一枚の特選フォト⌈海 & 船⌋


One Selected Photo "Oceans & Ships"

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マゼラン船隊の記録係アントニオ・ピガフェッタ [フィリピン・セブ島/サン・ペドロ要塞]

[Caption] Antonio Pigafetta: Chronicler of the voyage
of Magellan and eye witness to the discovery of Sunbu



フェルディナンド・マゼランの西廻り世界探検計画を知ったイタリア生まれのピガフェッタ(Antonio Pigafetta、1491年 - 1534年)は、 難交渉の末にようやく船隊に乗り組むことができた。1519年にマゼランとともにスペインを出帆した時には、約270名を擁した船隊であった。 ピガフェッタは、マゼラン船隊のスペイン出帆以来、航海の間ずっと毎日欠かさず日記を付け、訪れた場所ごとに地理、気候、動植物、 人々などの詳細な記録をとり続けた。 彼の綿密な記録はその後の16世紀の探検家や地図製作者に南アメリカ、太平洋諸島に関するきわめて貴重な情報を提供することとなった。

船隊に残された最後の一隻となったビクトリア号がアフリカ西岸を北上し、ヴェルデ岬諸島に立ち寄った時のこと、ピガフェッタは現地人に 曜日を確かめた。毎日欠かさず付けていたピガフェッタの日記では水曜日であるはずであった。だが、 同地では木曜日であることを知り、彼は大変驚いたという。綿密な記録者ピガフェッタこそが、人類史上初の地球一周による 日付けのずれを実体験した最初の人物であったといえよう。

マゼランはフィリピンのマクタン島海岸での酋長ラプラプとその兵士との戦いで負傷し、ついに1521年4月27日に戦死した。 ピガフェッタ自身もマゼランと同じ一団で戦い、彼も負傷した。だが、ピガフェッタは回復し、フアン・セバスティアン・エルカーノ が率いるビクトリア号で、1521年5月1日にセブ島を船出し、スペイン出立後3年を経た1522年9月6日にスペインのサン・ルーカル・ デ・バラメーダに帰還した。 無事生還できた乗組員の数はわずか18名であった。ピガフェッタは人類史上初めて世界周航を果たした乗組員のうちの1人となった。

[参考] マゼランの世界周航に関するピガフェッタの記録
1. 『マゼラン最初の世界一周航海』、岩波文庫、2011年刊
2. 『航海の記録』(大航海時代叢書 第1巻)、岩波書店、1965年刊

[画像撮影: 2018.3.20 フィリピン/セブ市のサン・ペドロ要塞にて][拡大画像: x28145.jpg]


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