一枚の特選フォト「海 & 船」
中国・秦代以前の運河「
1![]() 1. 中国・杭州の「京杭大運河博物館 The Great Jinghang(Keikou) Canal Museum」に展示される「運河起源図」(春秋時代)である。 図では、北京から天津を経由して南下し、淮水と交わる末口まで伸びる今運河(現在の運河)が記される。その他、黄池 (こうち) から今運河に至る 「古運河」が記される。泗水 (しすい) も読み取れる。しかし、運河の起源的存在である、淮水の末口から南へ伸びる「邗沟 (かんこう)」 運河そのものは記されていない。 [拡大画像: x28390.jpg]
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「京杭大運河博物館」は、北京と杭州を結ぶ総延長約2,500kmにも及ぶという大運河の建設の歴史、運河開通に伴う舟運状勢や政治・ 経済への波及効果などについて紹介している。その所在は杭州市街地にあるかの有名な「拱宸橋」 (京杭大運河に架かる古橋) のすぐ 近くである。
博物館では、「早期運河 先秦-隋初 Canal in the Early Period (Pre-Qin period-Beginning of the Sui Dynasty)」
と題して、秦王朝先代から隋王朝初期までの期間に開削(開鑿)された運河についても展示される。
因みに、英語版パネルで次のような「早期運河」関連説明がなされている。
さて、先秦時代の運河(The Great Canal in the Pre-Qin Period)として「邗沟(かんこう)」が紹介されている。 館内では、「大運河形成表」(画像6を参照)と題して、9つの「河段」が掲示される。「段」とは、京杭大運河のうち、護岸改修や 景観変更がなされておらず、往時の姿を留め、かつ断片的に特定区間を結ぶ水路や小運河を意味する。 下表がその「形成表」であり、河段名・起点や終着点名・距離数・開削年代などが記される。
「邗沟」は京杭運河の「里運河」の前身で、秦の時代よりも以前に開削された運河である。 淮水と長江 (揚子江) との間、因みに末口と邗城 (揚州) とを結ぶ、150キロメートルほどの古運河であり、春秋時代の紀元前486年~ 前473年の間に開鑿された、と記される。「大運河形成表」では、「江都-末口 150公里 (=km) 春秋時代(紀元前486年~ 前473年間)」、と記される。なお、「邗沟」は、北では「中運河」と繋がり、南では鎮江にて「江南運河」と相接することになる。
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11 因みに、夫差は、北伐のために運河を掘り、長江と淮河 (わいが) を繫ぎ、沂水 (きすい) と済水 (せいすい) とを結んだ。呉都の蘇州から 乗船したままで「斉」の属領に達することができた。当時としては画期的な大工事であったとされる。 [参考]沟渠 (こうきょ): 「灌漑・排水用の溝渠 (こうきょ)」、「溝」のこと。沟とは「溝」、堀とは「川筋、谷間」のことである。 黄沟 (深沟)、鴻沟などがある。 13. 太伯: 邗沟その他の運河・溝渠の開発との関わりにつき調査中。 [拡大画像: x28396.jpg]
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