都内墨田区の回向院(えこういん)は、江戸時代の17世紀中期以降、無縁仏を葬り供養してきた由緒ある寺院である。
その境内には海上溺死者を供養するための幾つかの供養塔も建立されている。
画像は海難者を供養する、帆掛け船型をした極めて珍しい供養塔である。
塔石の裏側には「俗名 光大夫」という名が刻まれている。
回向院での海上溺死者の供養塔の存在を知るきっかけは、都内のある資料館での展示であった。即ち、
旧中川と小名木川の交わるところに中川船番所資料館(江東区)がある。その館内展示として、画像にある帆掛け船
の形状をもつ供養塔についての紹介があった。そのキャプションには、「勢州白子三州高浜船溺死一切精霊 寛政元年(1789)頃
本所回向院 (墨田区両国) 帆船の形をした供養塔で、漂流してロシアに渡った大黒屋光太夫の名も刻まれています
(海難事故で亡くなったと思われたのでしよう)」と記されている。
また、同資料館では別の海上溺死者の供養塔 (下方の画像) も紹介されていた。そして、キャプションには、「海上溺死群生追福之塔
文化10年 (1813) 本所回向院 (墨田区両国) 本所回向院境内にある海難事故で亡くなった人の供養塔です。文化10年(1813)菱垣廻船積
十組問屋によって建立されました。この年は江戸の十組問屋が結束して株仲間を公認してもらうため、菱垣廻船積問屋仲間によって
三橋会所(さんきょうかいしょ)を設立した年でもあり、これまで海運を支え亡くなった人を供養し、改めて問屋仲間の隆盛を誓った
のでしよう」と記されている。
同塔の隣の碑正面には「溺死四十七人墓」と刻まれ、側面に漢文で略史が記されている。
回向院について
回向院発行の公式の小冊子に同院の系譜などが紹介されている。それによれば、同院は1657年(明暦3年)に開創された、
法然上人を宗祖とする浄土宗の寺院である。同年に江戸で「振袖火事」の名で知られる大火があった。
江戸の町の6割以上が焦土と化し、10万人以上の人命が失われるという大惨事となった。
開創はその直後になされた。即ち、江戸幕府は、その明暦の大火で亡くなった身元・身寄りの分からない人々のため、
万人塚という墳墓を設け、無縁仏の冥福を祈る大法要を執り行なわれたが、そのためのお堂が建立されたことが回向院の
始まりである。
その後、無縁仏を葬る習わしが受け継がれ、知る人ぞ知る無縁寺へと発展して行った。境内には天災・地災などで亡くなった
無縁の方々を供養するための無縁供養塔が数多く存在する。
因みに、明暦大火横死者供養塔、安政大地震横死者の供養塔、関東大震災横死者の墓、海難供養碑などがある。
[2017.6.20 墨田区・回向院 (Ekouin, Sumida-ku, Tokyo) にて/帆掛け船の形をした海難供養之碑(sailing-ship-shaped stone monument for memorial service
dedicated to the shipwrecked people)][拡大画像: x27841.jpg][拡大画像: x27842.jpg]