  メキシコ湾に向かうヌエバ・エスパーニャ船団の航路と、富が集中する主要なセンターであるインディアス(新大陸)のカルタヘナ に向かう大陸船団の航路である。 [拡大画像: x26768.jpg]

    Felipe II, en 1561, reorganizó el sistema de flotas formado por buques mercantes y de guerra. Sus rutas, basadas en el conocimiento de las corrientes marinas y los vientos, constituirían el circuito comercial entre España y el Caribe. Partían de Sevilla hasta las Antillas Menores; aquí se dividían en dos rumbos: la llamada Flota de Nueva España destinada al Golfo de México, y la de Tierra Firme que se dirigía a Cartagena de Indias, prioncipales centros de concentración de riquezas.


    [参考] 説明パネルには、上記の他に、スペイン植民地時代におけるサント・ドミンゴ、カルタヘナ、ノンブレ・デ・ディオス、ポルトベロ、 ベラクルス(サンファン・デ・ウルア)、ハバナなどの主要な港の位置づけが記されている。

    SANTO DOMINGO Y SAN JUAN DE PUERTO RICO: primeros puertos de escala obligatoria del circuito comercial del Caribe.

    CARTAGENA DE INDIAS: su gran puerto acogía a las naves que hacían escala obligatoria y a las que seguían rumbo a Portobelo. Aquí se recepcionaban los tesoros de la América del Sur.

    NOMBRE DE DIOS, PORTOBELO, RÍO CHAGRES (AL NORTE) Y PANAMÁ (AL SUR): tenían una posición geográfica clave por encontrarse en la parte más estrecha del continente, esto facilitaba la comunicación entre el océano Pacífico y el mar Caribe. A través del PaciIfico se transportaba la riqueza peruana hasta ciudad de Panamá.

    VERACRUZ (SAN JUAN DE ULÚA): principal puerto de Nueva España donde concluía viaje una rama de la Flota. En comunicación terrestre con Acapulco, fue la vía comercial entre la Metrópoli, Filipinas y el Lejano Oriente.

    LA HABANA: confluían todas las flotas cargadas con las riquezas del Nuevo Mundo para continuar junto a la Armada su regreso a España. Esto hizo de La Habana un puerto clave y le valió el título de Llave del Nuevo Mundo y Antemural de las Indias Occidentales.  [拡大画像: x26765.jpg]

    * antemural: m.自然の要害; [精神的なお]防波堤、防護壁、砦/Indias Occidentales: 西インド諸島、西インディアス.

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5 「銀の円板、16世紀、出所:ヌエバ・エスパーニャのパチュカ銀山、重さ:約10㎏、[難破船の]漂着物: イネス・デ・ソト」 と記されている(Disco, Plata, Siglo XVI, Pachuca, Nueva España, Peso: 10539,8g, Pecio: Inés de Soto)。 [拡大画像: x26932.jpg]
6 「4レアル銀貨、1694年、リマ」と記される。 [拡大画像: x26933.jpg]

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7 このようなガレオン船で大西洋や太平洋の海上の道を金銀財宝が輸送されていた。スペインの1620年のガレオン船 「ヌエストラ・セニョーラ・デ・アトーチャ」(Galeón Español, Nuestra Señora de Atocha, 1620)の模型。 製作者 (Autor) は「Juan Carlos Zuloaga」(La Habana, 2004)と記される。 [拡大画像なし]


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