一枚の特選フォト「海 & 船」


One Selected Photo "Oceans & Ships"

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淀川三十石船と「くらわんか舟」 [淀川博物館/大阪・枚方市]

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画像は、大阪府枚方市に所在する「淀川資料館」のエントランス正面に展示される「くらしと淀川」と題する陳列コーナー風景である。 その昔(近世から明治初期にかけて)、淀川の風物詩であった「三十石船」(さんじゅっこくぶね)の模型 (画像1) や、それの船客を 相手に商いをした枚方名物の「くらわんか舟」の模型 (画像2) などが展示されている。 画像3は、三十石船と、それに寄る「くらわんか舟」を描く、歌川 (安藤) 広重 (家姓である安藤名でも通用している) 作の 「京都名所内 淀川」(木版画) である。

さて、近世から明治初期にかけて、「三十石船」と一般に称された旅客専門の乗合船が、大阪 (大坂) の八軒家 (現在の天満橋) と京都伏見の間を行き来していた。三十石の乗合船は京都・大阪間を結んでいた重要な水上交通手段であった。 三十石船の大きさは、幅1間2尺(2.5m)、長さ5丈6尺(17m)、排水量三十石(4.5t)、平均水深2尺(60㎝)であった。 1日2回、大坂と伏見の間を定期的に上り下りしていた。無動力ゆえに、川の流れを利用したり、船頭らが漕いだり、舟引人足が綱で引っ張ったり していた。特に、上り (大坂→京都伏見) では、淀川両岸を利用して、舟引人足が引き綱でもって船を引きずり上げるので、 下り船よりも倍の時間を要し、丸一日掛りであった(因みに、下りが約6時間、上りが約12時間を要したという)。

江戸時代には、大坂・伏見の中ほどにある枚方宿(ひらかたしゅく)辺りで、煮売茶船が三十石船に漕ぎ寄って行き、船客を相手に 飲食物(酒・飯・汁物・餅・魚・果物など)の商いをしていた。茶船の売り子が、「飯くらわんか、酒くらわんか」などと、旅客に向けて 叫びながら、乱暴な土地のことばで物を売っていた。このことから「くらわんか舟」と呼ばれた。上位権力者である武士に対しても 強引に売りつける無作法な商法が人気を呼び、淀川の風物詩として親しまれるようになった。

[撮影年月日: 2019.6.17、撮影場所: 大阪・枚方市の淀川資料館 (Yodogawa Museum) にて]

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