白瀬矗 (のぶ) 陸軍中尉を隊長とする日本南極探検隊(1910-1912年)は、1910年 (明治43年) 11月28日、芝浦埋立地で開催された
壮行会の翌29日、わずか204トンの木造機帆船「開南丸」で南極点到達をめざし出帆した。画像は、その3本マストの機帆船「開南丸」
の模型である。
開南丸模型縮尺: 1/100。船の全長は30m、幅は7m。204総トン。
1912年 (明治45年) 1月16日、南極ロス海ホエール湾に到着する。
白瀬隊長率いる突進隊は、1月28日南緯80度05分、西経156度37分に着達し、付近一帯を「大和雪原 (やまとゆきはら)」
と命名した。日本にも、当時英国、ノルウェーに伍して、南極点到達を目指した白瀬矗中尉と探検隊員たちがいた。
白瀬矗 (のぶ) 陸軍中尉を隊長とする日本南極探検隊の略史&関連事項
・ 1910年、白瀬は帝国議会に南極探検に関する請願書を提出したが、援助は受けることはできず。
・ その後、大隈重信公の紹介により国民の関心を呼ぶことになり、多くの募金を得ることができた。
・ 白瀬は28名からなる白瀬南極探検隊を結成し、1910年11月29日、204トンの木造帆船で東京の芝浦港を出帆した。
・ 白瀬隊は、1911年3月にシドニーに入り、11月まで滞在し再び南極に向かった。
・ 1912年1月16日、ホエール湾に上陸、ノルウェーのアムンセン隊のフラム号と出会う。
・ 白瀬らの一団は、1月20日に南極点に向けて突進した。同月28日には南緯80度5分に達し、辺りを「大和雪原」と命名した。
・ 同じ頃、ノルウェーのアムンセン、英国のスコットも南極点を目指していた。
・ アムンセンは1911年12月14月に極点に一番乗りし、スコットは1912年1月17日に極点に二番手で到達したが、帰路遭難死にいたる。
・ 白瀬隊は、6月20日に芝浦港に帰港し、国民の大歓迎を受けた。
・ 日本は1957-58年の国際地球観測年(IGY) に参加することを希望し、1955年9月、ベルギーのブリュッセルで開かれた国際学術
連合会議(ICSU) の第2回南極会議において、観測点として東南局のプリンスオラフ海岸を割り当てられた。
[2017.8.2. 国立極地研究所/南極・北極科学館 (Polar Science Museum) にて]
[拡大画像: x27912.jpg][拡大画像: x27913.jpg: 白瀬矗関連説明書き][拡大画像: x27944.jpg: 左同]