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画像は、品川区立品川歴史館(東京・品川区)に展示される品川燈台の図絵である。
品川燈台はかつて東京湾奥に位置する品川沖の第二台場の西端に建てられていた。この品川台場は、米国ペリー提督率いる黒船艦隊の来航など、
日本に開国や開港・通商などを求める欧米列強の来航が相次ぐなか、幕末に江戸防備のために急増された人工島であり、当初は
大砲を備えていた。
1858年(安政5年)には欧米列強5ヶ国との間で通商条約が締結され、それに基づきいくつかの湊が開港場として諸国に開かれた。
その後、1866年(慶応2年)に列強諸国と交わされた関税率を改正する約書において、開港場に出入りする外国船の通航の安全を
確保するという目的で、我が国は灯台や航路標識を設置することを、その第11条において約することになった。
当初にあっては江戸幕府、その後の明治政府は、灯台を建設するための技術提供をフランス、イギリスに求めた。先ずは東京湾口周辺の
野島崎、城ケ島、観音崎、および東京湾内の品川の4か所において、フランス人技師ヴェルニーを首長とするフランス技術顧問団によって
灯台建設がなされた。品川燈台については、現在では「博物館明治村」に実物が移設され展示されている。現存する最古の洋式灯台である
ことから大変貴重な遺構となっている。
[参考]品川燈台は、1870年(明治30年)3月5日に点灯された。石油で灯光されたもので、その光度は100燭光、光源の地上からの高さは約5.8m、
海面からのそれは約16m、光達距離は約18㎞であったと記録される。参照:「博物館明治村」ホームページ。
[画像撮影: 2017.1.11 品川区立品川歴史館(Shinagawa Historical Museum)にて][拡大画像: x27467.jpg]
[参考図絵]
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1. 資料「江戸湾台場配置図 -安政元年(1854)12月末の状況-」。 [拡大画像: x28213.jpg]
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2. 資料「発掘された第一台場と第五台場」。図中央に第二台場(撤去)が示される。現在のレインボーブリッジの少し下方に
位置していた。図によれば、少し大きめの台場が、西側から第一、二、三と居並ぶ。そして、御殿山下台場から東方へ第四、五、六、七台場と
並んでいる。 [拡大画像: x28214.jpg]
* 画像1&2出典: 東京・品川区の「品川歴史館」
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