1. 平安時代末期、平清盛は、日宋貿易を促進するために、大輪田泊 (おおわだのとまり) の改築と人工島「経ヶ島」(きょうがしま) の
建設を進めた。
人工島の造成は、清盛によるものが日本でははじめてとされる。その造成工事は困難を極めたため、清盛は成功を期して石に経文を
書写して海に沈めたことから、人工島にこの名が付けられたとされる。画像 1 の巨石を運ぶ図絵の所蔵: (社)神戸港振興協会
[拡大画像: なし]。
2. 遣明船(当時の遣明船をモデルにして描かれた遣唐船)
「真如堂縁起」と題する説明書きによれば、船首に描かれる僧は、伝教大師最澄の弟子にあたる慈覚大師円仁である。
留学生として唐に渡海した円仁の帰国時の場面を描く。ただし、この絵は室町時代に描かれたもので、当時の遣明船をモデル
にして描かれている。画像 2 の図絵の所蔵: 真正極楽寺。 [拡大画像: x27996.jpg]
「大輪田泊から兵庫津 (ひょうごのつ)」と題する説明書きによれば、当初の大輪田泊は831年 (天長8年) に造られ、836年 (承和3年) に
遣唐使・藤原常嗣 (ふじわらのつねつぐ)、小野篁一行 (おののたかむらいっこう) が寄港したという説がある。
平安時代末期、日宋貿易を目的とした平清盛による大輪田泊の改築と経ヶ島の建設、僧・重源 (じゅうげん) による東大寺の改築の後、
鎌倉時代になると大輪田泊は「兵庫津」と呼ばれるようになり、諸国の船の出入りが盛んになり、名実ともに日本一の港として繁栄した。
また、兵庫津は、室町時代になると、足利義満によって日明貿易が行われ大いに栄えた。しかし、応仁の乱(1467年)によって退廃すると、
対外貿易の中心は堺に移って行った。 [注]中国の明朝:1368-1644年.
[2017.10.6. 画像 1・2・3 および説明書き 1・2の出典:「神戸築港資料館ピアしっくす (Kobe port-building museum "Pier Six") 」の展示パネル「中世の兵庫津」など][拡大画像: x27981.jpg (z.jpgなし)]