一枚の特選フォト⌈海 & 船⌋


One Selected Photo "Oceans & Ships"

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中濱萬次郎 (ジョン万次郎) の肖像写真
[東京・墨田区、勝海舟生誕之地碑]

墨田区の「勝海舟生誕之地」碑のそばには 「幕末絵巻 勝海舟の歩みと様々な出会い、鳶が鷹を生んだ 勝海舟誕生 文政6年1823年」  と題する絵巻調展示パネルが立てられている。パネルには中濱萬次郎の肖像写真が展示される。写真は中濱萬次郎直系5代目  中濱京氏所蔵と記される。写真には次のような説明が添えられる。

    ジョン万次郎
    文政10年1月1日~明治31年11月12日(1827年~1898年)
    本名は中濱萬次郎。漁師の次男に生まれる。漁の最中に遭難し、アメリカの捕鯨船に救助され、渡米する。 アメリカで英語、造船技術などを学ぶ。帰国後は幕臣となり、通訳や教師として活躍した。通訳として、 勝海舟、福沢諭吉らとともに咸臨丸に乗船し、日米通商条約の批准書を交換するための遣米使節団に 同行して太平洋を渡った。


ジョン万次郎の略史
・ 萬次郎は1827年(文政10年)、土佐国中濱村(現在の高知県土佐清水中浜)に生まれる。
・ 1841年(天保12年)、萬次郎14歳の頃に、漁に出た漁師仲間4人と共に遭難する。奇跡的に伊豆諸島の無人島・鳥島に漂着する。 143日後、米国捕鯨船ジョン・ハウランド号に救助される。
・ 萬次郎は船長のホイットフィールドに見込まれ米国に渡り、彼の養子となる。専門学校などで英語、数学、測量、航海学、 造船技術などを学ぶ。
・ 卒後、1846年から数年間近代捕鯨船の船員となり、遠洋航に就く。
・ 1851年、琉球に上陸を図った。捕らえられた萬次郎は薩摩本土へ移送され、同藩の取り調べを受ける。その後、長崎に 移送され、長崎奉行にて長期間尋問を受ける。
・ 帰国から約1年半後(漂流から11年目)にして、故郷に1852年(嘉永5年)帰る。
・ 1853年(嘉永6年)、幕府に招聘され江戸へ。旗本の身分をえる。
・ 1860年(万延元年)日米修好条約の批准書交換のための遣米使節団に随行、咸臨丸で渡米する。
・ 1862年(文久2年)、幕府の軍艦操練所教授となる。
・ 1869年(明治2年)、明治政府により開成学校・現東大の英語教授となる。
・ 1870年(明治3年)、晋仏戦争視察団として大山巌らと欧州派遣される。帰国途上において米国で恩人ホイットフィールドと 再会する。
・ 1898年(明治31年)、72歳で生涯を閉じる。

[2017.6.20 東京都墨田区、勝海舟生誕之地碑にて][拡大画像: x27850.jpg]


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