一枚の特選フォト⌈海 & 船⌋


One Selected Photo "Oceans & Ships"

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江戸時代(1792年)、ロシア帝国遣日使節アダム・ラクスマンの来航とエカテリーナ号

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画像 1 は、兵庫県洲本市にある高田屋嘉兵衛顕彰館・歴史文化資料館にて展示されるロシア帝国の遣日使節船「エカテリーナ号」の図絵 (江戸時代/根室市歴史と自然の資料館)である。
画像 2 は、ロシア帝国遣日使節アダム・ラクスマン (Russian delegate Adam Lzxman) の肖像図絵(市立函館図書館蔵)である。

1792年(寛政4年)9月、ラクスマンは、神昌丸の漂流民大黒屋光太夫、磯吉を連れて根室に来航し、通商を求めた。 画像 3 のキャプションには次のように記される。

    「アダム・ラクスマン来航 1792年(寛政4年)9月、ロシア使節ラクスマンが、日本人漂流民大黒屋 光太夫(だいこくやこうだゆう)らを連れて根室に来航し、通商を求めた。幕府は国書の受け取りを 拒否し、この問題は長崎でのみ交渉しうるとして、信牌 (しんぱい) (長崎入港許可証) を与えた後、帰国させた」
[画像撮影: 2017.10.13 高田屋嘉兵衛顕彰館・歴史文化資料館にて/顕彰館所在地: 〒656-1301兵庫県洲本市五色町都志1087 /電話: 0799-33-1605]
1. [拡大画像: x28070.jpg]
2. [拡大画像: x28087.jpg]

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3. 全体。 [拡大画像: x28069.jpg].
4. 絵馬: 仙台藩士が奉納した女性像。文久3年 (1863年)/白老八幡神社写真提供 白老町教育委員会
キャプションによれば、文久3年、カラフト警備から帰陣した仙台藩医師伊藤藤翁らにより奉納された、ロシア皇帝エカテリーナ2世像 と伝えられる肖像画。 [拡大画像: x28085.jpg]
5. ラクスマンや第二次遣日使節のニコライ・レザノフなどについて展示する。 [拡大画像: x28086.jpg]


    アダム・ラクスマンAdam Laxman
    1766年生まれ-1806年以降に死去(彼は1806年に「ラクスマン日本渡航日記」を完成させている。故に、 それまでは生存していたと推察されている)。ロマノフ朝ロシア帝国の軍人(陸軍中尉)であった。

    1789年、ラクスマンはシベリアのイルクーツクに滞在中、大黒屋光太夫ら日本人漂流民6名と出会った。光太夫を連れてペテルブルグ の女帝エカテリーナ2世と謁見し、光太夫の送還につき許しをえる。女帝の命により、大黒屋光太夫、磯吉、小市の3名 を送還する名目で、イルクーツク総督の通商要望信書を手渡すために、ロシア帝国最初の遣日使節となる。

    1792年(寛政4年)9月、エカテリーナ号でオホーツクを出発、翌月根室に到着。幕府は通商を欲するなら長崎に回航するよう指示する。
    1793年(寛政5年)6月、函館に入港する。ラクスマン一行は函館から陸路で松前に到着。幕府側は長崎以外では国書を受理できないとの 方針を貫き、大黒屋光太夫と磯吉2名を引き取った。ラクスマンに対し長崎への入港許可証(信牌)が交付される。
    1793年7月、ラクスマンらは函館を出港したが、長崎には向かわず、オホーツクに帰還した。

    参考資料: 電子ウイキペディア「アダム・ラクスマン」



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