一枚の特選フォト⌈海 & 船⌋
横須賀製鉄所 (造船所) の昔風景 [ヴェルニー記念館]
1 1. 出典: 「横須賀製鉄所(横須賀造船所)全景写真/1876年撮影」(ヴェルニー記念館)と題するパネル展示。 右側に斜路式造船台が見える。中央に見える3本マストの船が入渠しているドックが1871年(明治4年)に竣工した旧横須賀製鉄所第1号ドック (船渠) である。 [拡大画像: x27208.jpg]
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2-4. 出典: 横須賀製鉄所(造船所)の全景写真 (ヴェルニー記念館)。画像4中央の①は、斜路式船台、②は副首長の官舎である。
画像3中央の④は、旧製鉄所1号ドライドック (1871年・明治4年) である。その左の⑤は、2号ドライドック (1884年・明治17年)
である。⑦は、スチーム・ハンマー (ヴェルニー記念館には2台の実物ハンマーが展示される) のあった旧鍛冶所。
画像2中央の⑥は、3号ドライドック (1874年・明治7年) で、旧2号ドックである。
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ドックについて 旧横須賀製鉄所の第1号ドック (船渠) 1871年(明治4年)竣工。 旧横須賀造船所第2号ドック 1884年(明治17年)竣工。 旧横須賀造船所第3号ドック (旧2号) 1874年(明治7年)竣工。いずれも石造り。 旧横須賀海軍工廠4号ドック 1905年(明治38年)。 同上5号ドック、1916年(大正5年)。 同上6号ドック、1940年(昭和15年)。
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製鉄所建設の系譜 横須賀製鉄所(後に横須賀造船所、海軍工廠などと改名される)の建設には2人の人物が中心的役割を果たした。一人は江戸幕府の幕臣で あった小栗上野介忠順 (おぐりこうずけのすけただまさ) である。もう一人はフランス人フランソワ・レオン・ヴェルニーである。 江戸幕府は、1853年のペリー来航後横浜などを開港したものの、欧米列強と伍していくためには諸々の近代化を推進する 必要があった。その一つが軍艦船を建造するための近代的な造船所を建設することであり、海軍力を増強することであった。 そのための計画を推し進めた人物こそが江戸時代末期を駆け抜けた小栗忠順あった。彼は幕府の勘定奉行、外国奉行などを 歴任した。 小栗は当初造船所建設と技術指導への協力を米国に要請したが、米国は国内で南北戦争が起きていたため拒まれた。 他方、小栗の親友の助力を得て、駐日フランス公使ロッシュと交渉し建設を依頼する。その結果、当時中国・上海に勤務していたフランス人 技師ヴェルニーが招聘され、必要な現地調査を横須賀で行なった。その後、ヴェルニー所長以下多くのフランス人技術者に その建設、運営が委ねられた。 製鉄所は艦船の修理と造船を主な目的として建設された。建設は江戸末期に幕府によって手掛けられたが、江戸城の無血開城後は 明治政府によって引き継がれた。所内では国内各地の工場用機械なども製造した。端的に言えば、製鉄所は日本の工業近代化 を歩み始める起点となり、日本の殖産、工業力の向上を支えた。
小栗上野介忠順の略史
ヴェルニーの略史
記念館に展示される実物のスチーム・ハンマー
[画像撮影 2016.6.15 ヴェルニー記念館 (Verny Commemorative Museum) にて] |