一枚の特選フォト⌈海 & 船⌋
オランダのブランシウスの「球形世界図」
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旧堺が国際交易都市として栄えたのは、15世紀後期の戦国時代から17世紀前期の江戸時代初めにかけてである。
世界では、1492年クリストファー・コロンブスが、東方世界・インディア、そして日本・ジパングをめざして、大西洋を西方に
向け航海し、新世界に着達した。
マゼラン船団が、1519年に香料諸島をめざしスペインを船出した。そして、「新大陸」の南端を迂回して、ついに地球を周回し、
スペインに帰還したのが1522年である(マゼランは、1521年にフィリピン・セブ島における戦闘でこの世を去った)。
英国人フランシス・ドレークが史上2人目(実質的には史上初; 一度の航海で地球周回を果たした)となる世界周航を果たしたのは、
1577-80年のことである。
画像は、コロンブスの新大陸着達から約100年後の1594年にオランダのプランシウスによって製作された「球形世界図」である。 オーストラリア大陸と南極大陸は不正確であるが、他の大陸はしっかりと描かれている。 ヨーロッパとアジアを結ぶ海上ルートとして、①新大陸 (南米大陸) の南端迂回ルートと、②アフリカの南端迂回ルートが自明の如く描かれ、 さらに③北極海経由のルートが見て取れる。 地図上部には北天球の星座、下部には南天球のそれが描かれる。また、左右の球形図下方には未知の南方大陸が大きく描かれる。 [2017.10.3 出典: 堺市堺区宿院町にある「さかい利晶の杜」展示室のエントランスホール。展示室は千利休屋敷跡に隣接している] [x.jpg: 画像なし] |