海洋総合辞典 Comprehensive Ocean Dictionary, 特選フォト・ギャラリーPhoto Gallery, ポルトガル・エンリケ航海王子Portuguese Prince Henry/Henrique the Navigator、マカオ海事博物館Macau Maritime Museum

一枚の特選フォト⌈海 & 船⌋


One Selected Photo "Oceans & Ships"

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アフリカ西岸を南下しアジアへの海路の開拓に挑戦する
ポルトガル・エンリケ航海王子(ジオラマ)
[マカオ海事博物館]

ポルトガルのエンリケ航海王子 (1394-1460年) は、15世紀前半期に、ヨーロッパ大陸最西端の陸地が果てるザグレス岬 (ポルトガル) に航海学校、天文台などを創建した。彼自身は航海に乗り出さなかったが、航海者を育成しアフリカ大陸西岸沿いに 南下する探検航海へと次々に出立させた。 アフリカ大陸南方の周回によってインドなどの東洋世界に到達することを計画的かつ時間をかけて探求し続けた。

画像は、エンリケ王子らがザグレス岬に立ち、海図を広げ、執念をもってアフリカ大陸西岸沿いに南下を続け、アジアへの ルートを拓くべく、次の探検航海への計画に思いを馳せるシーンをジオラマ化している。

エンリケ王子は、アフリカ大陸南端の周回という大偉業の成功を知ることをなくこの世を去った。彼の積年の探求の功績は大である。 後のジョアン2世の時代におけるポルトガルの怒濤のようなアフリカ・アジア進出への先鞭をつけたといえる。

彼の死後28年を経た1488年、バルトロメウ・ディアスがアフリカ最南端の喜望峰を周回することとなる。 1497年7月出立したバスコ・ダガマは、大西洋を西岸から大きく迂回し、アフリカ南端を周回し、その東岸を北上、そして マリンディへ到達した。

彼は、同地で水先案内人としてアラビア人のイブン・マージド(インドのグジャラートの生まれで、インド洋での航海に 長けていた)を雇い入れ、1498年5月20日ついにインド西岸のマラバール海岸のカリカットに到達した。

ポルトガルのバスコ・ダガマは東廻りでアジアに到達し、他方スペインの支援を受けたマゼラン船隊は1521年西廻りでアジアに 到達した。今からわずか500年ほど前のことである。

[参考] エンリケ航海王子: [ポルトガル語]Henrique el Navogador; Infante de Sagres, O Navegador; [英語]Prince Henry the Navigator.

[画像撮影 2015.11.21 マカオ海事博物館にて][拡大画像: x27116.jpg]


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